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第2章
***
翌日の土曜、栗崎は祖父の三回忌の法事のため車で一時間ほどかかる実家に帰った。
実家の一戸建てには両親と弟夫婦が住んでいる。
「お帰り、諒一。信太郎たちがお待ちかねよ」
すでに喪服を着た母親に迎えられ居間に入ると、奥に用意を済ませた父親が座っていた。
「諒一おじさん、おかえり!」
そして栗崎の足元に弟の子供で、今年5歳になる信太郎(しんたろう)が飛びついて来た。
「ただいま。お、信、また大きくなったんじゃないか?」
「おかえりー」
信太郎の後ろから3歳の妹の愛香(まなか)も顔を出す。
「愛香もただいま。はい、これ。二人にお土産」
栗崎がドーナツの入った袋を手渡すと、二人はキャッキャと喜びながらその封を開け始める。
「あ、お義兄さん、すみません! こら、きちんとお礼言ったの?」
「ありがとう!」
「ありがとー」
栗崎は二人の頭を撫でながら、弟の妻である公香(きみか)の大きな腹を眺めた。
「もう何か月ですか?」
「七か月です。十月が予定日で」
「諒次も楽しみにしてるでしょう?」
「ええ、また立ち会うって意気込んでて」
「ママ! ドーナツ!」
公香はコロコロと笑いながら、両手にドーナツを持ってやって来た、信太郎と愛香を見つめて幸せそうに目を細めた。
その時、玄関の引き戸が開く音が聞こえ、弟の諒次(りょうじ)が居間にやって来る。
「おお、兄さん帰ってたのか」
「ああ」
近所の塗装会社に勤めている諒次は、日に焼けた顔をタオルで拭いながら、冷蔵庫から出した麦茶をコップに注ぐと一気に飲み干す。土曜だというのにギリギリまで仕事をしてきたようだ。
「俺の喪服どこ?」
「はい、ここ」
諒次は公香から手渡された喪服の一式を受け取り、着替えさせられている。
栗崎も別室で持ってきた喪服に一人で着替えると、全員で法事の執り行われる寺へと向かった。
エアコンのない寺の開け放たれた本堂で、栗崎は最後部に座って読経を聞いていた。
僧侶の長い話が終わり、その後、親戚一同が会した食事会が始まる。父は五人兄弟の三番目で、兄弟の子供達、孫達が揃うとかなりの大人数となっている。読経の間つまらなそうにしていた子供達は解き放たれたように部屋中を走り回っていた。
「兄さん、最近どうなのさ」
少し酔いの回った諒次が栗崎の隣にビール瓶とコップを片手に腰を下ろした。
「仕事か? 相変わらずだな」
諒次が注いだビールを飲みながら栗崎が答えた。まさか支店が潰れて首を切られるかも、とは言い辛い。
「違う! 結婚の方だよ! 兄さんだってもう三十五だろ? 早く可愛い嫁さんでも連れてきなよ?」
諒次がそう言って自分のビールを一気に飲み干すと栗崎に顔を寄せた。
「父さんと母さんももう若くないんだしさ。絶対兄さんの孫が見たいんだって」
「孫なら諒次の子供で十分じゃないか。十月には三人目だって産まれるんだし。俺は一人でいいんだよ」
栗崎はなるべく明るくそう言う。諒次は酒が入るといつもこの話題を口にするのだ。
「何言ってんだ! 二人もああ見えて兄さんのこと本気で心配してるんだぜ? 親戚にあれこれ縁談がないか声も掛けてるみたいだし。兄さん、子供好きだろ? それに学生の頃からよくモテてたじゃないか」
「そんなことはないさ」
苦笑気味に答えながら、栗崎はビールを飲むふりをして上座に座る両親を見やった。
確かに、会うたびに二人が老けこんできている実感が栗崎にもある。そして、自分自身がその老いた両親の心配の一因だと思うと、栗崎の胸はひどく痛んだ。
しかしその時、
『リョウイチ』
トオルが呼んだ自らの名前が耳の奥に響く。
(嫁どころか、俺は男と…)
そう心内で呟き、苦笑する。
栗崎の目の前にはたくさんの老若男女の親戚達が居並び、受け継がれていく血というものを、嫌と言うほど実感させられる。
栗崎を気遣ってくれる家族。可愛い甥と姪。もうすぐ生まれてくる新しい命。
(男と、だなんて不毛だ……。何の生産性もないじゃないか)
そう思うものの、栗崎の脳裏にはトオルの息遣いや自身の体に与えられた快感がすぐさま蘇ってしまう。
(くそっ、ほとんど初対面の男にあんなことされて、心が持ってかれない方が嘘だろ!)
栗崎の胸には、トオルが黙って消えてしまった強烈な喪失感と同時に、疼くような甘い痺れもが込み上げる。
その時、信太郎が栗崎のスーツの裾を引っ張った。
「諒一おじさーん、あそぼ?」
「あ、ああ、いいぞ!」
栗崎は胸に過ぎる不安と終わりを知らない逡巡を押し隠すように笑みを作りながら、自分に微笑みかける信太郎の小さな手を取った。
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