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「それはそれは。案内板を増やさなければなりませんかね」 加藤が真顔で答えて、出された茶を啜る。 「あは、あはは……」 島田の笑いが空気の中に彷徨っている。 (公平そうだが、手強そうな人物だ) 「では、挨拶はこれで。私はそろそろ会議がありますので…」 加藤がもうソファから立ち上がろうとする。 栗崎は引き留めるよう、慌てて島田に目配せをした。 この波田野への営業は、様々な資料集めや戦略など栗崎が指導しているが、今後のため、実際の交渉は島田が当たるよう栗崎が指示をしていた。 「あ、あの、加藤局長!」 島田が少し裏返った声で加藤を呼び止めた。 「なんでしょう?」 「き、貴院は最近呼吸器内科の専門医を増やしてらっしゃり、学会でも先生方がよく論文を発表してらっしゃいますよね?」 「はい?」 「そ、そこで、わ、私共で呼吸器疾患に用いられる医薬品で、貴院がまだ導入されていない新薬の見積もりを持って参りました。この薬の素晴らしさはきっと専門医の先生方に見ていただければすぐにお分かりになると思います!ぜひ次回は製薬会社のMRを連れてこの薬のご説明に上がらせていただきたいと思っております!」 島田の言葉に、眼鏡の奥で加藤の瞳が微かに揺れた。 「もちろん、当社から採用していただければ臨床データや副作用情報、今後の先生方の勉強会などすべてこちらで手配させていただきます」 栗崎がそう付け加えると、島田がファイルから出した見積書を加藤に手渡す。それに加藤は興味深げに見入っている。 そして、つと、顔を上げると、「あなたたちが当院のことをよく勉強なさっていることがわかりました。この見積書はいただいておきましょう」と微かな笑みを浮かべた。 「あ、ありがとうございます!」 栗崎と島田が揃って頭を下げる。 「申し上げるまでもなく、他の医薬品も今後誠意を持って見積もりさせていただきます」 栗崎が笑顔で言うと、加藤が小さく頷いて立ち上がり、インターホンで誰かを呼んだ。 すぐに白衣を着た若い男性が部屋に入って来て、加藤に一枚の紙を手渡す。 それを加藤が栗崎達の目の前に差し出した。 「これは当院で取り扱っている医薬品の主な物のリストです。よければこれら全ての見積もりをお願いします」 「えっ!」 島田が驚きの声を上げる。栗崎も内心声を上げかけていた。 「何か?」 「い、いえ!ありがとうございます!」 「できれば週明け、月曜までに提出をお願いします。火曜の会議にかけたいですので。私はここに居ないことが多いので、その時は薬局の誰かに渡しておいてもらえれば助かります」 「はい!かしこまりました!」 栗崎と島田は加藤に深々と頭を下げた後、部屋を辞した。 そして、駐車場までやってくると、島田が我慢できないと言った感じに栗崎の手を握って、満面の笑みでぶんぶんと上下に振った。 「栗崎主任!やりましたね!」 「ああ、でもまだ一種類見積もり出しただけだからな。採用されないことには」 「でも、こんなにたくさんの見積もり依頼もらったじゃないですか!これまでの局長なら見積もりさえ、させてもらえなかったんですよ?これはうちにとって躍進ですよ!」 「そうだな…」 栗崎も支店の存続という大問題が絡んでいなければ、この一歩を手放しで喜べただろう。 (今後この見積もりがどれだけ採用されるか、だな…) 「それにしても、論文の中身まで突っ込まれたら、どうしようかと思いましたよ。実際、読んだのは主任ですし。俺、冷や汗かきましたよ!」 「その時は俺がフォローしたさ。さ、帰って支店長に報告だ」 「はいっ!」 栗崎は達成感に溢れた島田と共に営業車に乗り込んだ。

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