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トオルが栗崎の目の前で微笑む。
「リョウイチは誰かに甘えるのって苦手だろ?いつも人の面倒ばっか見てるだろ?」
「………!」
栗崎はトオルの洞察力に驚き、言葉に詰まった。
家族にも職場でも、以前付き合った女性にも、栗崎にそんな風に言ってくれた人間はこれまでにいなかった。
長男の気質もあり、栗崎は人に頼ったり甘えたりすることが苦手だ。
いつも一人で何でもこなしてきた。
将来のこともそうだ。
このマンションを買って、家事にも精通し、誰にも頼らず自分の世話は自分一人でという考えだった。
(それが、全てを無くすかも知れない……)
現在の状況は栗崎をとことんにまで追い詰めていた。
残業に残業を重ねて挑んだ仕事はうまくいかず、自分を含め、多くの人間が職を無くす可能性が強くなっている。
そして、それにトオルが関わっているのかもしれないという漠然とした疑念。
(違う…トオルじゃない……!違う!)
栗崎は心の中の希望を反芻する。
(トオルはこんなに、俺のことを見ていてくれてたじゃないか……)
「病気の時くらい俺に甘えてよ」
目の前のトオルは優しい声音でそう言って、栗崎の熱を孕んだ頬をゆっくりと撫でる。
その感触を感じていると、胸の中にあったしこりが、溶けて流れていく気がした。
「……トオル…」
喉の奥に感情の塊が込み上げ、目頭が熱くなってくる。
それを隠すようにゆっくりと目を伏せた。
「トオル、俺はおまえが何者でも……やっぱり……どうしようもなく……」
栗崎は熱くなった吐息とともに言葉を紡ぐ。
しかし、最後まで声にはならない。
薬と疲労のせいか、栗崎はそのまま深い眠りの淵へと落ちていった。
――――
栗崎の体は深く冷たい水の底へと沈んでいく。
どんなにもがいても浮き上がることはできない。
辺りは真っ暗で前後左右さえわからない。
そこに突然大きな波が押し寄せ、栗崎の体は木の葉のように無残にその流れに飲み込まれていく。
下に沈んでいるのか、上に浮き上がっているのかさえわからない。
胸は押し潰されるように苦しい。
(誰か……!)
栗崎が縋る様に視線を上げると、水面なのか空なのか、遥か頭上から煌めく光が幾筋も差し込んでいるのが見えた。
光の中には人影がたゆたっている。
その人影は黒髪を藻のように漂わせながらこちらに向かって手を差し伸べてくれる。
(……!)
栗崎も手を伸ばそうとする。しかし腕がずしりと重く、思うように上がらない。
『リョウイチ……』
頭上の人影が囁いた。
『リョウイチ』
しかし、人影は栗崎の名を呼びながら、舞い上がるようにどんどん頭上遠くへと離れていく。
そして、煌めきの中に少しずつその姿が溶けていく。
「待ってくれ」
栗崎は声を出そうとするが、口からはただ泡が零れ出るだけで声にはならない。
『リョウイチ』
栗崎は頭上に向かって重たい腕を必死に伸ばす。
「行かないでくれ!」
しかし人影はあっという間に輪郭を失い、小さな光になった。
そして、栗崎の名を呼んでいた声が、最後に違う名を呼んだーー。
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