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第四章 狼は愛に溺れる 4

 灼熱の夏の太陽が照り付ける外に比べ、山田邸の中はまるで避暑地の様な涼しさ。エアコンという人類が生み出した至宝。今や現代に暮らす俺達にとってなくてはならない物で、この屋敷でも毎日フル稼働だ。心地の良い風が吹き、汗ひとつかかない…筈なのに、俺の身体には常に山田の肌がべったりと張り付いている。 「おい山田……いい加減離れろ。鬱陶しい」 「ん〜…無理…」    リビングのソファで少し寝転んだだけで、山田はすぐ俺に抱きついてくる。涼しい部屋なのに、くっつかれてる所為で暑苦しい。  付き合って三ヶ月が経ったが、山田は俺に対しての束縛が酷くなる一方だ。特に如月とは、あの日3Pをしてからは絶対に二人になるなと釘を刺された。元はと言えば毎回山田が如月にあんな事をさせるからだろ? そう本人に伝えると「あーはいはい! 結局俺の所為だよ!」と逆ギレされた。 「お前逆ギレすんなよ。キレたいの俺の方だからな…」 「だから悪かったって。とりあえず、もう如月とは禁止…」  山田は俺の肩に顔をぐりぐりと押し付ける。 「いや、お前そう言ってこの間も…」 「もうああいう事はしない。腹立つから。だからお前の相手は俺だけ…わかった?」  肩に押し付けていた顔を上げて、山田はニッと笑う。本当に勝手な事を言う奴だ。だけどその笑顔をちょっと可愛いと思った自分がいて、何だか悔しくなった俺は彼の両頬をグイーッと引っ張った。 「はひふんだよ?」 「……なんかムカつく」  俺の返事に山田も無言で両頬を引っ張る。二人とも間抜けな顔で爆笑だ。   「お二人とも楽しそうですね。何やってるんですか?」  リビングに入って来た如月が、俺たちが寝転ぶソファの前に立った。山田はちょっと機嫌が悪くなり「お前には教えない!」と声を荒げた。 「私も混ぜて下さいよ」 「嫌だ。お前はすぐ莉玖にキスしようとするから近づくな」 「キス、ダメなんですか?」 「ダメ! 禁止!」 「……そんな事言われたらしたくなりますね」  俺と山田が同時に「は?」と声を上げた瞬間、如月は俺の頬に唇をつけ、山田の「あーっ!?」という声が至近距離で鼓膜に響き渡る。 「言ったそばからキスすんな!」  山田は如月からガードする様に俺を抱き寄せた。 「セックスまでさせておいて、今更キス禁止ですか? 口じゃなくて頬でも?」 「うるせぇ! ほっぺも禁止!」  如月は完全に山田の反応で遊んでいる。最初に会った頃の山田は、唯我独尊タイプの頭がキレる男だと思ったが、今の印象は結構バカだ。特に俺にくっついてる時と、如月との絡みは完全に子供。如月はひとしきり山田をからかって自分の部屋へ帰っていった。 「クソ…如月の唾液が…」  山田は俺の頬を手で拭き取る。ゴシゴシされ過ぎて痛い。 「どんだけ拭くんだよ? つーか本当に今更過ぎるだろ。何回斗真とキスしたと思ってんだ…」 「もう俺以外はダメ〜! ん〜♡」 「…ん…ッ…お前、リビングですんな…あっ…やめろ!」 「リビングですんの嫌なら部屋行くぞ。ほら」  如月が俺にちょっかいを出した後は、更にべったりで自由な時間がない。  ただ、あの日の山田の泣き顔を見てからは、なるべく優しく応える様にしている。 〝お前の事、好きで…苦しい…〟  あれからも、たまに首を絞められる事はある。  苦しいと伝えるとすぐに手の力を緩めてくれるが、その後決まって抱き締めて謝ってくる。感情が昂ぶると手が勝手に動くのだろうか。多分、本当に俺を殺したい訳ではないと思う。  それを後日如月に伝えると、流石に心配された。 