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―――― 真っ暗な寝室のベッドの中で、栗崎は汚れた服を脱いだトオルを後ろから抱き締め、その髪をゆっくりと撫でていた。 「気持ちいい……」 トオルがうわ言のように呟く。 「トオル、おまえは理事長の病状を知っていたんだろう?」 トオルの背中からそっと訊ねる。 「……うん。オレが異変に気付いて強引に検査を受けさせた時には、もう手遅れだった。きっと父さんは……、自分の体のことを前から知ってたんだと思う。それでいて、わざと病気を放っておいたんだ」 「どうして……」 「父さんは……、早く母さんの元に、行きたかったから」 トオルの髪を梳く栗崎の手が止まる。 「ぎりぎりまで入院もしないで、延命治療も拒んで……」 「……そう、だったのか……」 栗崎は静かに溜息を吐いた。 「父さん、死ぬ間際にオレに言ったんだ。やっと透君を解放できる、って」 トオルは言いながら辛そうに背を丸めた。 「オレは最後まで父さんの負担になってたんだ……!やっぱり、傍にいるべきじゃなかった……っ」 自らを苛むようなトオルの声が暗い室内に吐き出される。 「トオル、そんなことはない」 栗崎はトオルの耳元に優しい声音で告げる。 「俺の上司が理事長から聞いたそうだよ。理事長はおまえのことを本当の息子のように思ってたって。だから自分は幸せだって」 「!」 トオルの背中がビクリと波打った。 「おまえは、理事長にとっくに赦されていたんだよ」 「……っ」 「解放できる、とおっしゃったのは、早くおまえに、自分の人生を歩んで欲しかったからじゃないのか?」 「……っ、うっ」 トオルは何も答えず両手で顔を覆うと、嗚咽を漏らし始めた。 「トオル、こっちを向いてごらん」 トオルが顔を覆ったまましゃくり上げながら振り返ると、栗崎はすぐにその体を自分の胸へとかき抱いた。 トオルは栗崎の首に腕を絡ませて、肩口に顔を埋め、声を上げて泣き出した。 栗崎の肩には幾つもの涙の滴が落ちてくる。 カーテンの隙間から見える空は雪明かりのせいで、深夜なのに青白く光って見えた。 「ここ、痕が残ってるな。すまなかった……」 栗崎はトオルの白く滑らかな肩に自身の噛み痕が依然として残っているのを見つけた。 「早く消えればいいが」 申し訳なさそうにそこを指でさすると、トオルが泣き濡れた微かな声を発する。 「……ればいい」 「ん?」 「ずっと、残ればいいっ」 痛々しい声音で小さく叫ぶ。 「トオル?」 「……オレはもっと、リョウイチを傷つけたんだからっ」 トオルは呼吸を整えるように大きく息を吸うと、頬の涙を乱暴に拭い、栗崎の顔を見上げた。 「オレ、ほんとは、すごく嬉しかったんだ。リョウイチがオレの事を好きだって言ってくれて、一晩中抱き締めてくれたあの夜。リョウイチの腕の中はすごく、温かかった。あれからずっと、ずっと、リョウイチのことばっか考えて、リョウイチだけがオレの頭ん中に居たんだ……」 「……うん」 栗崎はただ頷いて、トオルの瞳を見つめ返す。 「オレ、父さんの余命を聞かされた時、ショックで狼狽えて……。その時、一番に心に浮かんだのはリョウイチだった。ダメだって思いながらも、電話をかけてた」 栗崎はあの夜の公園で、打ちひしがれていたトオルの背中を思い出す。 「オレは、リョウイチの手を取った時に、とっくに気付いてたんだ! 自分の気持ちに! オレには誰かを好きになる資格なんてないのに! 本当はリョウイチに好きになってもらえるような人間じゃないのに!」 トオルは悲痛に顔を歪めながら、栗崎の腕をすり抜け、ベッドに起き上がった。 「リョウイチに、オレの過去を知られるのが怖かった。話さなきゃってずっと考えてたけど、結局リョウイチに父さんのことが知られるまで話せなかった。どうしても、できなかった! ……だって、オレの罪を知ったリョウイチに嫌われるのがたまらなく怖かったんだ! そのくせリョウイチに甘えて、傷つけて……。オレはずるくて、最低の人間なんだ、駄目な人間だっ。オレは……」 尚も話し続けようとするトオルの頬に、栗崎は手を伸ばした。 そして、その瞳を下から覗き込む。 「俺は、おまえを愛してるって言っただろ?」

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