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第7話
美形の父親がトミーの頭に手を置き、声を低くした。
「どういうことだトミー、何があった?」
「ボク……」
もじもじしながら、トミーが話した。
「ボク、ヤークと川で、あそんでた……」
「トミー、川で遊んではいけないと何度言えばわかるんだ? マーサには言ったのか?」
「こっしょり、でてきたの」
「――それで?」
「こぶねがあったから、のったの」
「トミー!!」
美形の父親の怒気を含んだ声が響いた。整った顔立ちが強張り、見ている晴斗もこくりと喉を鳴らす。トミーも大きな目を見開いて、怯えるように父親を見上げ、小さな唇をきゅっと引き結んだ。
「約束をふたつも破っている! ひとつは家政婦のマーサに行先を告げずにひとりで家を出たことだ。それから川に近づかないと約束していたのに、それも破った。川には水獣バールがいる。わかっているのか、トミー!」
「ご、ごめんなたい、パパ……!」
ぷるぷると肩を震わせるトミーを見て、晴斗は思わず声をかけた。
「あの、すみません……トミーは反省していますので、あんまり強く叱らないでやってくれますか」
父親の青色の双眸が晴斗を見つめ、形の良い眉根が寄った。
「――君は?」
「あ……あの、僕は……トミーの……その……」
間近で見ると迫力すら感じる完璧な美貌に言い淀む晴斗の、くるぶしまである水着を睨むようにして、彼が低い声音で尋ねてきた。
「珍しい服だ。君はこの国の人間か? それとも他国の者なのか」
「えっと、僕はこの国の者ではないんです。それからこれは水着なんです。水族館の海獣班のスタッフ用のウェットスーツで」
「すいぞくかん……? 何のことだ?」
「ぼ、僕の職場です。僕は水族館でドルフィントレーナーを……」
「グアァァァッ」
大鳥が突然、晴斗の方を向いて威嚇するように声を上げたので、びくっと晴斗の肩が波打つ。
鋭い牙に思わず後じさりする晴斗の横から、「ノアール、落ち着け」と美形の父親が声をかけた。
言葉を理解したように、ノアールという大鳥が晴斗を威嚇するのをやめたので、ほっとする。
トミーが晴斗の脚にしがみつくようにして大きな声で言った。
「ハルトにーたん、たしゅけてくれたの!」
「助けた? 彼が?」
つぶやいた美形の彼に、トミーが笑顔でこくこくと頷いて、小さな体を動かし、身振りで泳ぎを表現する。
「こうやって、たしゅけてくれたの。こぶね、ぶくぶくって」
驚いた表情になった美形の父親が、口元を手で覆った。
「そうか……」
彼は晴斗の前でいきなり片膝をついた。
「えっ、あの……?」
「息子を救ってくれて、ありがとう――。私はデューク・ラルム。トミーの父親です」
慇懃な態度に晴斗は瞠目する。顔立ちが整いすぎているため、どこか冷たい雰囲気が感じられる彼だが、怪しい服装をした年下の自分に、こんなに丁重に跪いてまで礼を告げてくれるなんて。
コトリと心臓が跳ね、指先がぴくっと震えた。
――どうしたんだろう。僕……。
鼓動がドクドクと速まり、周囲から音が遠ざかって、目の前の金髪の彼しか視界に入らなくなってしまう。こんなことは初めてだった。
「えっと、デューク、さん……、そんな、いいので……た、立ち上がってください」
晴斗が声をかけ、静かにトミーの父親……デュークが立ち上がった直後、砂埃とともに馬の蹄の音が聞こえてきた。
「――デューク団長! 救助依頼の狼煙が!」
馬に乗った男たち五名ほどが、こちらへ駆けてきた。彼らは低木のそばで止まって馬を繋ぐと、デュークの前に並んで敬礼した。その中のひとりが声を張る。
「報告いたします、デューク団長、これより少し先の道端で香炉が置かれていました……! もしや、その男が関与しているのでは……?」
