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第七章 愛を叫ぶ狼達 3

「斗真、そんなにそのペットがお気に入りなのか? さっきからお前の視線が痛くて敵わん」  俺の頭の上で、またあの男の声がする。何も考えたくない俺は、そのまま如月の腕の中で彼にしがみつく。如月の手は、優しく俺の身体を包み込んでくれた。  如月と山田の父親は何かを話しているが、俺は気分が悪くて、内容はよくわからない。   「こうやってしがみついてくれるの可愛いじゃないですか。社長も高校生相手に大人げないですね。少し言い過ぎだと思います」 「諦めるなら、決断が早く出来た方が彼の為だろう? あのバカに人生を無駄にする事はない」 「しかし、男のパートナーに反対とは…男性同士のカップルは古代でも存在していたのに、社長の考えは少し封建的では?」 「……男だと後継者が作れん。お前も悠矢も同性が好きだとか…一真が泣くぞ」 「父が認めなくても、私の趣向は変わりませんから」 「……まぁお前の趣向は俺には関係ないから好きにしろ。斗真、悠矢の事ちゃんと見張っておけよ。この事はどうせすぐバレる。その場合、あいつは家を飛び出すかもしれないからな」 「勿論逃しませんよ。では、失礼致します」 「うぇっ…ゲホッ…ゲホゲホッ…」  トイレでひとしきり吐いても、気持ち悪さは治らなかった。吐瀉物が喉や鼻の奥にこびりついていて、その気持ち悪さにまた吐く。  〝ペット〟〝男娼〟あの男が俺に対して出た言葉。「違う、俺は山田の恋人だ」そう主張する事が出来なかった。そんな自分が気持ち悪い。  山田はあんなに俺を大事にして、存在を肯定して、愛してくれたのに。俺はまだそれを拭い去る事が出来ていなかった。なんて、情けない。 「莉玖様、車で移動出来そうですか?」  如月は背中をさすってくれるが、俺の胃の中はもう空っぽで胃液しか出ない。 「まだ、気持ち悪りぃ…」  高速に乗れば、山田邸までは一時間もかからない。だが、俺はその時間すら耐えられそうにない。ここがトイレとかどうでもいいくらい、床に寝転ぶ勢いだ。 「ちょっと電話してきます。少し待っていて下さい」  如月は水のペットボトルを置いて、トイレの外へと出て行った。  ‪──君が悠矢にしてあげられる事がセックスだけなら、まるで男娼だ。そんな人生、虚しいとは思わないか?  ‪── 君という存在は悠矢の前から消えて貰うしかないね。    切れた筈のシナプスがまた繋がって、さっきの部屋で言われた言葉が脳味噌を駆け巡る。  俺の存在も、人生も全否定された気分。だけど、それよりも衝撃だったのは、山田がアメリカへ行ってしまうと言う事。  最近やたらと英語の問題集をやっていたのは、向こうで住む為。それについて一言も言ってくれない事に悲しくなる。  (そりゃ俺がついて行ってもしょうがないけど……行く事ぐらい言ってくれたっていいだろ)  山田の父親に、彼のパートナーとして否定された事、彼がアメリカで暮らす事、彼との生活が終わる事。吐いて全てがスッキリすればいいのに、吐いても吐いても、それは無くならず余計に重くのしかかる。 「莉玖様、五分くらいなら車に乗れそうですか?」 「ん〜…それぐらいなら…」 「ホテルの部屋を取りましたから、今日はそこで休みましょう」 「え…でもそんなの山田が…」 「体調が悪いからしょうがないですよ。社長の事は伏せて説明しておきます」  山田に今日の事を話せば、俺と一緒になると言って本当に家を飛び出るだろう。だけどそんな事をして、俺達はその先どうするんだ? 西園寺の家も、山田の家も頼れなくて。あいつが必死に勉強していた英語だって、小さい頃から教えられてきた事だって無駄になる。そんなの無理だ。現実的じゃない。  まとまらない頭のまま如月に連れて来られたのは、近くのボンズ・インターナショナルホテル。駐車場から出ると、曲線が優美な外観が目に入る。その外観を覆っている淡くて柔らかな光が、都会の星さえ見えない闇の中で浮かび上がっていて、とても綺麗だ。 「如月さん、お久しぶりです。