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第4話 ワンルームに二人
郁人は部屋に入ると、慣れた様子で上着を脱ぎ、クローゼットからハンガーを出してかけた。部屋の中を見回すのは職業病だろうか。
「きれいに住んでるな。職場も近いしいいとこじゃん」
「まあね、郁人はどこに住んでんの?」
「K駅、前の職場の近く。でも今の職場はこっちなんだよ。海斗の店も近いから晩飯食いに行けるわ」
「おう、毎晩こいよ」
冷静に答えるふりをしながら、俺の心拍数は上がっていた。
ここはワンルームのアパートだ。広くはないけれど、昔一緒にもぐりこんだテントよりはましだろ? 終電なくなったら泊ってけよ、とか。でも二人きりでずっといたら余計なこと言って嫌われるんじゃないか、とぐるぐる考えてしまう。
そんな俺に気付いていない郁人は、とりとめのない話を続けていた。俺は半分上の空で相槌を打ちながら、冷蔵庫にある材料でつまみを作ってゆく。
「俺、卒業してからあっちこっちで昼飯食ってたんだけど、何か味が薄かったり、へんに塩っぽいな、とか感じてたんだよ。で、ある日思ったんだ。ちょい待て、これ何基準だよって」
背を向ける俺に無邪気に話し続ける郁人に気を取られ、指の背がうっかりフライパンの縁に触れていた。熱いと感じる前に脊髄反射で手が跳ねる。
「あち!」
一拍遅れて訪れるリアルな感覚にぱたぱたと手を振った。
「火傷?」と心配そうな郁人の声。
「ん、大したことない。慣れてるから」
水ぶくれもできない程度のものだろう。そんなの、この二年で数えきれないほど経験した。こうやってご飯を作り、友達の顔して一緒に過ごすのと同じくらい慣れてる。
そうこうしている内に固く瑞々しかったネギがくったりとして、箸でつまむとなかから溶けだしそうな柔らかさになっていた。
先に作ったトマトとチーズのカプレーゼ、卵サラダの乗った座卓に、出来たての焼きネギを追加した。
「久しぶりの海斗の飯!」
「お前、さっき晩飯食ったばかりだろ」
「あれは店用で、これは俺用だろ?」
「......まあ、な」
卓につくといつの間にか並べられていた小さなグラスに日本酒が注がれた。ガラスの縁を軽く合わせてから一息に飲み干す。すっきりした辛口、俺の好きなやつだ。こんなのも飲めるようになったんだ。昔は甘いお酒をちびちび飲んでいたくせに。
知らない一面を見つけるたびに、二年分の空白を思い知らされる。郁人は空になったグラスを置き、俺の作ったつまみを黙って見ている。切れ長の瞳が弧を描いて細められた。
「何?」
俺の問いかけに郁人は意味深にこちらを見て、トマトとモツァレラチーズをまとめて口の中に放り込む。
「うまいっ!」
「さっき夜定食食ったくせによく食べるな。太るぞ」
「残念でした、ちゃんと運動してるから立派な筋肉になる」
「へぇ、何してんの?」
「ボルダリング、仕事帰りにできるし楽しいよ」
昔からやせの大食いだった郁人は、相変わらず締まった体をしている。不動産営業って内勤のイメージだけど、よく見ればシャツ越しでも筋肉がついているのが分かる。
「そういえば今日は朝飯抜きだったから、お前の作ったものしか食べてないや」
世紀の発見でもしたかのように郁人が笑う。人差し指をまっすぐに伸ばし、俺の心臓のところを指さした。
「つまり今の俺の身体、全部お前でできてるんだな」
ずくん、と大きく心臓が跳ねたのは、触れられたからか、いたずらっぽい光はらんだ郁人の瞳のせいか。布越しに触れられた箇所から熱が広がってゆく。二年かけて郁人のいない生活に慣れていった。なのに、指先の感触だけで一緒にいることが当たり前の身体に変化してしまいそうだ。
動揺を悟られないように、自分の箸を手に取り食べるでもなくズレたトマトの位置を直した。
「…...たかが二食食ったくらいで、大げさなんだよ」
「だって腹減るんだもーん」
「……食えよ、足りなきゃまた作るから」
そういいながら、言いしれない欲望が身体の奥に湧き上がってくる。こいつの身体に入る全てを俺のものに。乾きも飢えもすべて俺が満たし、暗く深い欲望の穴を塞ぎたい。雄としての本能を呼び覚ましそうな想像を、かぶりを振って追い出した。
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