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「兄さんも俺の子供たち、可愛がってくれてるもんな。信も愛香も兄さんにベッタリだし、この前も礼次郎のこと可愛いって言ってたじゃないか。子育ては体力勝負なんだから、嫁さんには早く産んでもらった方がいいぞ?」 諒次が大きな声で笑う。 その時だった。 栗崎の背後から服を着替えたトオルが走り込んで来ると、諒次に小さく会釈をしてそのまま玄関を出て行った。 「おいっ、トオル!」 「あれ? 友達来てたのか」 諒次がキョトンとした顔でトオルの後ろ姿を見送る。 栗崎も慌てて靴を履くと玄関の外に出る。 「待てよ! トオルっ」 栗崎の呼びかけに振り返ることもなく、トオルはエレベーターに乗り込んでしまった。 (見合いの話が聞こえたのか……?) 「くそっ」 栗崎は悪態を吐きながら部屋の中に戻ると、コートを掴んですぐに玄関先に戻ってくる。 「兄さん?」 「諒次、すまない。やっぱり俺、見合いはしないから」 栗崎は手に持っていたアルバムを諒次に突き返し、走り出そうとした。 「何言ってるんだ、兄さん!」 しかし、栗崎の腕を諒次が掴んだ。 「向こうも乗り気なんだよ! やっと兄さんがその気になってくれたと思ったのに、急にどうしたんだよ!?」 諒次が掴んだ腕を引っ張り、憤慨した顔で栗崎に詰め寄る。 「すまん、諒次、離してくれ!」 栗崎は謝りながらも、トオルが走り去った先だけを見続ける。 「なんだよ、今、重要な話してんだよ! そんなにあの友達が気になるのか?」 諒次の言葉に栗崎はグッと唇を噛みしめ、振り返った。 「そうだ」 諒次の瞳を見据えて一言そう告げる。 「なんだよっ、兄さん!」 「それに、あいつは友達なんかじゃないっ」 栗崎は叫ぶと、諒次の手を振り払い、今度こそ駆け出した。 「兄さん! どういう意味だよ! どうしちまったんだよ!」 背中に諒次の戸惑った声が届いたが、栗崎は振り返らない。 (トオルっ! ずっと傍にいると約束したのに、どうして信じてくれないんだ……!) 栗崎はトオルを追い掛けてマンションを飛び出した。 小さな雪が舞い散る表通りに出ると、栗崎は左右を見渡した。 しかしどこにもトオルの姿は見当たらない。 栗崎はとりあえず地下鉄の駅へと急いだ。 トオルはいつもこの駅からやってくる。 改札に降り、流れる人ごみの中を背伸びしながら見渡すが見つからない。 (もう改札を越えて電車に乗ってしまったのなら、ここにはいないか) 栗崎は地上に戻り、トオルに電話を掛けてみた。 呼び出し音は鳴り続けるが、一向に出る気配はない。 「くそっ」 栗崎は電話を切ると当てもなく走り出した。 じっとして居られなかった。 (どこに行ったんだ……! 俺はおまえがいないと……!) またトオルを失うかと思うと恐怖で胸が潰れそうだった。 (もう離さないと決めたのに……っ!) どれだけ走ったか、栗崎は息を切らしながら街路樹に手を掛け、寄りかかった。 「はあ、はあ…はあ……」 栗崎の吐く白い息が顔の周りを覆い、鼻先や指先は痛い程に冷え切っていた。 歩道には様々な色の傘を差した人々が、雪で濡れていく栗崎を見やりながらもその傍を通り過ぎて行く。

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