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第3章
「じゃあ、戦略会議始めるぞ」
早田の号令でその場にいる全員の顔つきが引き締まった。
薄暗い会議室には支店長である早田と営業課長の柏木に主任の栗崎、物流課長という、南松岡支店の存亡の危機を知る面子だけが集められている。
この会議は他の営業員が帰った後、毎週金曜に行われるようになっていた。
「まず手元の資料一枚目は近年の売上、経費、粗利益の推移。そして二枚目はうちのシェアが低い医薬品のピックアップだ。ここを今後重点的に攻めていきたい」
柏木がプロジェクターを使って説明を加えていく。
しかし、これまでの営業から短期的かつ革新的に売上を伸ばすことなど難しいもので、結局は波田野総合病院の攻略にかかっているという結論に収束していく。
「波田野の薬局長は六十歳の誕生月である、今月八月末をもって退職するそうだ。来月からは加藤という人物が就任するらしい」
柏木の情報に早田が栗崎に視線を向ける。
「栗崎、どんな具合だ?」
「はい、島田と病院の情報は集めてます。着任後薬局長にはなるだけ早い段階で面会できるよう手配も整えています」
「そうか、よろしく頼む」
連日、栗崎と島田は通常の業務に加え、波田野総合病院攻略のための様々な仕事に追われていた。波田野との取引開始に向けて製薬会社のMRと連携を取ったり、各方面の資料を集めたりで、戦略を練るための情報を掴むのに必死だ。
栗崎はこの忙しさが有り難かった。
初めて想いを告げ、腕に抱いて寝たトオルがまた消えてしまったショックは、栗崎には大きかった。
トオルのことを思い出すと栗崎の腕には、すぐにでもその体温が蘇る。
もう会えないのか。またあの街で男を求めているのだろうか。
あんな哀しい目をしてーー。
栗崎は脳裏に浮かぶその光景を拭いさるように頭を振った。
その後、栗崎が支店を出たのは夜十一時を過ぎていた。
(晩飯は冷凍しておいたカレーでも食べるか……)
そんなことを考えながら地下鉄を降り、駅から地上へと上がってくると、胸ポケットに入れておいた携帯電話が突然震え出した。
(こんな時間に、もしかしたらどこかの得意先か?)
夜間診療をしている病院から、足りない薬をどうしてもすぐに届けて欲しいと言われたことがこれまでにもある。そこは患者の命がかかっているので、栗崎は何のためらいもなく電話に出ようとした。
しかし、その着信画面を見た栗崎の動きが一瞬止まった。
『トオル 090―××××―××××』
「な……!」
栗崎が登録した覚えは全くなかった。
『トオル』と言えばあの男しか覚えがない。しかし、まさか。息を飲んだ栗崎は激しく波打つ心臓を抑えるように一度深呼吸をすると、着信ボタンを押した。
「……はい」
『あ、オレ、だけど』
その声はやはりあのトオルだった。
「ど、どうして……」
栗崎は驚きと動揺で言葉に詰まる。
『あんたが寝てる間に登録しておいた。あんたから掛かってくるかと思ってたけど』
少し拗ねたような声が耳元に届く。
「すまん、全く、気付かなかった……」
俺が謝る必要があるのか? と疑問に思いながらも栗崎は謝罪を口にする。
『あんたってなんだか鈍そうだもんな』
そう悪態を吐くトオルだが、その声はひどく沈んでいるように聞こえた。
「何か、あったのか?」
栗崎は急に心配になりその場に立ち止まると、携帯電話を耳に押し当てた。
『別に、なんにもない』
栗崎の問いを突っぱねながらも、何かを堪えたような声が耳元に届く。栗崎は小さく息を吐いた。
「話したくないなら話さなくてもいい。ただ俺は、おまえが一人で哀しんでいるのが嫌なんだ」
『………リョウ、イチ……』
栗崎の言葉にトオルが名を呼んだ。
トオルに名前を呼ばれる度に、栗崎の胸はキュッと掴まれるような甘い痛みを感じる。
「今、どこにいる?」
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