「首絞めですか…?」  仕事先で買ってきたクッキーの缶を開けながら、如月は怪訝な顔をする。 「ああ…まぁでも苦しいつったら離してくれるし、死ぬ事はねぇかな…あ、これ美味い」  如月の買ってきたクッキーは有名な店の物らしく、豪華な缶に何種類も敷き詰められている。缶から直接取って頬張っている俺に、如月の手が首に優しく触れた。「本当に大丈夫ですか?」と心配そうな顔。3Pや開発は簡単にやる癖に、こういう事は心配するなんて如月の倫理観はよく分からない。 「3Pや開発は莉玖様にとっては気持ちいい事だから良いんです」 「勝手に決めんな」  まぁ、実際気持ち良いのだが。って、こいつらの所為で俺の倫理観もおかしくなってきた。 「首絞めは苦しいだけじゃないですか。悠矢様にすぐ止めるように説得します」 「だから大丈夫だって。死んだら死んだでしゃーねぇよ」  ぼりぼりとクッキーを食べる俺に、如月は「ダメです!」といつもより厳しい顔だ。でも山田のあの行動は無意識だから、言った所で効果はあるのだろうか。 「悠矢様、小さい頃にも首を絞めた事があるんですよ」  如月の言葉に、流石に俺もクッキーを掴む手が止まった。  山田は四歳の時、一歳だった弟の首を絞めたらしい。幸い如月が気付き慌てて止め、大事には至らなかったが、山田は母親から酷く怒られた。  どうしてそんな事をしたのか訊くと、よたよたと歩いてどこかに行ってしまう弟を引き留めたかったらしい。 「引き留めたいだけで、何で首絞めるんだ?」 「その時は〝おかあさんにおなじことされた〟と言ってました。あ、今の奥様は後妻なのは聞いてますか?」  初耳だ。というか、山田から家族の話は殆どしない。家族は嫌いだといつもそればかり。という事は弟は腹違いなのか。  山田が一歳の時に実母が病死して、その後すぐに今の母親と父親が再婚した。 「悠矢様は小さい頃から好奇心旺盛で一人ですぐ何処かへ行っていたので、多分お仕置き的にそうされていたかと…」 「……虐待?」 「恐らく…でもその事があってからは奥様と悠二様は、悠矢様とは別の屋敷に住むようになったので真実は今もわかりません。本人に訊いても言ってくれなくて」  あまり家族仲は良くないとは知っていたが、俺の家より酷いかもしれない。俺も小さい頃は母親に冷たい態度をとられていたが、流石に首を絞められた事はない。   「家族からの愛は全て弟の悠二様に注がれていて、悠矢様は殆ど使用人との生活。それが彼の愛の形を歪めたのかもしれません。幼少期に愛を充分に受け取れなかったので多分わからないんですよ、どうやって愛を伝えるのか。だから莉玖様にあんな事ばかりするんだと思います」  少し申し訳なさそうな顔で如月は俺を見る。  弟の首を絞める件があった頃、如月は十六歳。おかしいなとは思ったが、自分も子供だったのでそれ以上深く追求はしなかったらしい。  大学で心理学を学んだ時、幼少期の出来事が人格形成に影響する事を知って後悔した如月は、それから山田への接し方を改めた。  大学を卒業してから本格的にサポート役を務める事となったのが六年前で、山田が十歳の頃。   「住み始めた時はずっとべったりで。寝る時も一緒でしたよ」 「そりゃ、泣いて家まで行くぐらいの奴が一緒に住んでくれたら嬉しいよな…」 「まぁ、私も一人だと色々考えてしまうのでありがたかったです。住み込みになってからは出来るだけ彼と一緒に行動して、愛を与えようと思ったんですけど、私もそんなに愛を知らないから試行錯誤で…そしたらちょっと俺様で、バカな子に成長しちゃいましたね」 「ちょっとどころじゃねぇよ。