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2‐6
「ば、馬鹿! あんた頭おかしいのか?」
「わかってる」
「オ、オレには愛してる人が……」
「知ってる」
栗崎はそう答えると、またトオルを抱く手に力を込めた。しかし、トオルはもう逃げ出そうとはしなかった。
腕の中にトオルの体温を感じながら、触り心地のいい黒髪に顔を埋め、指先で優しく梳いていく。
(小さな頭だな)
栗崎の鼻孔にはトオルの髪から花の様な香りが漂う。
(シャンプーの香りと、あと、この香りは……どこかで……)
他にも何かの香りを感じたが、栗崎は自分の背に回されたトオルの指先に力が込められたことに気づき、ふいに心臓が高鳴る。
「トオル……」
栗崎は耳元で愛しい名前を呼んでみる。
それは自分でも思いの外甘く響き、面映ゆいような気持ちになる。
(俺が、こんな気持ちになるなんて……な)
栗崎は約束通り一晩中トオルを抱き締めていた。トオルはただ栗崎の腕の中でじっと抱き締められていた。
トオルの温かな体温と呼吸音が眠りを誘い、栗崎は久しぶりに深い眠りに落ちていく。
カーテンの開け放たれた窓からは、色とりどりのネオンの光が零れ落ちてくる。瞼の裏で点滅を繰り返すその掴みどころのない色たちとは違い、腕の中の温かな感触だけが栗崎の人生で唯一、確かなもののように思えた。
『リョウイチ』
栗崎はその晩見た夢の中で、トオルが自分の名前を呼んだ気がした。
しかし、窓から日の光が差し込み、小鳥が鳴き始める頃には、栗崎の腕の中にトオルの姿はなかった。
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