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第六章 狼達は愛に塗れる 4
夏休みが終わった九月。休みは終わっても、まだ日差しや気温からじゅうぶん夏を感じる事はできて、午前中でも容赦なく肌に太陽の熱を感じる。
本来ならこの時間は学校にいる筈の高校生の俺。だが、俺の周りには沢山のアトラクションがドーンとそびえ立っている。
「やまだー! さいしょはアレのりたい!」
フレームにWAKU×2と立体的な文字が施されたサングラスをかけた莉玖は、嬉しそうに俺の腕を引っ張り、まだ客もまばらなジェットコースターを指差した。
「おっ! 俺乗るの初めてなんだよな〜! ちょっと感動…」
俺は小さい頃から遊園地には連れてきて貰えなかった。理由は誘拐等の犯罪に巻き込まれない様にする為らしいが、昔はその理由に納得なんて到底出来なかった。
昔から乗りたかったジェットコースターを生で見た俺は、子供の頃の様に胸が高鳴っていた。
「ねぇ〜! とうまとまつしたものろ〜!」
「いえ、私は大丈夫です」
手のひらを前に突き出し拒否する如月は、いつものスーツ姿と違ってTシャツとデニムで足元はスニーカーと軽装だ。園内に入場した途端、莉玖とお揃いのサングラスもかけた。私服では大体シャツが多い彼のこんな服装は見慣れなくて、サングラスを装着した時は爆笑してしまった。
スーツだと遊園地で浮くからだそうなのだが、身長180センチ辺りの男四人が遊園地にいるだけで、何をしても目立つ。
「何で乗らねぇんだよ?」
「乗り物に乗ってはしゃぐのは大人としてどうかと思うので。こう見えて、私二十八歳なんですよ」
「いや知ってるし…そんな浮かれたサングラスかけてる奴が言っても」
自動的に俺からため息が出る。
「太陽が眩しい所為で不審者がよく見えないから必須ですよ。松下、お前はお二人の背後で警備して下さい」
「えっ? お、俺、絶叫系苦手なんですけど…」
わくわくちゃんというウサギのマスコットのカチューシャをつけた松下は顔を青くしている。如月チョイスの変なTシャツも着させられて、無理矢理苦手な乗り物にまで付き合わされて、今日の松下は不憫すぎる。
「まつしたー! いこー!」
「あぁぁあ…こわいよぉ……」
莉玖は松下の腕を強引に引っ張って、俺を置いて走り出した。
初めて来た遊園地に、莉玖のテンションは今まで見た事がないくらい高い。
前からここに来たいと言っていたのは莉玖。
今日の朝起きると、莉玖から珍しくお願いをされた。
「やまだ…今日がっこういってほしくないっていったら怒るか?」
莉玖はこの間「消えたくない」と言ってからはますます俺にべったりになった。だが、こんな事を言ってくるのは初めてで、一瞬驚いた。でもそんな可愛いお願いをしてくる莉玖が嬉しくて、すぐに「いいよ」と返事をすると、彼は花が咲いたような笑顔になった。
折角の機会だからわくわくランドへ行こうと提案すると「やったー!」と抱きついて喜んでくれた。前からCMを見るたびに彼が口ずさんでいた、あの遊園地だ。
平日の昼前だというのに園内は沢山の人が来園していて、驚く。ザワザワとした喧騒と見慣れない乗り物が、より一層非日常感を演出していて、莉玖の記憶が失くなった事や自分の進学や結婚の事を忘れさせてくれた。
ジェットコースターや、フリーフォール、メリーゴーランドにコーヒーカップ。テレビで見て憧れていた乗り物にはしゃぐ俺と莉玖は、見た目こそ高校生だが、今の精神は俺も完全に子供だ。遅れてきた子供時代を今取り戻すかの様に、目一杯乗り物を満喫する。
だが楽しい時間はすぐに経ち、いつのまにか空は紅く染まり、俺達の影が地面に長く伸びる。
「十七時で閉園なので、乗り物はあと一つだけにして下さい」
タピオカミルクティーを手にした如月の言葉に、俺と莉玖は「えー!!」と不満をぶつけた。
「えーじゃないですよ。よくそんなに遊べますね。飽きないんですか?」
タピオカが口に入りすぎたのか、如月は口をモチャモチャと動かしながら呆れた様子だ。
夕方だからなのかサングラスは額に乗せていて、俺にはコイツの方が完全に満喫している様に見える。一応俺達のサポートが仕事な筈なのに、どう見ても休日ぐらいリラックスしている。