俺、被害者だからな、殴られてレイプされたんだから」 「……莉玖様に訴えられたら、完全に山田グループの大スキャンダルです…本当に申し訳ございません…」  本気で申し訳なく謝る如月にちょっと笑ってしまった。如月は何だかんだで山田の事を大切に考えていて、彼の側に如月がいて良かったなと思った。如月がいなければ、山田はもっと嫌な奴になっていたと思う。今も大概だが。  だけど、そんな奴に従ってしまう俺もおかしい。今やすっかり毒されて、身体も心も山田を求めてしまっている。 「あ…山田が帰ってきた」  リビングの窓から、山田を乗せた車のライトが闇を照らして屋敷に入って来るのが見える。  俺達は何もないが、二人でいたらきっとまた勘違いをするだろう。  誤解を避ける為に俺がリビングを離れようとすると、如月の手が俺の髪を優しく撫でた。彼の長い指が耳に触れて少し擽ったい。 「ちゃんと悠矢様に止める様に伝えておきますね」 「…別に言わなくていい。我慢出来なくなったら頼む」 「首を絞められるなんて、そんな扱いを受けて、貴方は嫌じゃないんですか?」 「お前が言うか? 散々バイブだの何だのしておいて。まぁ、大丈夫だ。こうやって二人でいるの見られた方が山田が怒る…」 「莉玖様、ちゃんと嫌なら嫌って言うんですよ」 「お前ら、俺が嫌って言ってもやる時はやるだろ。どの口が言うんだ…」  俺は呆れた顔で如月を見た。 「ふふ…そうですね。私が言えた立場じゃありませんでした。でも貴方達二人は、本当に愛の渡し方も受け取り方も不器用だから、心配です」 「不器用とか言われてもわかんねーよ。こういうの、初めてなんだから」  俺の言葉に如月はふふっと笑う。受け取るとか渡すとか荷物じゃないのだから、抽象的な表現じゃ分からない。 「そうですね。でも、今度首を締められたらちゃんと抵抗して下さい」  如月に再度念を押され、自分の部屋に帰ると数分で山田が飛び込んで来た。 「莉玖、如月とリビングに居ただろ」 「……何でわかるんだよ」 「リビングで二人がいるの、車から見えてた」  山田はムッとした顔のまま「如月と何もしてねーよな?」と抱きつく。「してねぇよ」と答えても、「本当に?」と何度も訊かれる。  もうこうなると、一回抱かせるまでは収まらない。そのうち彼の厚い唇が俺の身体中を這い回り、ベッドへと押し倒された。  俺の唇の中に彼の舌が入り込むと「クッキーの味がする」と笑われた。 「さっきまでクッキー食べてたから、しょうがねーだろ。キスするなら歯ァ磨きたい…」 「ダメ〜…磨く時間、待てねぇ…」 「ん…」  〝首を絞められるなんて、そんな扱いを受けて、貴方は嫌じゃないんですか?〟  別に俺は嫌じゃない。山田が俺を見てくれるなら、俺は殺されても良いと思ってる。そしたらきっと、山田の中にずっと俺が残る。如月の中に、慎也という男が残っている様に。  如月がいつも、俺の中にそいつを重ねている様に、山田がもし俺を殺したら、彼が誰かを好きになる度に、彼はきっと死んだ俺を思い出して重ねる筈だ。  だから俺は、殺されたって構わない。殺したい程求めてくれる人間なんて、彼以外きっといないのだから。  (またあの香水の匂い…)  山田の身体から、この間の香水の臭いがぷんぷんする。甘ったるい女の香り。俺以外を抱きしめたのかと思うと、頭がおかしくなりそうになる。  この厚い身体で抱き締めて、その唇でキスをしたのだろうか。そして、その内彼はその女を抱いて、結婚してしまうのだろうか。 「莉玖…俺の事、ずっと好き?」 「……す、き」  愛されたい、俺は。山田悠矢に、永遠に‪──。

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