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第5話
男の咳は日に日に酷くなっていった。長引く咳に血が混じるのに気づいたスイは、男にいつもより多くの魚を獲って帰った。
けれど、その魚をまた近所の人間に配ると言い出した男に、スイは腹が立ち、男に食って掛かった。
「なんであんたは自分で食べねぇんだ、そんなんだから咳が治らねぇんだろ!」
胸倉を掴まれた男は力なく笑った。スイが好きだった頬は青白く、スイはいよいよ熱いものがこみ上げてきそうになり、男から視線を逸らした。
「ゴホッ、お前さんの気遣いはありがてぇよ。でもなぁ、ゴホゴホッ、おっとうもおっかあも、おれが小せぇ時分に死んじまってよぉ。目の見えねぇおれを、村の皆がずぅっと助けてくれてんだ。おれは、周りに世話にならねぇと生きていけねぇんだよ。お前さんが獲ってくれた魚で悪いけど、おミヨさんたちにはいつも親切にしてもらってるから、ちっとばかしでも恩返ししたいんだよ」
「あんた…おミヨとかいう女に、惚れてんのか」
スイが訊くと男は耳まで真っ赤になってしまった。先ほどまでの顔色の悪さはどこへやら、熟れた柿より赤い男の照れた顔を見たスイは、無性に苛々した。
「はは、おミヨさんは優しいお人だから、でも、そういうんじゃねぇ。ほ、惚れてるとか、そういうんじゃ…」
その時、表から女の声がして、スイは男から手を放し慌てて裏口から出た。乳も尻も大きい女の登場に胸が騒ぎ、河童の姿を見られてはいけないと思いつつも、スイは隙間から中の様子を窺った。
「弥次郎さん。あんた労咳じゃないかい。今まで可哀想に思って助けてきたけどね、これっきりでお終いにさせてもらうわ」
女は手拭いを口に当てながら手短にそう告げ、僅かな金を置いて立ち去った。
スイは、男があれだけ親切にしていたのに、なんと薄情な女なのだろうと怒りで目の前が真っ赤に染まり、女を殴りに行こうと駆け出そうとした。だが、家の中から男が大きく咳込む音が聞こえて我に返った。
スイが頭を冷やして家の中に戻ると、男はスイの気配を感じて布団に顔を伏せた。薄い布団は所々、血の赤で染まっていた。
「お前さん、おれはもうだめだ、聞こえただろう、労咳だと。早く故郷に帰ってくれ!」
「嫌だ」
「お願いだ、頼む! とうに怪我は治ってんだろう、だったら、」
スイは蹲る男の背を包み込むように覆いかぶさった。離れろ、離れてくれ、と喚く男の言葉は無視し、強く抱き締めた。震える身体は小さく、今にも壊れてしまいそうだとスイの胸は痛んだ。そして思い出した。河童の里には長老の家に代々継がれている秘薬があることを。
「あんたは一人で此処で死んでいくつもりか。俺はあんたに借りを返せていない。借りを返すまでは絶対に死なせるものか」
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