25 / 69

第4章

『兄さん、盆は帰って来ないのか?休みはいつから?』 電話口の向こうから諒次が栗崎に問いかける。 会社からの帰途、栗崎は携帯電話で話しながらマンションのエレベーターに乗り込んだ。 「休みは明日からだが……」 思わず言い淀む。栗崎は今まで以上に実家への足が遠のく気がしていた。 盆に帰ると親戚の集まりがある。 そこで諒次やら親戚達からまた結婚の話題が持ち出されるのは必至だ。 しかし栗崎はトオルの顔を思い浮かべると、結婚に対し少しの罪悪感の中にも決別を意識し始めていた。 「少し仕事もあるし……」 栗崎が迷いながらもそう答えると、諒次が残念そうな声を上げる。 『信太郎と愛香が兄さんに会えるの楽しみにしてるんだぞ?』 「ああ、そうだな、だったら……」 言いかけた時だった。エレベーターから降り立った栗崎はフロアの先、自身の部屋のドアの前にうずくまる人影を発見する。 栗崎にはそれが誰かすぐに分かった。 「す、すまん、諒次、また掛け直す」 栗崎は慌てて携帯電話を切ると、「トオル!」と声を掛けた。 栗崎の声にその人影がゆっくりと頭を持ち上げる。 「おかえり」 そう言って、トオルが悪戯っぽく笑った。栗崎の心臓がトクンと音を立てて跳ねる。 「た、ただいま」 栗崎は少し照れたように答え、その隣で玄関の鍵を開ける。 「上がれよ」 「うん」 返事をして大人しく付いてきたトオルをリビングに通した。 「この前も思ったけど、綺麗に片付いてるよな」 トオルは辺りを見回しながら感心したように呟く。 栗崎の部屋の間取りは広めのリビングと寝室、後はキッチンと浴室、トイレがあるだけの単身者向けだ。 リビングにはこの前トオルと朝食を食べた小さなダイニングテーブルの他にソファとローテーブルが置かれている。 「そうか?何もないだけだろ。飯は食ったか?コーヒーでも飲むか?」 栗崎は問いながらネクタイを緩める。 「ん、腹は減ってない。コーヒーもらう」 「わかった」 栗崎はシャツの袖を軽く捲りながらキッチンに向かい、コーヒーの粉を戸棚から取り出した。 そして今朝使って水切りに置いておいたコーヒーメーカーのガラスジャグを手に取った。 「ねえ、リョウイチ」 トオルのその声が思ったより間近で聞こえ、栗崎は驚いて後ろを振り向こうとした。 しかし同時にトオルの腕が栗崎を背後から抱き締めた。 「!」 トオルの体温がシャツ一枚隔てただけの背に伝わってくる。 栗崎の肩に頬を当てたままのトオルが遠慮がちな声を出す。 「あの……、もう一度、言ってくれないか?」 「ん? 何をだ?」 慌てて手に持っていたガラスジャグをコーヒーメーカーにセットし、振り返ろうとするが、トオルの腕がそれを阻止する。 「恥ずかしいから、このままでいて? その……、リョウイチが言った。オレを、……好きだって……」 栗崎の肩口で耳を紅く染め、今にも消え入りそうな声で言ったトオルに、栗崎は一瞬驚いた表情になる。 (甘えて……いるのか?) 腹に回されたトオルの手のひらが熱い。 栗崎はその手を掴んで、無理やりにトオルと向き合った。 トオルは少し抵抗しながらも栗崎の眼前で恥ずかしそうに俯いている。 栗崎は頬に手を添え、顔を上げさせた。 そこにある、揺れながら何かを待つ瞳の中には栗崎だけが映っている。 (可愛過ぎだろ……) 栗崎の心臓は甘い棘で縛られた。 「トオル、俺はおまえが好きだよ」 その瞳を真っ直ぐに見つめて告げると、トオルはくすぐったそうに微笑んで目蓋を伏せた。 「……ありがと」 そして小さな声でそう言って、栗崎の腕の中に飛び込んでくる。 その身体を愛しさと共に抱き留めた。 「何度でも言う。好きだ……トオル」 栗崎はトオルの耳元で甘く溶けるような声で囁く。 「好きだよ……」 その晩、栗崎とトオルは何度も何度も身体を繋げ合った。 結局、栗崎はその盆、実家へは帰らなかった。

ともだちにシェアしよう!