先程御予約があったって聞いて。珍しく支社で仕事ですか?」  大理石とガラスを基調とした高級そうなエントランス。ドア正面にいたドアマンが如月に親しそうに話しかける。 「はい。今日は悠矢様のお守りから解放されて気が楽ですよ。伸び伸びさせていただきますね」 「ええ、ゆっくりおくつろぎ下さい。あれ、後ろにいらっしゃるのは…弟さんですか?」  ドアマンの視線が俺に向く。シャツの裾を出してだらしない着こなしをしている自分が、途端に恥ずかしくなる。また、あの男の声がする。  ‪── 制服すらまともに着れなくて、挨拶もロクに出来ない。  (本当にその通りだから何も言えねぇ…挨拶の仕方なんか教えて貰わなかったし…制服だってこういう着方をしていれば誰も寄ってこないから楽だなって…あ〜クソ…また気分悪い) 「親戚の子です。丁度こっちに来てるって言うから一緒に宿泊しようと思って」  如月は慣れた様に会話して、そのままフロントへと歩いていく。その間、俺はひとりメインロビーの椅子に座り、キョロキョロと辺りを見渡す。太い柱はまるでギリシャの建築物の様で、さっきまでいたビルとはまた違った豪華さ。こういう場所に免疫がない俺は、この広さだけでまた疲れてしまった。  山田は将来、こんな凄いホテルを何千軒も束ねる男。また、脳味噌の処理速度が遅くなる。  如月がベルボーイと共にやってくる頃には、俺はまたグッタリとしてしまった。  ベルボーイに部屋を案内され、彼が出て行ったタイミングでダブルベッドに倒れ込もうとすると、如月に服を脱ぐ様に言われた。 「トイレの床に座った制服のままで寝ないでください」  下着以外を如月の前でポイポイ脱ぐと、彼はそれを拾ってバスローブを着せてくれた。そのままベッドへ倒れ込み、枕を引き寄せてうつ伏せになる。  多分山田邸のシーツと同じブランドのシーツ。ベッドの広さも同じくらいで、いつもの部屋の様にリラックス出来た。 「如月ッ!! 今何処だよッ!? 莉玖は電話繋がんねぇし…お前ら何処にいるんだ!?」  ここからでも充分聴こえるくらいの山田の声。如月はスマホから耳を少し離して対応している。俺もサイドテーブルに置いていた自分のスマホの電源を入れる。待ち受けを見ると、山田からのメールと留守番電話で埋まっていた。 「実は莉玖様が体調を崩されて。念の為に今日は検査入院する事になりました。明日の昼には戻ります。……はい、そうです。……ええ。わかっています。では、失礼致します」  スマホを軽くタップして、如月は首をゴキゴキと鳴らした。 「あー疲れた。莉玖様、お腹は減ってないですか?」 「さっきまでゲーゲー吐いてて食べれるかよ…もう寝る…」 「シャワーも浴びずに?」 「入ったら倒れそう…」 「私と入ります? バスタブにお湯溜めましょう。洗ってあげますよ」 「は…? いや、絶対入らねぇ…」  あまり気にしていなかったが、よく見たらこの部屋、ベッドが一つしかない。 「なぁ如月…お前の部屋って…」 「ダブルだから、じゅうぶん二人で寝れる広さですよ。一緒に寝るの久しぶりですね」  二人で、寝る? いやいや、如月は山田の許可がないとヤる事はないし大丈夫だ。それに彼とは何度も一緒に寝ているし、キスやハグくらいされるのは今更抵抗してもしょうがない。  (でも山田は嫌がるよなぁ…バレたらやばい…山田が傷つく…)   「とりあえずルームサービスでも頼みますか。うどんとかもありますよ」 「だからいらねぇって。もう寝る」 「わかりました。久々にビールにしようかな…」  まるでドラマの女の子みたいに、如月はメニュー選びで忙しそうだ。俺は一人でぶつぶつ喋る彼を一人置いて、疲れた脳を休ませる為に目蓋を閉じる。きっと起きたらまた死ぬほど考えるから、今は何も考えたくない。  目を覚ますと、隣に如月はいなかった。ごろりと身体を反対に向けると、窓際の椅子に腰掛けて本を読んでいる如月がいた。風呂に入った様で、整髪料が落ちるといつもより幼く感じる。バスローブを着て、組んでいる脚の先にはスリッパがプラプラと所在なさげに揺れている。 「おはようございます。体調どうですか?」  