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第二章 愛に怯える狼 5

 如月に提案されてから俺はすぐに山田個人の別荘へと連れて来られた。  高速道路にのって二時間ほど。前も連れてこられた日本庭園がある旅館みたいな屋敷だ。  学校へも上手く連絡してくれるらしく、とりあえず一週間ここでゆっくり過ごす事になった。  食事や洗濯をしてくれる人間を置いてくれるので身の回りの事には困らない。寧ろ俺一人の世話をする為だけに働かされる使用人に申し訳なく思う。 「莉玖様、お食事の用意が出来ました」  襖から聴き覚えのある声に反応すると、如月がそこに立って薄く微笑んでいる。 「お前…山田の側じゃなくて良いのかよ…」 「莉玖様が逃げない様に監視しろと命じられましたので、私も暫くここに居ます」  その言葉に少しホッとする。流石に話し相手すらいない一週間は暇でしょうがない。 「顔に出てますよ。一人じゃなくて良かったと」 「はぁ? ンな訳ねーだろ…つーか監視って、山田に何て言ったんだよ…ここに居る事知らせたのか? 俺、会いたくねぇ…」 「セックスのしすぎで莉玖様の肛門が傷ついたので、病院に一週間入院させると言っておきました。思い当たる節があるようで納得してくれましたよ」  何て格好の悪い理由だ。とどのつまり痔って事じゃないか。もっとマシな言い方はなかったのだろうか。痔で入院なんて、手術レベルに悪化してるし怪しまれないだろうか。クソ、適当な事を言いやがって。  俺の恨みを込めた目線をわかっている癖に、如月は笑顔で食事が用意された部屋へと促した。 「山田の奴、その病院に行ったりしねーのか? 見舞いとかされたら嘘だってバレる…」  年代を感じさせる廊下を歩くとギッ、ギッと少し軋む音がする。案内する如月の横を俺が歩いてもまだ余裕のある広さ。山田家の所有する家は全て広すぎる。 「〝見舞いに来たら二度とセックスをしない〟と莉玖様が怒ってると伝えたら、渋々納得していたので大丈夫ですよ」 「……そんなんで本当にイケんのか?」 「悠矢様はそんなバカみたいな理由でイケるんですよ。私が保証します」  あの人は意外に抜けてるんです、と嬉しそうに如月は笑っている。俺からしたら、よくあんな奴の命令に従っているなと寧ろ如月を尊敬する。あいつの下で働いたら一日でギブアップだ。  如月は爺さんの代からずっと山田家に仕えていて、執事的な立場だ。山田の父親には如月の父親がついて仕事面や資産管理のサポートを行っている。息子の如月は山田の送り迎えやスケジュール管理、主に日常生活をサポートしている。  執事と言うと燕尾服に手袋のイメージだが、如月は細身のスーツだ。手袋は高い食器や骨董品を管理する執事がつけるらしく、サポート役の如月は手袋は無しだ。 「そういや如月って名前何?」  二ヶ月も経って今更名前を訊いた事に、如月は一瞬目を見開いて固まった。 「如月斗真(とうま)と申します。どうしたんですいきなり。名前で呼んで下さるんですか?」 「はぁ? 呼んで欲しいのかよ」 「ふふ。じゃあどうして名前なんか訊いたんですか? てっきり呼んで貰えるのかと思って喜んでしまいましたよ」 「名前知らねーなと思っただけ。友達には名前で呼ばれねーの?」 「苗字で呼ばれる事が殆どなので。そもそも友達もいませんし。莉玖様なら斗真と呼んで下さっても構いませんよ」 「考えとく…」  如月が十二歳の頃に山田が産まれ、その時に自分の父親から「お前は将来この方にお仕えするんだ」と告げられたらしい。  山田を教える為に勉学を極める事を強いられ、武道を教える為に空手や柔道、色々な護身術も習わされ、彼は友達と遊ぶ暇などなかったという。しかし、それを如月から徹底的に教えられた幼少期の山田もまた、遊ぶ暇などほぼなかったという。 「悠矢様はああ見えて努力しますから。負けず嫌いって言うんでしょうか。あの通り、プライドはエベレスト並なので」 「如月は嫌になんねーの。山田にずっと仕えるとか…」 「たまには苛つきますよ。昔はどうして自分が彼の為に、なんて思った事もありました。……でも悠矢様が成長していく姿は楽しいですから」  笑顔で語る如月は、本当に山田の事が大事なのだと思った。親や使用人、将来の結婚相手。山田はみんなに愛されている。なのに、どうして俺からの愛まで欲しがるんだろう。きっと手に入れてもすぐに捨てる癖に。 「莉玖様がお刺身が好きだと伺ってたので」  夕食は刺身の盛り合わせ。ぷりぷりとした身が新鮮で俺の好きな大トロ、中トロを始め、鯛や烏賊、大きな海老が綺麗に皿に盛り付けられている。前に食べたハマチが無いのは残念だが、旬を過ぎたらしいのでしょうがない。 「悠矢様が嬉しそうに話してたんですよ。莉玖は刺身を食べた事がなかったんだって」  小さい頃からロクな物を食べさせて貰えず、金持ちのおっさんと再婚してからも俺は家族と夕食を食べる気にはなれなかった。だから今でも初めて食べる物が多い。  あの日も初めて刺身を食べた。山田は笑顔で俺の反応を見てきたが、照れ臭いからあいつの顔を見れなかった。  セックスで恥ずかしい姿を何度見せたって、俺は普段山田に心を開く事が出来なかった。いや、どうしたらいいか分からなかったのだ。だけど、誰かと飯を食うのは何だか懐かしくて、あの日少しだけ心が解れたのを覚えている。  〝刺身美味い?〟  〝脂のある刺身食ったら次は白身の魚にしろよ〟  何気無い会話と山田の顔を思い出し、机を挟んだ俺と山田のあの日の光景が、まるで映画の一場面みたいにそこに浮かび上がる。  ──何を考えてるんだ。あいつの事を忘れる為に別荘に隔離されたのに、これじゃ意味がないじゃないか。  大トロの次は鯛。次は中トロを取って烏賊。手に持った箸は山田に教えられた通りに勝手に動く。  まるで脳に焼き付いているかの様に思い出すあいつの顔と声。俺はそれが浮かばない様に、如月に沢山話しかけた。

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