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3‐2
『………』
「どこだ?迎えに行く」
栗崎は有無を言わせぬ声音でトオルに告げる。
『小塚、公園……』
トオルが小さな声で答えた。
「わかった、すぐ行く」
栗崎は電話をポケットに仕舞いながらすでに駆け出していた。
小塚公園は駅から歩いて二十分ほどのところにある。栗崎は息を切らしながら静まり返った深夜の公園に足を踏み入れた。
「はあ、はあ…っ」
中央には大きな池があり、綺麗に整備された歩道のあるこの公園は、普段はジョギングや犬の散歩などで行き交う人々も多いが、もちろん今は誰もいない。池の水面を涼しい夜風が吹き抜け、草むらからは虫の音が煩い程耳に届く。
白く無機質な外灯の明かりを頼りに池の近くのベンチを見やると、その上で膝を抱え込み頭を垂れた背中を見つけ出した。
(あんなに、小さかったか)
その後ろ姿に栗崎は名を呼び掛けた。
「トオル」
すると、ビクリと肩を強張らせてその背が立ち上がり、振り返る。
「…………」
その顔はこれまでに見せた野良猫のような鋭さはなく、眉根を寄せ、何かにひどく怯えた表情をしていた。
(ああ、どうしてそんな顔をしているんだ……)
栗崎の胸が軋む。
何があったのか。
何がそんなに哀しいのか。
栗崎の胸の内に様々な疑問が浮かんでくる。すぐにでもトオルに駆け寄って抱き締めたい衝動に駆られるが、栗崎は外灯の灯りが届くギリギリの所に立ったまま、動かなかった。
自分の腕の中から黙って消えたトオルに、栗崎の足が動くことを躊躇していた。
「トオル」
そしてもう一度静かにその名を呼ぶと、夜空に向けられた手のひらをそっとトオルに向けて差し出した。
(ここまで来い。そして俺の手を取ったなら、これから俺はおまえに何でもしてやる)
栗崎の手を見たトオルは一瞬何かを言いたそうに口を開きかけ、しかしすぐに閉じて俯く。
栗崎は手を差し伸べたままトオルを待ち続けた。
トオルは再びつっと顔を上げると唇を噛み締め、栗崎の瞳を見つめ返してきた。その両目には瞬きの度に暗い波が押し寄せ、幾重にも不安そうな波紋ができる。
しかし、その奥から何かを探し求め、焦がれるような大きなうねりが立ち上がると、全てを覆い尽くしていった。
そして、日中の熱を押し包んだ夜気の中へ、トオルが一歩、足を踏み出した。
一歩ずつ、一歩ずつ、栗崎との距離が縮まっていく。栗崎は黙ったままそれを見守った。
だが、トオルは蒼い髪の毛の艶が仔細にわかる距離まで来ると立ち止まってしまう。
栗崎とトオルの瞳は見つめ合ったまま、二人の周りを虫の声だけが満たしていく。
どれだけそうしていたか、トオルは一度深く息を吐くと、ゆっくりと左手を伸ばした。
微かに震える指先が、星屑が落ちてくるのを待っていたかのような栗崎の手のひらに、届いた。
栗崎は冷たくなっていたトオルの指先を掴むと腕を引き、胸の中にそっと引き入れる。そして、小さく肩を震わせるトオルを、壊れもののように優しく抱き締めた。
「よく、できました」
「……リョウイチ」
トオルの声が栗崎の首筋で吐息と共に零れ出る。栗崎の胸に言葉にならないほどの愛しさが込み上げた。
栗崎はその耳元に囁いた。
「トオル、おまえを抱きたい」
「…!」
身動ぎしようとするトオルの体を今度は力強く抱き締めた。
「おまえのところまで、行きたい」
「……いいのか?」
今にも泣き出しそうな声だった。栗崎は腕を緩め、トオルの額に自分のそこをくっつけた。
「ああ。約束しただろ?」
栗崎が微笑むとトオルの顔に仄かな安堵の色が生まれる。それを見た栗崎はトオルの手を繋いだまま歩き出した。
マンションに着くまで栗崎は、一度もその手を離さなかった。
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