「早く決めないと、何も乗れないですよ〜」
駄々を捏ねてもしょうがない。最期の乗り物を決める為に園内マップを広げる。俺と莉玖の目線が自然と同じ場所を見つめ、せーのという掛け声のあと、声を合わせて「観覧車」と叫んだ。
「じゃあ、二人っきりで楽しんで来て下さい。私と松下は下で待機してますから。松下、ホットドッグコンボとチーズティー追加で」
「如月さん…まだ食べるんですか…」
「ジャンクな物ってあまり食べる機会がないから、たまに食べるとこの身体に悪そうな感じが堪らないんですよね。松下、スナックコーナー終わるのあと三分ですよ。ほら、走る!」
「は、はい〜ッ!」
完全にオフモードでジャンクフードを存分に楽しむ如月と、それに付き合わされている不憫な松下を置いて、くるくると周るチューリップ型のゴンドラに二人で乗り込む。ゴンドラはゆっくりと地上から離れ、少し離れた所にある海が見えてくる。頂上からの眺めが楽しみだ。
「あ〜もっと回りたかったな〜。ふねがぐるんぐるんするやつとか…」
「そうだな、一日じゃ時間全然たりねー。でも、結構乗ったよな」
「うん! すっごくたのしかった! やまだ、ありがとう!」
「俺も来たかったから、莉玖のおかげで楽しめた。俺こそありがとな」
その言葉に莉玖はふふっと笑って、段々と小さくなっていく地上の如月と松下に手を振った。如月はもぐもぐとホットドッグを頬張ってご満悦そうだ。松下は仕事が早い。何分で買ってきたんだろうか。
「おれ、きょうたんじょう日なんだ…」
「へー、おめでと…ってええっ!? 誕生日!? 何で言わねぇんだよ!?」
「今いったよ」
「いや、そうだけど…」
まさか今日が誕生日だったなんて…。恋人の誕生日すら知らなかったのか俺は。
「莉玖、プレゼント何がいい? 遊園地の帰りに買いに行こ」
「ん〜…別にない。わくわくランドだけ来たかったから、だいじょうぶ」
莉玖は窓に両手をつけて、海の方を見つめている。
「そんな事言うなって…じゃあケーキ! ケーキ買お! 莉玖の食べたがってたチョコレートのやつ! そうだ、如月に今の内にメール…」
ポケットからスマートフォンをごそごそ取り出すと、莉玖は「でんわダメ!」と俺の方を向いて少し怒った顔をする。
「今は、おれがやまだのことひとりじめするから、他のことしちゃダメ」
「ひとり、じめ…?」
「やまだ…もうすぐけっこんっていうのしちゃうんでしょ?」
「は…? いや…結婚…?」
「昨日来てたおねえちゃんとするって、とうまが言ってた…」
頭の中に舌を出してピースサインをしている如月の顔が浮かぶ。あいつ、何でそんな余計な事を言うんだと殺意が湧く。
昨日の夜、穂乃果が来た。もう会食には行かないし、結婚はしないと伝えたのだが、納得しない穂乃果はわざわざ直談判しに屋敷まで出向いて来たのだ。
「悠矢さん、そんな勝手に破談なんて私達の親が納得する訳ないでしょう? それに、私はまだ貴方の事を諦めていません」
二人きりの応接間。穂乃果は咎める様な視線を俺に向ける。その目は少し鋭さを孕んでいて、彼女が怒っているのが嫌でも伝わってくる。
「親父と一ノ瀬の社長には後日俺から伝える。それに、お前には前から言ってるだろ。俺にはもう決まった相手はいるんだよ」
「……男性に将来の結婚相手を取られたなんて、いい笑い者です。悠矢さん、貴方は自分の立場を自覚されてますか? 男性がパートナーなんて、パーティーでどう紹介するんです?」
確かにまだ同性のパートナーを同伴してる社長はまだこの業界で、俺は聞いた事がない。だが、前例が無いなら作ればいいだけだ。親父がこの会社を俺に無理矢理でも継がせたいのなら、俺だって自分の事を押し通す。
社長に据えたいのなら、莉玖をパートナーに。無理ならこの家と縁を切る。
「穂乃果、お前は笑い者になんかならねぇよ。あいつはすげーいい男だから、俺が惹かれるのはしょうがないんだ」
「……私にはそんなに魅力がないですか」
「だからそうじゃないって。お前にはお前とピッタリな奴が現れる」
「その相手、私は悠矢さんが良いんです!」