濃紺の詰襟服を着て腰に長剣を挿した物々しい大柄な男たちが一斉に、デュークのそばに立ち尽くしている晴斗を見つめた。その強い視線に、晴斗は青ざめた。
男のひとりが晴斗に詰問する。
「我々はフィアル王国の上級騎士団員で、デューク様の部下だ。お前は何者だ!」
「ぼ、僕は、あの……」
「おい、あの服装はズローベルト国の軍服に似てないか?」
晴斗のウェットスーツを見てひとりが叫ぶと、他の四人も渋面で頷いた。
「そうだ、こいつは敵国の間諜だ。捕縛して本部へ送り、取り調べを……」
「待て!」
デュークが一喝すると、騎士団員たちはハッと口をつぐんだ。
「この者は奇抜な服装をしているが、息子を助けてくれた恩人だ」
「し、しかしデューク団長、怪しい男です。取り調べた方が……」
「ハルトにーたん、あやしい、ちわう」
大きな声を出したのはトミーだ。騎士団員たちの間をするりとくぐり抜けて、晴斗の方へ駆け寄ると、小さな足を踏ん張って晴斗の前で両手を広げた。
「ハルトにーたん、わるいこと、してないっ」
晴斗を守ろうとしてくれているトミーの姿に、胸がじわりと熱くなる。
「そ、それは誠でございますか」
団員たちが困惑した表情を浮かべ、晴斗の方を見ている。
「しかし、青紫の狼煙が上がりましたが」
「ハルトにーたんは……」
「わかっている、トミー」
ポンとトミーの頭を撫で、デュークが晴斗の方を向いた。
「君はハルトというのか?」
「は、はい。僕はハルト・タチバナです」
「ハルト、青紫色の狼煙は騎士団へ救助を求める合図だ。私は息子がいなくなったと連絡を受け、空中から探していて狼煙に気づいた。部下たちは見張り塔から狼煙に気づき、駆けつけたようだ。そうだな?」
デュークが穏やかに問うと、騎士団員の男たちも落ち着きを取り戻し、「はっ、そうであります」と首肯した。
「あの狼煙が……」
晴斗を見て驚いた馬車の御者が、怯えて救助の狼煙を焚き、そのまま逃げてしまったようだ。
騎士団員の中で、一番太った男が、訝しそうな視線を晴斗へ向けて尋ねた。
「おい、お前、その香炉を使った人に危害を加えたりしていないんだろうな?」
「僕は何もしていません。たぶん僕の服装を見て驚いたんだと……」
「本当だろうな」
「はい、僕は……あっ」
言いかけた晴斗が気配を感じた。
――後ろから、何か来る!
勢いよく振り返り、川を凝視する。
「おい、どうした? まだ話は……」
「し、静かに!」
晴斗が鋭く言うと、騎士団員たちはきょとんと顔を見合わせた。その直後――。
川面に黒い影が現れ、団員たちの顔が一気に強張った。ざばっと大きな水しぶきを上げて、竜のような巨大な生き物が水中から顔を出したのだ。
「す、水獣バールだ! うわあああぁぁぁっ」
騎士団員たちの悲鳴が耳朶を打ち、晴斗はその巨大な獣に目を見開いた。
全身を藍色の鱗に覆われた巨大な獣が、体をうねらせながらこちらへ泳いでくる。ものすごく速い。あっという間に岸に着くと、鋭い爪が生えた強靭足で地上に這い上がってきた。
四つん這いで鱗に覆われた巨躯を左右に揺らしながら、草むらを移動している。
「水獣……? ……水中だけじゃなく、陸地も走れるの?」
「ガアァッ、ガアァッ」
禍々しい唸り声に足が震えて、逃げないとダメなのに、化け物を唖然と見つめることしかできない。
「ハルトにーたん! にげてっ」
トミーの必死な声が届き、騎士団員からも声がかかる。
「おい、お前、何を突っ立っているんだ! 早く逃げないと!」
だが足が動かない。草を掻き分け、巨大な獣が近づいてくる。
やられると思って、思わずぎゅっと目を閉じた瞬間、ぐっと腕を引っ張られ、逞しい温もりに包まれた。
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