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第七章 愛を叫ぶ狼達 1

 後部座席に一人だと広い。山田が生徒会で遅くなる時は先に俺だけ迎えに来てもらう。今日も山田は珍しく生徒会の業務で、家に帰ったら久々に一人の時間が出来そうだ。如月にこの間借りた本でも読もうかなと考えていると、車窓の外の景色がいつもと違う事に気づいた。  如月の方へ視線を向けると、彼は何食わぬ顔で運転を続けている。そのまま無視していると、車は高速に乗る。またあの別荘に連れて行かれるのだろうか。 「おい、高速なんか乗ってどこ行くんだよ」 「急で申し訳ないんですが、山田グループの日本支社へ今からお連れします」  山田グループ‪──。世界六十ヵ国に四千軒。グループの総売上は一兆円を超える。世界では〝ボンズ・インターナショナル〟という高級ホテル展開で知られている。日本のホテルグループが海外に認識されているのは、ボンズと、イチノセホテルズアンドリゾーツ。大体この二グループだけだろう。  本社はアメリカ。だけど日本では〝ヤマダホテルズ〟というビジネスホテル展開が有名で「山田グループ」で認識している人の方が多い。  その会社の日本支社に急に行く事を告げられ、俺は一気に身体が強張る。 「何で…急に、言われても…」 「社長に言われましてね。自分が日本にいる間に貴方を一度お連れしろと。悠矢様にバレると煩いので内緒でお連れするには今日しかなかったんですよ」 「……い、行かない。俺は…会いたくない」  山田グループの社長。それは山田の父親の事。彼が俺に会いたい、その意味はもうわかっている。 「社長の命令なので。申し訳ないですが、私は貴方をお連れするしかないんです」  会えばこの生活が終わる。この砂糖漬けみたいに甘い生活が。直感的にそう思った俺は、全く引き返そうとする素振りを見せない如月に、後部座席から詰め寄る。 「止めろ…車止めろっ!! 何で俺が会わなきゃなんねーんだよ! 会いたくない!」 「……いつか崩れるかもしれない生活を、伸ばし伸ばしにしたいんですか? 誤魔化していても、結局は崩れます」  それでも縋りたい。崩れるのが早いか遅いかなら、遅い方がより長く楽しめる筈だ。  この生活は波打ち際に造られた砂の城。苦労して完成させた城に、波が少しずつ押し寄せる。俺が必死に波から城を守り、崩れるのを阻止しようとしても、波は容赦なく打ち寄せる。  俺は少しでも長くその城を見ていたいだけなのに。   「壊れかけた物を大事に持っていても悲しくないですか? それだったら一気に壊した方が諦めがつきますよ」 「壊れかけって…」 「悠矢様は完全にのぼせ上がってますが、貴方はずっと気づいているんでしょう?」 「俺は…」 「このままじゃ、いつか悠矢様と別れなければならないって事」  バックミラー越しにいつも合う優しい目は、今日は一度も交わらない。会うのは嫌だと大きな声で叫んでも、彼は冷静に運転を続けるだけ。  如月は、俺達の味方だと思っていた。  山田のサポートの為に俺を抱いたり、助言をしてくれたり、時に俺達を掻き回したり。如月が何かしてくれると、俺達は少しずつ、互いの心の奥へ奥へと入っていける気がした。  山田があんなに優しくなったのは、如月のおかげと言ってもいいくらいだ。この男がいなければ、俺は山田の激しい愛を受け止めきれずに潰れていたと思う。  皆で飯を食べたり、遊んだり、ただテレビを見たり。俺が密かにずっと憧れていた〝誰かと家で過ごす〟事を、如月も楽しんでくれていると思っていた。  (だけどそれは俺の勝手な思い込みで…結局斗真は俺の事何とも思ってなかった。俺、思いあがってたな。斗真、優しいから…)  何も言う気力が無くなって、視線を窓の外へと向ける。灰色の壁だけが高速に映り、単純な風景に頭がぼんやりとする。 〝やまだとずっといっしょにいたいよ…〟  頭の中で、子供の声がする。隼ではない、聞き覚えのない声。   ああ、俺がもし子供ならば、その言葉だけを言っていたのに。でも、俺はそれだけじゃ山田と一緒にずっと過ごせないのをわかっている。  だって彼は、山田グループを将来背負って立つ程の人物なのだから。一般人の俺、ましてや男が相手? そんな事、少し考えればおかしいってわかる。   俺は最初からわかっていたんだ。  波打ち際に砂の城を作ってもすぐ壊れる事に。  何階建てだかわからない程巨大で、窓が鏡みたいなビル。車から降りて、思わず見上げてしまった。これで支社なら、本社はどんな大きさなのか。  山田はその内、このビルで働く人間や世界中にある系列ホテルグループのトップになる男。そんな事は最初から知っていた筈なのに、その規模に改めて身震いした。  如月の後をついていくと、吹き抜けの綺麗なエントランスが広がる。  母親が再婚して、義父の自社ビルを初めて訪れたら時ですら驚いたのに、今やあの大きさが可愛く思えてしまう程、このビルは凄い。  高級そうに艶がある薄茶色の壁に、ステンレス素材のドアのエレベーターが三基ずつ向かい合わせに並ぶ。その一番奥のエレベーターの前に立つと、緊張で胃から酸っぱいものが込み上げた。 「どうしました?」 「全部スケールデカすぎて…吐きそう」 「そうですか? 就職すれば、大体こういうビルの中で働きますから普通ですよ」  ドアが開き、如月は手慣れた様に最上階のボタンを押した。階数を表す表示窓は、乗って数秒で目的階へと連れて行く。  まるで処刑台へ連れて行かれる囚人の気分だ。もっとゆっくりと処刑台への道を踏み締めたいのに、思い出に浸る暇すら与えてくれない。 「……帰りてぇ」 「貴方の返答次第ではすぐに帰れますよ。どうぞ」  エレベーターの扉が開くと、赤い絨毯みたいなものが敷き詰められてるフロアにガラス張りの秘書室。その奥に通されると、俺が今住んでいる山田邸の部屋よりも広い社長室。  来客用に並ぶ高そうな五脚の四角い皮張りの椅子とガラスのローテーブルは、まるで海外の高級ホテルのラウンジだ。 「社長、西園寺莉玖様をお連れしました」  如月の声に反応して、そちらに視線を移す。  窓ではなく、全面ガラス張りの壁の前に座っている男。社長用の椅子から立ち上がる四十半ばぐらいのその男は、俺と同じくらいの背丈だ。 「初めまして、西園寺莉玖君」  山田グループの社長、山田悠矢の父親。  山田悠一朗という目の前の男は、俺を見て薄く笑った。  波打ち際の砂の城に、大きな波が押し寄せる。俺はその強い力に、何も抵抗出来ない。

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