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第六章 狼達は愛に塗れる 2
リビングのソファで横になっている俺に、莉玖が上に覆い被さってテレビを見る。彼が視聴しているのはドラマの様だが、六歳児に内容が理解出来ているかは謎だ。俺は莉玖の頭を撫でてウトウトとしていて、テレビから聴こえる音声は頭に入ってこない。
莉玖が記憶を無くして三週間程。たまに頭が痛いというくらいで、記憶自体に変化はない。
彼自身の変化としては、記憶を無くす前より、俺に甘えてくる様になった。前なら「鬱陶しい、離れろボケ」と言われるのが日常だったが、今は「やまだ〜」と俺にすぐにくっついてくる。しかし、何故未だに山田呼びなのかはわからない。
「わくわくランドにっ! おっいっでっよっ! みーんな、みーんな、ハッピー!」
視聴している番組がCMに入り、莉玖は楽しそうに歌詞を口ずさむ。このCMになるといつもこう。食い入る様に画面をみて、次のCMに切り替わると、莉玖はコテンと俺の胸に頬をつけて身体を預けた。見た目の体躯は変わらないのに、本当に段々六歳児に見えてくる。
テレビに夢中なのが寂しくなった俺は、彼の耳を触って気を引いた。
「ふふっ。やまだ、くすぐったい」
また名字で呼ばれた。手コキやフェラまでしたのに、まだ名前で呼んでくれないのはちょっといじけてしまう。
「何で俺の事、悠矢じゃなくて山田って呼ぶんだ? 如月はすぐ名前だったじゃん」
「ん〜…頭の中で〝やまだ〟って言われるから」
「頭の中?」
「うん。やまだの顔みたら頭の中で〝やまだ〟ってきこえる」
莉玖によると、最初は〝こわい〟〝おもいだすな〟と聞こえていたそうで、その所為もあって俺の顔を見たくなかったらしい。勿論、実際自分に対して怒った顔を向けるので、莉玖も怖かったそうなのだが。
俺は、近くの一人掛けのソファで本を読んでいた如月の顔を見る。
「……恐らく十六歳の莉玖様の声でしょうね」
「記憶は開いてるって事か?」
「難しいですけど、もしかしたら人格なのかもしれませんね。六歳と、十六歳の人格」
「記憶とは違うのかよ?」
「私も専門じゃないので…人格が交代しているなら、何かのきっかけでまた出てくる可能性はあるかと…。しかし、相当嫌がられてますね、悠矢様は」
ちょっと鼻で笑う様に言う如月。なんて嫌な言い方だ。多分、莉玖を俺に取られた事に嫉妬してやがる。きっとそうだ。
「何だよその言い方。ははーん、さては莉玖が俺にべったりだから僻んでるんだろ。はぁ、嫉妬は見苦しいぞ如月」
「……私は貴方と違って精神が六歳の方に手は出しませんので」
その言葉にギクッとする。確かに俺も今の莉玖にあんな事をするのは流石によろしくないと思っている。だけど、如月にはバレていない筈。平常心、平常心だ。俺は断じてペドフィリアではない。そもそも肉体は十六歳なのだから問題はない筈だ。
「な、何が? 莉玖は純粋に俺の事が好きなんだよ!」
「莉玖様のそのべったり具合からして、絶対に貴方は部屋で何かしてます。まぁ、莉玖様が良いなら何も言いませんが。個人的にはドン引きです」
如月はツーンとした顔で、また本を読み出した。
「だから、俺は何も…」
「してるでしょう、絶対。まさかセックスまではしてないですよね? 何も知らない子どもの彼にそんな事をしていたら、流石に私も怒りますよ」
「いや、だからしてねぇよ! 寝てるだけだって…」
──記憶を思い出したら、今の俺はどうなるんだ? 俺は、消えてしまうのか? そんなの、嫌だ!
テレビから聞こえる言葉に、思わず目を向ける。莉玖はその画面をじっと見ている。
画面の中では、記憶喪失になった主人公の男が、記憶を思い出す事に不安になっているシーンが映っていて、俳優の演技の熱量が凄く、迫真に迫っている。
──思い出すのは嫌だ…思い出したら、今の俺はいなくなってしまうんだろ…?
その台詞に、思わず莉玖が重なる。もし、十六歳の記憶が戻れば、やはり六歳の莉玖の記憶は二度と出てこなくなるのだろうか。こうやって、俺が彼の頭を撫でている事も、雷の夜に抱きしめた事も、この三週間過ごした事が全部。
──はいっ! それでは高学歴チームの回答をどうぞ!
テレビの番組が切り替わって、我に返る。
画面の中ではひな壇に座った芸人がクイズに応えている。如月がリモコンを持って、申し訳なさそうに俺達を見た。
「すみません、この番組見たかったの忘れてました」
「あ、あ〜! 俺もこれ見たかったんだよ。莉玖、この番組見ていい?」
「……いいよ」
莉玖は俺の胸の上で寝転んだまま、一言も喋らずにテレビをずっと見つめている。
さっきのドラマの台詞の意味を、莉玖が分かっていませんように。
無言で彼の身体を強く抱きしめ直すと、莉玖は安心した様にそのまま俺の上で目蓋を閉じた。
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