5 / 9

第5話

 男の咳は日に日に酷くなっていった。長引く咳に血が混じるのに気づいたスイは、男にいつもより多くの魚を獲って帰った。  けれど、その魚をまた近所の人間に配ると言い出した男に、スイは腹が立ち、男に食って掛かった。 「なんであんたは自分で食べねぇんだ、そんなんだから咳が治らねぇんだろ!」  胸倉を掴まれた男は力なく笑った。スイが好きだった頬は青白く、スイはいよいよ熱いものがこみ上げてきそうになり、男から視線を逸らした。 「ゴホッ、お前さんの気遣いはありがてぇよ。でもなぁ、ゴホゴホッ、おっとうもおっかあも、おれが小せぇ時分に死んじまってよぉ。目の見えねぇおれを、村の皆がずぅっと助けてくれてんだ。おれは、周りに世話にならねぇと生きていけねぇんだよ。お前さんが獲ってくれた魚で悪いけど、おミヨさんたちにはいつも親切にしてもらってるから、ちっとばかしでも恩返ししたいんだよ」 「あんた…おミヨとかいう女に、惚れてんのか」  スイが訊くと男は耳まで真っ赤になってしまった。先ほどまでの顔色の悪さはどこへやら、熟れた柿より赤い男の照れた顔を見たスイは、無性に苛々した。 「はは、おミヨさんは優しいお人だから、でも、そういうんじゃねぇ。ほ、惚れてるとか、そういうんじゃ…」  その時、表から女の声がして、スイは男から手を放し慌てて裏口から出た。乳も尻も大きい女の登場に胸が騒ぎ、河童の姿を見られてはいけないと思いつつも、スイは隙間から中の様子を窺った。 「弥次郎さん。あんた労咳じゃないかい。今まで可哀想に思って助けてきたけどね、これっきりでお終いにさせてもらうわ」  女は手拭いを口に当てながら手短にそう告げ、僅かな金を置いて立ち去った。  スイは、男があれだけ親切にしていたのに、なんと薄情な女なのだろうと怒りで目の前が真っ赤に染まり、女を殴りに行こうと駆け出そうとした。だが、家の中から男が大きく咳込む音が聞こえて我に返った。  スイが頭を冷やして家の中に戻ると、男はスイの気配を感じて布団に顔を伏せた。薄い布団は所々、血の赤で染まっていた。 「お前さん、おれはもうだめだ、聞こえただろう、労咳だと。早く故郷に帰ってくれ!」 「嫌だ」 「お願いだ、頼む! とうに怪我は治ってんだろう、だったら、」  スイは蹲る男の背を包み込むように覆いかぶさった。離れろ、離れてくれ、と喚く男の言葉は無視し、強く抱き締めた。震える身体は小さく、今にも壊れてしまいそうだとスイの胸は痛んだ。そして思い出した。河童の里には長老の家に代々継がれている秘薬があることを。 「あんたは一人で此処で死んでいくつもりか。俺はあんたに借りを返せていない。借りを返すまでは絶対に死なせるものか」

ともだちにシェアしよう!