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第六章 狼達は愛に塗れる 5

「その場凌ぎで喜ばすんじゃねぇよ…だったらあの女とメシなんか行くんじゃねぇよボケ…」 「ボケ…って…」  莉玖はゆっくりと俺から身体を離す。そして、痛そうに頭を手で抑えた。 「お前の事に決まってんだろーが…あ〜…いってぇ…何だこれ? ふざけたサングラス…」  頭に上がっていたWAKU×2と形どられたサングラスを不思議そうに触る莉玖を、俺は上から下まで観察する。  この粗野な口調と、先程とはまるで違う仕草。最近ぼやけていた記憶の映像が、はっきりとした輪郭を形作っていく。まさか、と思い莉玖の肩を強く掴んだ。 「な、なぁ…? 莉玖…お前、記憶…」 「は…? 何言ってんだよ…って…どこだよここッ!?」  莉玖は辺りを見渡して驚いている。その口調も仕草も、何だか何十年も見てなかった様な感覚に陥る。感極まった俺が思わず彼に抱きつくと、ゴンドラが揺れた。 「うわっ!! 山田ッ! 押し倒してんじゃねぇよ! 揺れるだろーが!!」  莉玖が持っていたサングラスが落ち、カシャンと床に無機質な音を立てる。 「何なんだよ此処…俺、階段から落ちて…まだ夢か?」  俺もそう思う。瞬きをしたら、目が覚めて自分のベッドの上にいるんじゃないかって。だから頑張って目を開けていたけど、涙が滲んで一瞬目を瞑ってしまった。慌てて目を開けたが、莉玖は「おい! 抱きついてないで俺の質問答えろよ!」と状況を掴めず怒っている。  まだ、俺は観覧車の世界の中。ゴンドラはゆっくりと地上に近づいている。夢じゃ、ない。 「何だよお前…誕生日に戻るとか…出来過ぎ…」 「はぁ? 何で誕生日知って…つーか、泣いてんのか?」 「ンなの、泣くに決まってんだろーが…お前だって泣いてる…」 「俺も…? うわ本当だ。俺、何で泣いてんだ?」 「誕生日だから泣いてんだろ…産まれたら皆泣くじゃねーか…」  俺はわんわんと泣き出して、この事態をまだ全くわかってない莉玖は、困惑しながらも俺の背中をさすって慰めてくれた。 「莉玖〜…よかったぁ〜…」 「訳わかんねーし、肩は冷てーし……早く泣き止め…」 〝おれ、きょうたんじょう日なんだ〟 〝やまだ、ありがとう!〟  急に消えた六歳の莉玖。他に遊びに行きたいって言ってた場所は沢山あったのに、一つしか叶えてやれなくてごめん。誕生日をちゃんと祝ってやれなくて、ごめん。  だけど俺はもうわかってる。  お前はずっと莉玖の中にあった気持ち。それを俺に伝える為に出て来てくれたんだ。 〝きえるの、こわい〟  大丈夫。お前を含めて今の莉玖だ。お前が安心出来る様に、沢山言葉をかけて抱きしめるから。だからもう怖がらないで、俺のそばにずっといてくれ。  ゴンドラの隔離された世界の中で二人きり。  涙で濡れた俺の唇を軽く押し付けると「しょっぱい…」と言って笑う莉玖。ほら、やっぱりおんなじだ。  嬉しくて、地上に着くまで外から見えない様に何度も彼にキスをした。  ゴンドラが地上に降りると、待っていた如月と松下が俺を見て吃驚していた。  莉玖に支えられていた俺の顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。 「悠矢様…とんでもなく不細工になられてどうしたんですか?」 「きさらぎぃ〜りくが…りくがぁ〜…」 「だからお前はいつまで泣いてんだっ!? さっき一瞬泣き止んでキスしてきただろーが!!」  莉玖の口調に、如月と松下は目を丸くする。 「もしかして、記憶が戻ったんですか?」 「だから記憶、記憶って何だよ…つーか…斗真と松下さんその格好何……ぶははっ! 何そのサングラスとカチューシャ! 似合ってねぇ!」  莉玖は二人の格好を見て、腹を抱えて笑っている。 「……笑われるのは心外ですけど、とりあえず良かったです…おかえりなさい、莉玖様」 「莉玖様、良かった…でももう小さい莉玖様には会えないんですね…」  松下は少し寂しそうに笑う。松下は十六歳の莉玖より、六歳の莉玖とよく喋っていたから少し寂しいのかもしれない。 「松下、莉玖は変わんねーよ。六歳の莉玖もちゃんとあいつの中にいるから、これからもサポート宜しくな」  俺の言葉に松下は涙を滲ませて、任せてください! と笑顔で返事をしてくれた。  小さい莉玖は、こうして皆の心にちゃんと残っている。そんな事を考えたら、また身体の奥から莉玖への愛しい気持ちが泉の様に湧いてきて、彼の身体を抱きしめた。 「山田ッ! ここどこだと思ってんだ! 恥ずかしいだろーがッ!」 「だってよぉ〜! 俺嬉しい…」 「はぁ…起きたら前よりベタベタじゃねーか…マジで何があったんだ…あーもうっ! 鼻水つくって!」  とりあえず、記憶が戻った莉玖は如月が付き添って病院に行く事になった。主治医に報告するだけなので、すぐに帰ってくる。  その間、俺と松下は莉玖の誕生日ケーキを買いに行く。六歳の莉玖が前食べたいと言っていたチョコレートのケーキ。  莉玖と如月が屋敷に帰ってくると、ホールケーキに十七と七の二つのロウソクを刺して莉玖の誕生日を皆で祝った。  莉玖はそれを見て、少し照れた様に火を吹き消した。

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