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第2話 ランチタイム

 平日ランチタイムのピークもようやく落ち着きをみせる午後一時半、カジュアルな服装の客が一人店に入ってきた。 「いらっしゃいませ、空いているお席にどうぞ」  カウンター席と二人掛けのテーブルが二つしない小さな店だ。連れのいないその男は迷うことなく空いているカウンター席に腰かけた。  定食と軽食とコーヒーだけのメニューがテーブルの上に置いてある。昼ならば昼定食のみ。今日はアジの南蛮漬け、茶碗蒸しに、揚げと人参の味噌汁に五目ご飯。壁には写真と献立のボードが掛けてある。さて、この客は遅めの昼かコーヒーか。  カバンや上着をおさまりのいい場所に置いた頃合いを見計らって改めて視線を送ると、お互いに目があって動きが止まった。そこには見覚えのある顔があった。 「もしかして、郁人?」  こちらを向いて目を丸くしていたのは大学時代の友人、相馬郁人だった。カウンター越しに顔を見合わせて同時に笑い出す。数人いた客が何事かとこちらを見る。 「海斗! 久しぶりだな、ここお前の店なの?」 「いや、俺のっていうか、雇われだけどな」 「いやいや、さすがだよ。そういや大学ん時もよく飯食わせてくれたっけ」  それはお前限定だ。喉元まで出かかった言葉をぐっと飲み込んだ。  くるくると表情の変わるこの男は、馬鹿みたいに長い俺の片思いの相手だった。  郁人とは大学の冒険サークルで知り合った。夏はケービング、トレッキング、沢登り、冬はスノーボードに飲み会。バイトしてお金をためては都度参加できるメンバーを募って旅をする。雑魚寝もしたし、同じ釜の飯も食った。学部違いだけれど、お互いの部屋を行き来するくらい仲が良かった。  大学四年間に、こいつは三人の女の子に告白されて、そのうち二人と付き合って、別れた。その間俺は郁人への気持ちを料理にぶつけ、めきめきと腕をあげた。余分に作ったから、飯の時間だから食ってく?、試食してもらって感想を聞きたい。理由はいくらでも浮かんできた。そうやって郁人を部屋に呼んでは惚気話や愚痴を聞いていた。 「郁人は食品会社だっけ?」 「転職した。今は不動産営業。資格の勉強しながら働いてる」 「宅建?」 「うん、今週末試験だから予備校行ってんの」 「働きながら勉強してんのか、すごいな」  俺はといえば、大学を出て調理の仕事に就き、今はこのカフェと定食屋の中間のような店の雇われ店長だ。おいしいコーヒーと、おしゃれな盛り付けでしっかり食べられる定食が売りで、近所の会社員と外回りの営業をターゲットにしている。ごつい男の作る出汁のきいた家庭料理が面白いのか、幸い繁盛している。  自分の分を淹れたついでに、郁人とまだ残っていた客にサービスでコーヒーを出した。 「あ、どうも......」 「お! いい匂い」 「ほんとそうですね、ここのコーヒー好きなんですよ」  二席挟んで横並びになったカウンターで、郁人は初対面の客と話を始めた。俺の記憶にある、学生同士の、仲間内でしか通じない盛り上がり方ではなく、ごく自然に当たり障りのない会話を楽しんでいる。さすが営業だな、と変なところで感心した。  「飯も、コーヒーもうまかった」と言う郁人は、少し靴を見てから午後の授業に向かうという。  俺と郁人だけになった店内。これから片づけをして昼飯を食べたら休憩して、夜の仕込みだ。そんな状況で、俺は何を言えばいいのだろう。連絡する? また会おう? それとも、今夜うち来ない?  カウンターの上には節の目立つ郁人の手。オフィスワークだから、俺と違って手荒れもなく、きれいに整えられている。短く切りそろえられた爪と、指先の丸みを見ているとどうしようもない気分になってくる。  「何なら晩飯も来いよ、二十時半までやってるから」  できるだけ軽く、でも社交辞令に聞こえないようにちゃんと目を見て言った。郁人の目が飛び切りのおやつを目の前にした子供のように輝いた。 「まじで? 夜定食はなに? って、結局何でも食べに来るけどさ」 「ホッケ、肉味噌豆腐、キンピラごぼうに汁物」 「おかん飯だな、最高! 腹すかせてくるから」  そういって店を出てゆく郁人の背中を見ながら、俺は心の中で小さく喜びの叫び声をあげていた。

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