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第2話

 気づけば珍妙な小屋の中にいた。ここは何処だと、スイが視線を巡らせて起き上がると、身体中の節々が痛んで顔を顰めた。それに、左脚と左の顳顬こめかみ辺りが堪らなく痛い。 「痛ぇ」  思わず声を上げれば、すぐ近くから人間の男の声が聞こえた。 「起きたか! 具合はどうだ?」  スイに近寄り、男はべたべたと身体を触ってくる。距離の近さがどうにも不快で、スイはその手を乱暴に払った。 「止めろ」 「すまん、傷を触っちまったか? おとつい、大雨が降っただろう、それでお前さんは川に足を滑らせたんだろうなぁ。ここに流されてきた時には、身一つで冷たくなってたもんだから、てっきり土座衛門が上がったのかと思ったんだ。ははは。でも、心の臓が動いてる音がしたから、こりゃ大変だってうちへ運んで、でもなぁ、金がねぇからいい薬が無くてなぁ、足と頭から血を流してるし、こりゃ助かるかなぁって心配だったんだ――」  背を向けて、ぐだぐだと何か言葉を続けている男の姿に、スイはしめたとばかりにほくそ笑んだ。  河童にとって、人間の尻子玉は極上の食料だった。  スイは男の背後から襲い掛かり、自分の寝ていた粗末で薄っぺらい布団の上に押し倒した。襤褸の着物が破れ、男の尻が丸出しになる。人間の柔らかそうな白い尻は久々で、スイの喉が鳴った。  あまりにも簡単に事が運び、スイの口からは笑いが零れそうになった。河童の俺を見て逃げないお前が悪いと舌舐めずりし、スイはその太い指を男の尻へと近づけたのだが。 「どっ、どうしたんだい!?」  男は焦った声を出すものの、組み敷かれても抵抗しない様子にスイは首を傾げ、男の顔を覗き込むと濁った白い目とかち合った。だが、男の目はスイを捉えることはなく、彼方此方に忙しなく動いていた。  男は盲目だった。スイは先ほどまでの浮ついた気持ちに水を差されたような気がし、男の上から退いた。 「…デケェ蜂がいた」 「なんだって、そりゃ大変だ! もう外へ出て行ったかい?!」 「ああ」  起き上がって胸を撫で下ろした男は、見えていない目を細めてスイに笑いかけた。つるんとした皺のない白い頬が朱色に染まっているのを見たスイは、心の臓のあたりに微かな痛みを覚えた。 「そりゃ助かった。お前さんも無事かい? おれは目が見えねえから、この襤褸小屋を直すこともできねぇんだ。不便があって悪ぃけど、ゆっくり休んでいってくれよ」 「…ああ」  騙されたのに笑いやがってと舌打ちしつつも、スイは傷の痛みとは違う臓腑の甘い痛みを抱えながら、再び布団の上へと横になった。 * 「起きたか、腹は減ってねぇか、飯はたいしたもんはねぇが、よかったら食べてくれ」  目が覚めたスイの前に出されたのは、屑野菜の入った泥水のような雑炊だった。 「なんだこれは」 「はは、悪ぃな。でも、このおミヨさんの漬物は絶品だぞ」  形の悪い大根が二切れ。スイは温い雑炊を流し込み、漬物を齧った。 「おれはおミヨさんのところへ行ってくるから、好きに休んでてくれ」  男はスイに声をかけると、しっかりとした足取りで杖を片手に、男が編んだいくつかの草履や傘を背負って出て行った。  スイは空になった椀を放り投げ、痛む足を引きずりながら川へと向かった。  水の匂いを辿り川に到着したスイは、腕だけ水面に突っ込んだ。大雨のせいでまだ水は濁っていたが、簡単に魚を捕まえたスイはむしゃむしゃと食った。  一人で腹いっぱい食べたのに、スイはちっとも満足しなかった。

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