「……とりあえず俺はアイツだけしか好きにならないから、お前と結婚は出来ない。俺はもうアイツを離さないって決めたんだ」
穂乃果は目に涙を溜めて、ふるふると震えている。怒りなのか、悲しみなのかはわからない。いや、きっとどちらも孕んでいるのだろう。
ただわかるのは、俺は穂乃果の事を傷つけているって事だ。
彼女が欲しい言葉はこれじゃ無い。だけど、その言葉を俺は彼女に言えない。
「納得出来ないっていうなら、俺は…もうこんな事しか…」
俺は座っていたソファから床に膝をつき、正座して頭を下げた。
「ごめん…俺はお前とは結婚出来ない」
「頭を下げるとかやめて下さい……」
それでも俺は頭を下げ続ける。ごめんと何度も言葉にして。
「やめて…貴方はもっと自信があって、私なんかに頭を下げる様な人じゃないでしょう…見たくないんです! 悠矢さんのそんな姿!」
「……ごめん、本当に。納得してくれるまで頭はあげない」
穂乃果のやめてという声が段々と途切れ、彼女の小さく泣き出す声だけが部屋に響く。
頭を下げて謝るだけっていう行為は狡い。彼女を納得させる言葉が見つからない情けない男のする事だ。
俺は、莉玖と知り合ってからずっと情けない。
「もう、いいです…」
彼女の鼻をすする音が聞こえる。
「ううん、よくないけど…貴方がそこまでするって事は……」
鼻をすすりながら、穂乃果は自分を納得させる様にひとりごとを言う。
「顔、あげてください…」
顔を上げると、穂乃果の目は赤く、鼻も真っ赤だった。好きな人に拒絶する悲しみというものを、俺は今まで知らなかった。拒絶されたって、無理矢理抱く男だったから。
「あーあ、悠矢さんがそんな事をしちゃえるくらい、私の事好きになって欲しかったなぁ…相手の方……羨ましいです。いいなぁ…」
鼻を赤くして少し微笑む穂乃果。
今はわかる。拒絶されてどれだけ胸が痛むのか、息が苦しくなるのか。
俺はその辛さを、記憶を失くした莉玖から教えて貰ったんだ──。
「やまだは、あのおねえちゃんの物になるから、もうおれとぎゅーしてくれないって、とうまがいってた…」
ゆっくりと頂上に近づくゴンドラの中。沈みかける紅い夕日が海と俺達を茜色に染めていく。
「あー違う違う、結婚なんかしないって…如月の奴何言って…」
「おれ…そんなのやだ…」
「え…」
「今日だけとか、たりない…おれ、ずっとやまだとぎゅーしたいし…だから、やだ…あのおねえちゃんとけっこんしないでほしい…」
肩を震わせて、綺麗な顔に雫が沢山伝っている莉玖の顔。彼の言葉と泣き顔に思考回路がパニックになった俺は、茜色の光の中でそれをただ見つめるしか出来ない。
「やまだ、ずっとそばにいるっていったのに! ウソつき!! あのおねえちゃんより、おれの方がやまだのことがすきだもん!! おれとずっといっしょにいてよ!!」
狭いゴンドラの中で、感情が昂ぶった彼の声が響く。「けっこん、いやだぁ!」とわんわん泣き出す彼の横へ座り、そっと抱きしめた。こんなに素直な気持ちをぶつけられて、嬉しくない訳がない。
「莉玖…泣くな…」
頭を撫でた瞬間、ゴンドラが頂上に差し掛かり、切り替えのせいかガタンを揺れた。その揺れに少し驚いていると、莉玖から「……あたま、いたい…」と声が漏れた。急に感情が高まったからなのか、はぁはぁと息を荒くして頭を抑え始めた。
「下に降りるまで我慢できるか?」
「いたい…やまだ…ぎゅーして…」
医療の心得がない俺はどうしていいか分からず、その言葉通りに彼を抱きしめて頭を撫でる。だが余程痛いのか、莉玖の顔は苦しそうだ。
「やまだ…どっかいっちゃやだよ…」
「行かねぇよ。ずっとお前のそばにいるから、安心しろ…」
「ずっと……」
「そうだ、ずーっと一緒。だから…」
「嘘、つき…」
莉玖の掠れた声。泣いたからなのか、途切れそうに小さい。
「嘘じゃねえって。どこにも行かねぇから…」
安心させようと、また彼の身体を抱きしめる。
「……だったら、何であの女のとこ行くんだよ…。いつもいつも…嘘ばっかり…何なんだよ……」
莉玖が俺の背中を強く掴む。「莉玖…?」と顔を覗き込むと、彼は俺を強く睨みつけた。
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