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栗崎達が薬局長室を訪れると、険しい表情の加藤が待ちわびていた。 「お呼び立てして、申し訳ありません。しかし、これを見ていただきたくて」 加藤はすぐさまソファの向かいに腰を下ろし、数枚の書類を差し出した。 栗崎達から向かって右手には自分達が出したサンアイの見積書。そして左手には、ヒノメディックの見積書。 「これが、どうかなさっ……」 栗崎の言葉が詰まり、目が見開かれる。 両方の見積もり額を見比べていくと、その違和感を感じ取った。 全ての品目に置いて、サンアイの見積もり額よりほんの数円ずつだけ、ヒノメディックの見積もり額が低いのだ。 「これは……!」 驚いた栗崎が加藤の顔を仰ぎ見る。 「価格が近似値になることはよくあるのですが、ヒノメディックの見積もり額は一品目も例外なく、あなた達の見積もり額より低く、しかもほんの数円。これは何かの操作があったに違いないと私は見ています」 加藤が嘆息混じりに言う。 「くそっ!ヒノメディックのやつら、何かしやがったな!局長!だったらこんな見積もり、無効にしてくださいよ!」 興奮した島田がヒノメディックの見積もり書を握り締める。 「しかし、証拠がない」 栗崎が冷静に言い、島田を落ち着かせるようにその肩に手を置いた。 「栗崎主任……」 悔しさを滲ませた島田が栗崎の顔を振り返った。 「栗崎さんの言うとおりなんです。それに申し訳ないですが、私の指示で必ず一円でも安いものを採用する方針を取り決めたばかりなのです。なので、今期はこの価格でヒノメディックから仕入れることに会議で決定しました」 「……っ!」 島田が唇を噛みしめた。栗崎も大きく息を吐いた。 サンアイより安く見積もったとはいえ、波田野の医薬品を一手に引き受ければヒノメディックの売り上げは相当なものだ。 そもそも、ヒノメディックはこれまでの波田野とのパイプを繋ぎ続けることに意味があるのだろう。 (結局、納入できるのは循環器の新薬、一品だけか……) 波田野で多くの見積もりが採用され、サンアイからの仕入れが始まれば、経営本部も南松岡支店を大きく評価するはずだっただろう。 しかし、これで支店閉鎖への道が否応なしに近づく。栗崎は今朝からの悪寒に加えて、ひどい頭痛が加わった。 「まずあなた達から情報が漏れたとは考えにくいですからね。どこからサンアイの見積もり額が漏れたか、当院でも検討することに致します」 険しい表情のままの加藤がそう付け加える。 「しかし、貴院にとっては、安く医薬品を仕入れることができてメリットしかないですよね?どうしてそこまでしてくださるんですか?」 加藤の言葉に栗崎がふと疑問を口にする。すると、加藤は腕組みをして息を吐いた。 「あなた方もご存知の通り、前任の局長とヒノメディックとの間にあった不透明な金の流れが、当院においても問題でした。私が就任したことでその悪癖が断たれると考えていたのですが……。まだまだ甘かったようです。今後の当院のためにも、患者のためにも私は何より公正な価格交渉を望んでいます。それにはこの根を必ず断ち切らなければなければなりません」 力強く言った加藤に栗崎は驚いた顔を向けた。 加藤は本気でこの病院を改革する気でいるのだ。 (こんな人物と仕事ができるのは幸せなことだな) 栗崎がそう心内で思った時、「そこで、お詫びと言う訳ではありませんが……」と、加藤が気を取り直したかのように、新たなリストを栗崎達の目の前に差し出した。 「これは資材の方のリストです。綿や精製水など、前回のリストには載っていなかった分でかなり少量ですが、よろしければこれらの見積もりも出してはみませんか?」 その申し出に栗崎と島田は頭を下げる。 「ありがとうございます、出させていただきます!」 「では、また週明けに」 加藤が席を立ったのを合図に、二人も立ち上がる。 「失礼しました!」 島田が大きな声で挨拶をしながら扉を閉めたが、その肩を大きく落とした。

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