パタンと本が閉じられて、俺の方を見てニッコリと笑う顔。行きの車の時の如月とは違う、いつもの優しい顔だ。 「ん…ちょっとマシ。今何時…」 「二十三時前です」  目の前の小さなテーブルには、小さめの瓶ビール二本と飲みかけのビールが入ったグラス。  酒を飲んでいる如月は、あまり見た事がないので新鮮だ。しかもビール。 「……なぁ、俺にもビール頂戴」  一瞬驚いた顔をして、未成年だから一杯だけですよと笑われた。ベッドから起き上がり、もう一脚あるテレビ前の椅子に腰掛けると、使っていないグラスに金色の液体が注がれて、カチンと如月と乾杯した。それを一口飲むと口の中に苦味が広がって、少し気の抜けた炭酸が申し訳程度に弾ける。 「ビールの良さ、よくわかんねぇ…」 「その歳でわかっちゃダメですよ。これは仕事を頑張った大人の楽しみなんですから」 「ふーん。お前今日頑張ったの?」 「毎日頑張ってますよ。私、こう見えて頑張り屋さんなんです」 「ふはっ…自分で言うなって…」 「やっと笑いましたね。……まぁ無理もないか。社長も高校生相手に大人げないなぁ。ああ見えて悠矢様の事大好きなんですよ…愛情表現下手すぎて嫌われてますけど」  ふふっと笑って、如月はまたビールを一口飲んだ。  息子の事が大好き。その結果が俺に対してあの態度なら相当俺は嫌われている様だ。   「……俺は、山田と別れなきゃなんねーんだよな?」 「どうして?」 「どうしてって…俺じゃパートナーは無理だろ。男だし、凄い家柄とかでもないし。かといって山田が他の女と結婚とか…子どもとか…俺は無理」 「じゃあ別れたら?」 「……それが出来たら苦労しねーよ」 「じゃあ何で訊いたんです?」  如月の相槌は絶対適当だ。完全にどうでもいいって思ってる。その態度にムカついた俺は、目の前のビールをぐいっと飲み干した。 「穂乃果様との事が解決して、記憶が戻ってめでたしめでたし。そう思っていたら今度は父親に反対される。莉玖様の恋愛はジェットコースターみたいですね」  ニッコリと笑う如月に、またムカッとする。初めての恋愛でそんな高低差もスリルも求めてねぇんだよこっちは。  手が勝手に瓶ビールに伸び、そのまま直接飲む。苦味もクソも関係ない。 「あーあ、未成年なのに。イケない子ですね」 「その未成年とセックスしてる二十八歳はもっとイケない奴だろーが。山田に関する奴、ロクな人間がいねぇ。お前も、あのオッさんも…人の事ペットとか男娼とか何なんだよ…」 「じゃあ、貴方は悠矢様にとって何ですか?」 「ンなの…こ、こい…恋人だよ」  少し酔いが回った所為か顔が熱い。そうだ、俺はペットでも男娼でもない。山田が沢山俺を愛してくれたのに、それを否定しないでくれ。 「別れたいですか?」 「別れたくねぇよ…あいつに一生捨てんなとか、離すなつったのに…」 「じゃあ、別れなければいい。別れたくないなら、みっともないくらい悠矢様にしがみついて下さい。そうすれば彼はきっと、貴方を離しませんから」  そりゃあ山田は離さないだろうけど、俺はその先をどうしていいかわからないのだ。人ごとだと思って適当な事言いやがって。 「個人的には、十七歳で将来のパートナーなんて決めなくていいと思うんですけどねぇ…でも、貴方たちはお互いが良いんですよね」  俺は人を好きになった事はなかった。だから山田が初めて。でもきっともうこんな風に思える奴には巡り合えないし、俺をこれだけ求めてくれる奴もいないと思う。 「……大人はメリットのある結果が大好きなんですよ」  ビールグラスの底が、コツンと机に音を立てる。 「メリット…? だったら俺の存在って山田にとってデメリットしかねーじゃん…」  自分で言っておいて傷つく言葉だ。俺の存在価値って本当にセックスしかない。 「莉玖様はセックスが上手いから、じゅうぶんメリットありますよ」  ちょうど考えていただけに、うるせぇ! と一蹴した。だけど如月は「セックスが上手いのは凄い事ですよ」と主張を続ける。 「私は多分セックス上手い方ですけど、莉玖様の身体は凄いです。ここで締めて欲しい、という所でグッと孔を締めてくれるんですよ。