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第七章 愛を叫ぶ狼達 2

 山田の父親の視線が自分に向いている。品定めをされている様なその視線、居心地が悪い。  革張りのソファへと促され腰を下ろしたが、緊張のあまり、大分前のめりに座ってしまった。身体中に力が入りすぎて、まるで空気椅子だ。   「わざわざ来て貰ってすまないね。本来こちらから伺うべきなのに」  山田とは違う系統の顔が、また薄く笑う。軽く後ろに流した前髪に、上品な物腰。だけど神経質そうな雰囲気。  少し会話をすると、最初に会った頃の山田の面影がダブる。優しく笑いながら、人の気持ちを全く考えなかったあの頃の彼の姿が。 「悠矢が男の君をペットに選ぶのもわかる気がするよ。その辺の女性よりもずっと綺麗な顔だ」  ‪──ペット。その単語に太腿辺りに置いた手が、制服をぐしゃりと掴んだ。  自分でさえ、最初はそう思っていた。だけど今は山田が俺を肯定してくれて、ようやく人間として愛されていると実感出来た。  目の前の父親から言われたさっきの単語は、山田の事すら否定する様で、ムカつく。 「斗真。お前が俺にこのペットを隠していたって事は、お前も一緒になって遊んでいたからだろ?」  ソファに座る俺の横で立っている如月は「バレましたか」と少し笑いながら返答した。 「よっぽど気に入ってるんだな。お前も悠矢も…男の身体のどこがいいんだ」 「社長が女性の身体が好きなのと同じことです」  目の前の男は、如月の発言に呆れた様に溜息を吐く。 「……お前は悠矢につけた鈴みたいなもんだ。鳴らない鈴なら意味がない。一緒に楽しむのはいいが、俺に報告を忘れるな」  鋭い視線が如月に送られたと思ったら、次はその視線が自分に向いた。まるで刺す様な鋭さに、若干身体が震える。 「……顔は綺麗だが、制服すらまともに着れなくて、挨拶もロクに出来ない。それが俺が受けた君の印象だ」 「……」 「加えて勉学や語学に長けてる訳でもなく、家柄が良い訳でもない。だけど悠矢はそんな君に大分熱を上げてる様で、一生のパートナーにしたいと俺に主張し、挙句の果てには勝手に縁談を破談にしてきてね。正直困っているんだ」  喉がゴクリと鳴り、額には汗がじわりと浮き上がる。思っていた通りの言葉が、山田の父親の口から出てくる。俺はそれに対して反論する事がひとつもする事が出来ない。 「君はどうだい? 将来、悠矢とパートナーになるつもりはあるのかな?」  このビルの大きさだけにびびってしまっているのに、こんな大企業の社長のパートナーなんて、考えただけで足が竦んでくる。 「お…俺は…」  鋭い視線。怖くて、すぐにまた目を逸らした。血管の浮き上がった自分の手の甲だけが、視界に入る。 「悠矢はすぐにカッとなる性格だから、きっと周りが見えていない。会社全体の事がね。彼は君との事を認めないのなら、俺と縁を切りたいと言っている」  俺の返答を待たずに、彼は淡々と言葉を続ける。彼の言葉一つ一つが、俺の首を真綿で絞めていく感覚だ。息苦しくて、早くこの部屋から、この男から逃げたい。 「悠矢はこの会社を継ぐ為に、小さい頃から徹底的な教育を受けてきた。斗真もその為だけに人生を費やしてきている。わかるかな? 悠矢が社長にならないという事は、その諸々が全て無駄になるって意味だ」  後継者になる為に、またそれに相応しい人間に育て上げる為に、山田と如月は小さい頃から教育されてきた。  俺だって、二人の人生を無駄になんかしたくない。 「……それは、俺が山田と別れろって事ですよね?」  必死に喉から声を絞り出す。自分で自分の言葉に耐えられなくて、目に少し涙が滲む。  山田が俺の為に結婚を破談にしてくれた事も、俺と一緒にいてくれると言ってくれた事も嬉しかったのに。 「悠矢が社長になる為には、彼を支えられるそれなりのパートナーがいる。あと、このグループを存続させる為には子供もいる。結婚は必須だ。ただ、ペットを飼うのは自由だよ。女性と結婚さえしていれば俺は構わない。君がそれに耐えられるのならね」  俺の他に相手がいて、それを容認出来るかどうか。そんなの、耐えられない。  他の女と飯を食う事にすら苛ついた俺に、その環境は無理だ。結婚をするという事は、山田は後継としての子供を作ると言う事。  山田が子供を作る為に他の女を抱くなんて、頭がおかしくなる。 「君がパートナーになったとして、君は悠矢に何をしてあげられる? 企業としての財力も、子供を産む事も、仕事の補佐すら出来ない。君が出来るのは、身体の相手だけだろう?」  言葉が何も出ない。思考回路は糸が絡まる様にぐちゃぐちゃになっていく。  他の女と結婚は嫌。だけど山田と一緒にいたい。そんな子供みたいな主張しか、今の俺には見つからない。  太腿の上に置いていた手は、いつのまにか神様に祈る様に手を組んでいる。 「結婚しても、ペットを飼うのは悠矢の自由だ。だけど悠矢がこの家を出ると言うのなら、話は変わる」  その言葉に、視線をゆっくりと正面の男へと向けた。 「その時は、君という存在は悠矢の前から消えて貰うしかないね」  にっこりと笑う山田の父親に、背中がゾクリとした。きっとこの男は、俺の事をペットどころか、玩具くらいにしか見ていない。  俺は、人間として認識されていないのだ。 「悠矢が女性と結婚する様に君から促すか、君が彼の前から消えるか。もし二人で添い遂げるなんて血迷う選択をした場合は、こちらはどんな手を使っても彼を取り戻す」  脳味噌が揺れる感覚がして、何だか胃液が込み上げてくる。 「莉玖様、大丈夫ですか?」 「気持ち悪い…」  両手で口を抑える俺の肩に、如月の手が触れる。このピンと張り詰めた様な空気のなかで、ようやく安心出来た気がして、そのまま彼に身体を預けた。 「社長、すみません。体調が悪い様なのでこの辺で…」 「まだ全てを伝えてないんだが…まぁいい。西園寺君、君が見た目通りの馬鹿じゃない事を祈るよ。期限は悠矢のアメリカ行きまでだ。それまでゆっくり考えれば良い」 「……アメリカ?」 「あいつはそんな事すら伝えていなかったのかな。高校を卒業すれば、悠矢はアメリカで暮らすんだよ」    俺の肩を支えている如月の顔を見ると、申し訳なさそうな顔で「すみません…」と言葉を発した。  アメリカで暮らす、それを俺は何も聞かされてなくて……。視界が歪んで、脳味噌は更に揺れる。考える事は沢山あるのに、脳のシナプスがプツプツと切れていき、頭の中が次第に真っ暗になる。 「莉玖様、歩けますか?」  問いかけに答えない俺を、如月は抱きかかえる。もう俺は何も考えたくない。 「君が悠矢にしてあげられる事がセックスだけなら、まるで男娼だ。そんな人生、虚しいとは思わないか?」  波打ち際の城。  大きな波の後には、何の跡も残らない。  残るのは、何もなかったかの様に、平たくなった砂だけ。

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