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第三章 狼は愛を乞う 6
会食が終わってやっと家に着くと、時計は二十二時を回った頃。一目散に二階にある莉玖の部屋に向かった。「莉玖!」とドアを開けるとしん、とした真っ暗な空間。部屋に入ると間接照明が自動的に点いたが、ベッドの上はぐしゃぐしゃのシーツがあるだけで、莉玖の姿はなかった。
浴室やトイレも入っている気配はない。莉玖が最近よく行く地下のトレーニングルームも誰もおらず、食事を取る一階のダイニングにはハウスキーパーの酒井さんが居るだけ。他にも何部屋かあるが、莉玖が行きそうな部屋はもうない。
──いや、一部屋だけ思い当たる。踵を返して階段を登り、二階の階段手前の部屋。ノックもせずにその部屋の扉を開けると、そこには薄い灯りの中、ベッドで如月に抱き締められ眠る莉玖の姿があった。
二人とも寝間着のままなのは安心したが、如月が愛おしそうに莉玖の額にキスして寝ている事に俺の頭が沸騰しそうになる。それは俺のモンだ。お前のモンみたいな顔をしてるんじゃねぇよ。
「莉玖、起きろ! 何でこの部屋にいるんだよ!」
大きな声に如月は目を覚ましたが、莉玖は「う〜…」と寝ぼけたまま余計に如月にしがみついた。その姿にまた苛立ち、無理矢理引き剥がそうとすると、如月の手がそれを遮ってきた。
「悠矢様、戻られたんですね。莉玖様はさっき寝た所なので、もう少し寝かせてあげて下さい」
如月は自分の首に回っている莉玖の腕を優しく解いて、自分の上体だけを起こした。
莉玖はまだ寝ているが、今にもキレてしまいそうな俺は、莉玖の手を掴んで無理矢理起こした。さっき寝た所って、俺が家を出る前に散々寝てたじゃないか。もうそろそろ目を開けている彼の姿を見たいんだよ俺は!
「莉玖、起きろ! 俺の部屋に来い!」
ぐいっと腕を引っ張ると莉玖の目が少し開き始める。
「悠矢様、ちょっと落ち着いて下さい」
「お前は黙ってろよ! 莉玖、ほら起きろ!」
俺の行動に、如月は「ふふっ」と笑う。少し馬鹿にされた様な笑いに、俺はまた苛立つ。
「余裕ないですね。ちょっと一緒に寝ただけじゃないですか。だから莉玖様に甘えて貰えないんですよ」
如月の事を「斗真」とすんなり呼ぶ様になったり、こうやってわざわざ部屋に来て心を許した様に寝ている莉玖。俺はそれが納得いかない。二ヶ月ほぼ毎日セックスをしている俺の事すら、セックス以外の時はまだ山田呼び。こんな風に寝ている時に抱き締められたり、莉玖の方から部屋に来たりもない。如月は五日程一緒にいただけなのに、どうしてこんなに懐いてるんだ?
「どうして莉玖様がこんなに私に懐いてるか、教えてあげましょうか?」
口に出していないのに、俺の疑問を言い当てやがる。大人の余裕ぶりやがって。だけど、気になる。
「……何でだよ」
「絶対に裏切らない事と、甘えても大丈夫な人間だという事を彼にちゃんと示してあげないと、彼は甘えてくれませんよ。莉玖様はずっと人の感情に怯えていますからね」
小さい頃から母親に手を上げられていた莉玖。彼は子供の頃、甘えることも泣くことも我慢して、無理矢理大人の様に振る舞っていた。非行に走ったのは親に構って欲しかった訳じゃない、親…いや、母親が自分に関心を持つ事を、彼はとっくに諦めていた。
彼が無意識に欲しかったのは自分を求めてくれる人間。喧嘩が強ければ、警察を恐れずに悪い事をすれば、柄の悪い連中は彼を仲間だと認めた。だから彼は不良グループに入り浸っていた。
自分の存在はどうでもいいと諦めた振りをしていても、自分を肯定してくれる存在が、本当はずっと欲しかったのだろう。
しかし莉玖の奴、そんな事まで如月に言ったのか? 俺はそれを直接聞いた訳じゃない。あくまでも、俺の推測だ。
「それ、莉玖がお前にそう言ったのかよ」
「いいえ、私が訊き出して分析した結果です。愛に飢えてるのに、自分がそれを欲しがってる事すらわからず、また受け取り方もわからない不器用な人です。悠矢様と一緒です」
ヘッドボードに背中を預け、横で寝ている莉玖の頭を撫でながら如月は俺を見る。
俺と莉玖が一緒? 言われてもまだピンときてない俺に「私個人の感想なので気にしないでください」と如月は言葉を付け足した。
「彼が欲しいのは、自分をそのまま受け入れて優しくしてくれる人間です。そして、絶対に見捨てないだろうと信頼出来る人間」
「……それって俺じゃん。なのに何で甘えてくれないんだよ、こいつは」
「それは莉玖様の中で、貴方が一番好きな人間だからです。結婚相手も決まってるし〝捨てられるかもしれない〟人。嫌だと言っても無理矢理セックスするし、沢山原因がありますね」
一番好きな人と言われて口元が自然に上がっていく。結婚相手は後々破談にするし、これからはなるべく優しくする。というか、俺はずっと優しくしたかったんだ。だからそれはクリアするとしても、捨てられるかもしれない人って、それは一体どうすれば……。