そのタイミングが抜群で…」  如月は、セックス時における俺の感度の良さや孔の締め具合やら話が止まらない。  だけど俺自体、ああいう行為をしている自分の声も、やらしい言葉も、こういう素の時に思い出すと恥ずかしくて、穴があったら入りたくなる。 「もういい! 俺の身体の話はやめろ!」 「え〜? まだ沢山あるのになぁ…吸い付く様な孔の中も熱くて…」 「しつこい!」  やっぱり俺、身体だけしか山田に貢献できないのか。そんな事を考えたら、余計落ち込む。 「社長のあの発言。裏を返せば、メリットがあるならパートナーとして認めるということですよ」 「だからメリットなんか…」 「自分の存在価値は自分で磨くものですよ。セックス以外の価値が欲しいなら、自分で見つけてください。たった十七年しか生きていないのに、もう自分に価値はないと諦めるんですか?」  その問いに、俺は言葉が詰まる。真剣な顔の如月はそのまま言葉を続ける。 「一生離れたくないのなら、一生を彼の為に費やす覚悟を持って下さい。ないのなら、今別れた方が互いの為です」  彼から出る言葉のひとつひとつが直接胸に届く。届く度に自分が何ひとつ頑張ろうとしてない事に気付かされる。  俺はいつも勝手に我慢して、俺はあいつに相応しくないといじけるだけだ。山田は、あんなにも俺を必要としてくれているのに、俺はそれに全力で答えた事なんてあっただろうか。 「でも俺は…お前らの人生、無駄にしたくない…」  自分が山田の前から消えた方が、きっと全てがうまくいく。山田の父親も納得するし、山田や如月が頑張った事も無駄にならない。  だけど俺が山田にしがみつけば、沢山の人間が迷惑することになる。あの婚約者の女だって、その被害者だ。 「私と悠矢様の人生が無駄になるかどうかは、私達が自分で決めます。貴方や社長が決める事ではありません」  キッパリと言い放つ如月に、少し気圧される。 「でも、お前はいつか崩れるって…壊した方がいいって…」 「いつ今日みたいな事があるか怯えていたでしょう? その程度で崩れる生活にしがみついても心から幸せにはなれませんよ。だったら一度フラットにして、崩れない様な基盤を作るべきです」  俺は如月のあの言葉は、てっきりこの生活なんか早く終わらせろという意味だと思っていた。何もなくなったと思ったあの砂の上。そこに、もし城をまたつくる事が出来るのなら……。 「どの選択肢が正解かなんて、誰にもわかりません。どちらを選んでも、人間後悔するものです。だからこそ、その時の自分が本当にやりたい方を選択した方がいい。貴方は、どうしたいですか?」  すぐには答えられなかった。だけど心の底の方から、ぷかぷかと言葉が千切れて浮いてくる。それを掬い上げて言葉にしたいのに、口から出そうとするとすぐに喉の方へ引っ込んでしまう。  だけど如月は急かすこともなく、俺が言葉に出来るまで黙って待っていてくれた。 「お、れは…」 「はい。莉玖様は、どうしたいですか?」 「……俺は、ずっと山田といたい…パートナーとして、俺を認めてほしい…」  何を言ってるんだ俺は。そんな事、無理に決まっている。男だし、頭は良くないし、顔とセックスしか取り柄のない俺が、山田のパートナーになりたいとか、こんなバカな事を言って…。  手が震える。恥ずかしい、でもずっとあの父親の前で言いたかった事。  目の前の如月は、震える俺の手を取って「ちゃんと言えるじゃないですか」と手の甲にキスをしてくれた。 「じゃあ、悠矢様のパートナーに相応しい人間になる為に、貴方は死ぬ気で彼に人生を捧げてください」  俺は、ずっと繋がっていたい。  一瞬だけじゃ、もう嫌なんだ。  俺は彼と共に、これからも生きていきたいんだ。  ‪──莉玖、ずっと一緒だから安心しろ。    俺が安らげる場所。俺を認めてくれる場所。その場所は山田の隣。俺はそれを失くしたくない。  城が崩れた平らな砂の上。  俺はその砂の上で、また砂を掴む。自らの手で再びその城をつくり上げたい。

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