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第二章 愛に怯える狼 3
貴族の屋敷にあるみたいなシャンデリアと長い背凭れの椅子が六脚置いてあるダイニングテーブル。二人では広すぎるその部屋で、俺と山田は向き合って朝食を取る。
テーブルの上には山田家の為に作られた高級な食パン、値段のお高い野菜のサラダと高級肉屋のソーセージ。とどめはエッグスタンドに乗った半熟卵だ。エッグスタンドは1930年代の銀のアンティーク。初めて見た時使い方がわからなくて山田に爆笑されたが、今は普通に食える様になった。テーブルに置かれている花瓶の毎日変わる花にも、目の前の暖炉の上にある謎のどデカイ絵画も一ヶ月も経つともう慣れた。
山田には、両親と二歳離れた弟がいるが、俺と食事を取ることはなくいつも二人きりだ。
父親は愛人と別の家に住み、母親は優雅に海外バカンス中。弟はすぐ隣にある日本風の離れの屋敷に一人で住んでいる。世界に通ずる大企業の社長の家族はバラバラに住んでいるらしく、金があっても『普遍的な家族の幸せ』は手に入れられないのだな、と思う。
俺が住まわせてもらっている屋敷は本宅なので、敷地が千坪あって地下一階、地上二階建て。金持ちの象徴、プールもある。庭の広さはわからない。とりあえず、迷子になる広さとだけ言っておこう。
登校は山田と共に、見た目は地味だが目玉が飛び出る程の金額の超高級車で学校へと送られる。サボりたくても嫌でも学校へ行かなければならず、一緒に住み始めてからは帰りも車で山田と一緒。連 んでいた他校の仲間とは無理矢理縁を切らされて、山田の許可無しに勝手に連絡を取ってはいけないらしい。〝らしい〟というのは俺はそれに全く納得していないからだ。どうしてそんな事を勝手に決めるんだと抗議したが、山田の「写真」の一言でまた俺は何も言えなかった。
俺の人生を狂わす張本人をちらりと見るとアホな面をして寝ている。登校中の車中での山田はやる気がないらしくいつもこうだ。俺は窓から流れる景色を見ているだけ。この生活は一体いつまで続くのだろう。
「結局、昨日もされたんですね」
運転席の如月がミラー越しに薄く笑う。
「るっせぇな…黙って運転しろや」
「すみません。興味があるもので。悠矢様がそんなにご執心になる程の貴方の身体に」
「男の身体なんかに興味持ってどーすんだよ。お前もホモなの?」
「ホモ…それは差別的な言葉ですね。ゲイが正しいかと」
「じゃあゲイなのかよ」
俺の問い掛けに如月はバイです、と返してきた。また新しい単語。俺が顔を顰めると「男も女も好きってことです」と言葉を続けた。
如月が言っている事は、いつも冗談なのか本気なのかよく分からない。朝から疲れた俺はそのまま窓の外を見て無視する事にした。
気づくと山田の頭が俺の太腿の上に載って気持ち良さそうに寝ている。学校まで僅か十五分。その間に寝るなんて、毎日寝る前にセックスなんてするからじゃないのか。
いつからだろう。俺がこうされてもこいつを無理に起こさなくなったのは。
いつからだろう。寝てるこいつの頭を撫でる様になったのは。
俺の毎日に、こいつの存在が当たり前の様にある。その当たり前は俺にとっては恐怖だ。
山田は俺の周りから人をどんどん排除していく。甘い言葉で俺の脳みそを砂糖漬けにして、まるでシャブみたいに身体が疼くセックス。
孤立させて、自分に依存させてから捨てられる。俺はやっぱりただの玩具。
「莉玖様も大変ですね。悠矢様のお遊びに付き合わされて」
如月の言葉に反応してミラーを見ると、また薄く笑っている。
(お遊び、ね…)
分かりきった事を改めて他人から言われると、自分の存在が笑えてくる。俺は遊びのセックスの相手をする為だけに、他人の家に無理矢理連れて来られたという訳だ。
「……本当金持ちの考える遊びはすげぇよな。一緒に住ませるなんて…頭イカれてるわ」
「将来の結婚相手が決まってますから、それまで遊びたいんでしょう。来週の日曜もその方と会食のご予定です」
結婚相手…まぁそりゃ大企業の御曹司ともなると既に相手が決まっているだろう。だからってその遊び相手に俺みたいな男を選ぶなんて、山田は少しおかしいと思う。
俺が言葉を返さずにいると如月は「ショックですか? 結婚相手がいる事に」と訊いてきた。
「ショック? ンな訳あるか。寧ろ一生性奴隷じゃなくて安心したわ」
「悠矢様に解放されたら、次は私が相手をしましょうか?」
「きっも…俺は好きでケツ穴使わせてるんじゃねーよ。誰がヤるか」
「あんなに善がっているのに? 莉玖様って見かけによらず喘ぎ声激しいですよね。一度その姿を目の前で拝見したいです」
俺の顔が一瞬で曇る。あの声を如月に聞かれていたかと思うと恥ずかしさより情けなくて、涙が出そうだ。しかし一体どこで聞いているんだ? 部屋の前にでもいるのかよ。
「ヤってる時、お前聞いてるのかよ…趣味悪りぃ…」
「暴れる狼が大事な主人に刃向かうかもしれませんからね。だけど莉玖様は今のところ狼どころか、寧ろ淫乱な雌犬なのでその心配は無用ですね」
淫乱な雌犬。完全に自分を侮蔑した如月の言葉に思わず声を荒げそうになった。だが車はすぐに学校へと到着して、山田を起こす様に促された。
車を降りて門へと歩き出すと、山田から「昼休み、いつもの所へ来いよ」と念を押された。こいつにとって俺は結婚前の遊び相手。
(雌犬か……)
そんな風に例えられる自分って何なんだろうと少し虚しくなった。ペット、玩具、性奴隷。どれもロクなもんじゃない。
「好き」「可愛い」「愛してる」
山田からの言葉はどれも嘘。全てその場のノリで本心なんかじゃない。
やはり、本気になんかしなくて良かった。
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