「……俺が〝莉玖を捨てない〟って伝えても無理な訳?」
「いいえ、言葉で伝えるのは大事な事です。でも甘えさせる様に心を開かせるのは、効果的なタイミングがあるんですよ。捨てないって言葉とそう思わせる行動」
「だから、それ教えろよ」
「どうして私がそこまで教えなきゃいけないんですか。自分で考えてください」
結局教える気がないんじゃないか。如月への苛つきや呆れをすべて込めた溜息を吐いて、俺はベッドに寝ている莉玖の肩を掴んで起こした。莉玖はやっと目を覚ましたが、少し寝ぼけている。持ち上げて無理矢理部屋へ連れて行こうと彼の身体に近づくと、莉玖の口から「臭い」と言われてしまった。
「臭いって何が…」
「女の香水臭……お前、結婚相手とヤッてきた訳?」
莉玖は嫌そうに顔を顰める。
「はぁ…ヤる訳ねぇだろ。ほら、つまんねー事言ってないで俺の部屋来い。お前は俺と一緒に寝るんだよ」
身体を引き寄せようとするも、莉玖は俺の身体を押し戻した。何だよと問い掛けると、彼は如月と寝ると言い出した。意味が分からない。
「はぁっ? 何で如月と寝るんだよ!?」
「お前、すぐセックスしようとするし、俺は今日ヤリたくない。一人だとお前は無理矢理横に来るし、今日は斗真と寝る。斗真は無理にセックスなんかしないよな?」
「ええ。無理矢理は嫌いです」
そのやりとりに、俺の血管がプチプチと音を立てて切れていく。莉玖! と声を荒げると、莉玖は「他の女の匂いさせてる奴とは寝ない」と俺を睨む。
(クソ…穂乃果の奴、あの時急に抱きついて来やがって…最悪だ)
会食が終わって席を立ち、エスコートしようと彼女の前に行こうとすると、急に柔らかい感触と甘い香りがした。目線を下げると、俺の胸辺りに穂乃果が顔を埋めて抱きついている。
今迄の会食で手すら繋いでいなかったのに、こんな事をしてくるとは。俺の事を好きになって舞い上がったのだろうか。面倒くさい女の地雷臭しかしないし、俺は香水をつける女が嫌いなんだ。
溜息を吐いて、出来るだけ優しく彼女を引き剥がそうとしても、彼女は「このまま帰るの嫌です」と離れない。
俺はさっさと帰って莉玖とセックスがしたいっていうのに、どうして帰り際にこんな事をしてくるんだよこの女は。
「はぁ…何? セックスしたいって事かよ」
「セ…ち、違います! そんな事言ってません!」
抱きつきながらも彼女は俺を見上げて反論した。顔は真っ赤。おいおい、セックスの単語だけで? これはとんだ処女だ。面倒臭い事この上なし。
「じゃあ何だよ。何したら帰ってくれる訳。正直こんな事されるとめんどくせーんだよ…」
「……悠矢さん、私の事嫌いです、よね。さっき喋ってる時に感じました……」
何だ、分かってるなら話は早い。俺はもう一度引き離そうと力を入れた、その瞬間──
「でも私、好きになっちゃったので諦めません」
彼女の唇が、ふわっと触れた。おいおい、これはキスのつもりか? 触れたのかさえ微妙だ。だけど彼女の顔は真っ赤で、勇気を振り絞った様な顔をしている。その必死さにウケて、ちょっと吹き出してしまった。
「わ、笑わないで下さい! ファーストキスなんですよ?」
「ふは…悪りぃ…でも俺、お前と結婚無理だから。あと、許可なくキスすんな」
穂乃果は俺の言葉に、涙目で一瞬「ぐっ」と言葉を飲み込んだ。が、すぐに言い返してきた。
「む、無理と言われても、諦めません! 私達は会社を大きくする為にも結婚するべきなんですから!」
「会社ねぇ…まぁ、勝手にしろよ。とりあえず今日はここまで。意見は後日…お前がまだ会う気あるんなら、次の会食で聞いてやるよ」
そう言って彼女を無理矢理引き剥がし、エスコートすらせずに店を出て帰って来た。
いや、俺は悪くない。不可抗力で、尚且つ結婚をしない意思表示もした。香水がつくぐらい許して欲しい。だけど莉玖はそんな事情も知らないで、俺を睨んだままだ。
「あークソ…すぐ風呂行ってくるから待ってろ! 他の女の臭いが消えれば良いんだろうが!」
如月の部屋を出ると一目散に自分の部屋へシャワーを浴びに行った。
俺の事が好きだと言うのは昨日聞いたが、思った以上に如月に懐いている事に苛々とする。
俺より莉玖の事を分かっていて、俺より余裕のある年上。
(本当に俺の事、好きなのかよ…何で如月ばっかり…あーックソ…シャワー浴びたら無理矢理ベッド連れて行く…)
俺は如月にだけは、昔から何もかも敵わない。寂しい時も側にいて、優しい言葉をかけてくれる存在。如月と居て落ち着く事を、俺は誰よりも知っている。
だからこそ俺は、本当に莉玖がそっちに行ってしまいそうで怖い。
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