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第七章 愛を叫ぶ狼達 8

 如月の提案したスケジュール通りの生活を送っていると、俺がアメリカに行く日はあっという間に来た。行く前日は、二人のスケジュールをオフにしてもらって、何回もセックスしたのは言うまでもない。空港に行くまでの車内ではずっと莉玖にべったりで、搭乗時間ギリギリまでべったりだった。 「おい悠矢、どんだけ泣くんだよ。もう搭乗時間だってよ。ほら、これ向こうで使え」  莉玖が手渡してくれたのはステンレスのサーモマグ。それを見たら、余計泣けた。 「うぅぅ〜りくぅぅ〜おれいやだぁ〜アメリカなんかいかねぇ〜〜ひぐっっ…うっうぅ〜」 「だから毎日連絡するから泣くなって…あ、あ…愛してる…から…あーっクソ…恥ずかし…クソ…お前が泣くから…俺も…う…我慢してたのに…」 「……りくぅぅ〜〜おれもあいしてる〜…すき…だいすき…」  鼻水まみれで何回もキスをしてから別れて、飛行機に搭乗してから、向こうについてから、俺は泣いた。ずっと泣いて目が腫れた。空港で莉玖がプレゼントしてくれたサーモマグは、向こうで毎日使った。  莉玖は俺の九月入学前には無事合格し大学生となっていた。在学中はオーストラリアに留学したり、ホテル業界や経営学について学んだり、全く止まる事なく進み続けていた。年に一度か二度会う度に、出会った頃の不良少年は、どんどん洗練されていった。  だけど俺に対する言葉遣いはあのままで、家ではお気に入りの古着Tシャツ。俺の前では、外と違ってあの頃と変わらない彼がいて安心した。  大学を卒業した莉玖は、俺のサポート役をやるべく、山田グループに入社した。今は如月が秘書を務めているボンズホテルのアメリカ地域最高責任者の元で、研修を受けている。半分如月と俺の力でゴリ押しだが、彼自身も優秀なので問題はない。  うちの親父は莉玖が入社したのを知っているし、向こうの役員会議で顔を合わせているはずだが、それについては何も俺に言わない。如月曰く「まさか入社するとは思わなかった」と驚いていたらしい。 「悠矢様、お久しぶりです」  声の方を見ると、厚手のコートを手に持って佇む男。 「おー如月。久しぶり。眼鏡なんてかけてどうしたんだよ」 「最近目が悪くなりましてね。もうアラフォーなんで、色々とガタが来てるんですよ」  縁無しの眼鏡をかけて、如月は目の前の来客用の椅子に腰掛けた。言われて見れば目元にシワが増えた様に見えなくもないが、どう見てもあの頃と変わらない。こいつは不老不死の薬でも飲んでいるのだろうか。 「ホテル・シャンバラとの契約は上手くいったみたいで。おめでとうございます。また手持ちのカードを増やせましたね」  俺もデスクチェアーから立ち上がり、彼の向かいの椅子に腰を下ろした。 「……もうそろそろ、ご褒美貰ってもいいか?」 「いいえ、まだカードは足りません。引き続き頑張ってください。あと、髪の毛グシャグシャだし、ネクタイ緩んでますよ」  慌てて髪の毛とネクタイを直す。うるせーな、堅苦しいんだよと俺は剥れ顔になった。 「そういうとこは変わらないですね。もう私がサポートしなくても大丈夫だと思ったんですが、まだやり甲斐がありそうです」  組んだ脚が窮屈そうに横に投げ出され、目の前の男は優しく笑う。留学してから如月に会う事も少なくなって、何だか昔に戻った様で、心が柔らかくなった。思えば、入社してからずっと身体に力が入っていた気がする。  如月は、育休を取る松下の代わりとして、俺のサポート役に戻る事となった。如月が俺のサポートにつくという事は、勿論あの男も自動的についてくると思っていたのに、莉玖はまだアメリカで研修をすると聞かされた。 「なぁ、莉玖は何でシンガポール行ってんだよ。恋人は上海にいるっていうのに、飛び越えてんじゃねーよ」 「ははぁ、それで苛ついて頭掻き毟ったんですか? 西園寺は穂乃果様のお気に入りなんで、継続してイメージモデルで連れて行かれたんです。新しいの見てくれました?」  当たり前だ。速攻でいいねを押したと言うと、如月は満足そうにスマホの写真を眺めた。 「使わない写真データを送って欲しいと穂乃果様に伝えたら、どれも良くて困りました。新しいイメージビジュアル楽しみですね」 「……お前、莉玖のアカウント勝手に作った時から、SNSで話題にするの狙ってただろ」 「バレました? 絶対上手くいくと思ったんですよね。彼は見た目も服のセンスもいいから、写真次第でフォロワーを増やすなんて簡単です」 「完全にモデルだと思われてるじゃねーか…あいつはただの社員だぞ」 「勿論素人だから副業にはならないし、イチノセとのリゾートホテルについては、社員が起用されただけ。あの第一弾は、貴方も一緒に出てるじゃないですか」 「……お前と穂乃果が俺らに黙って撮ったんだろーが。人のプライベートを大々的に広告にすんな」  莉玖がうちの会社に入社したあたりから、如月は莉玖のプライベート写真を写真投稿サイトにアップしはじめた。顔はあまり写ってないが、綺麗な目や、高い鼻筋、形の良い唇が少し見えてるだけで、彼が美形なのはわかる。莉玖が普段着ている洋服や、スーツ姿。それをたまにアップするだけで、素人なのに、謎のモデルだと思われ、フォロワーは百万人を超えている。 「謎のモデルが、ボンズとイチノセのリゾートホテルの広告に出ている。しかも、ボンズの次期社長に裸で抱きしめられて。思ってたより反響があって、大成功です」  シンガポールのリゾートホテルは、元々女性旅行客が一人でも宿泊出来るコンセプトで考えていた。だけど俺と莉玖のイメージビジュアルによって、LGBT旅行客に対して優しいホテルという認識が広まり、キャンセル待ちが出るほどの人気になった。勿論、セクシャルマイノリティに理解がない連中からのバッシングも凄かったのだが、それすらもいい話題だ。  俺は顔は見切れているが、ネットでは現社長の息子だとバレバレ。謎のモデルは同性愛者で、社長の息子の恋人。それが世間の認識。  因みに写真は、莉玖の撮影を観に行った俺が人目を盗んで休憩時間に抱きついたところを撮られたもの。如月と穂乃果が「あの二人を撮れ」とカメラマンに指示した。パシャパシャとシャッター音がして振り返ると、スタッフ数人に囲まれていて、クソ恥ずかしかった。  レフ板もなく、素人のポートレート感みたいな写真。それがリアルで良いらしい。 「北欧や欧州に出す、LGBT旅行者向けへのデザイナーズホテルの計画もこれでスムーズに進められます」  如月は満足そうな笑みを浮かべた。 「莉玖を謎のモデルと仕立て上げて、ここぞという時にうちのイメージビジュアルに使う。それを十年前から考えたって訳? やっぱお前怖い…」 「SNSは予想外です。でも悠矢様が新しいホテル展開をする時はお二人を広告に使う気でいました。だから先を見るべきだと言ったでしょう。今の社長は遅れてるんですよ。パートナーに同性を選んだ貴方が社長になれば、LGBTに対してフレンドリーなホテルの説得力は増す。差別や暴力を受けない、優しい空間だと宿泊前から期待も膨らむ」  俺と莉玖が恋人だという事は、公式には沈黙しているが、SNSを通じて認知されている。将来の山田グループを継ぐ男が同性愛者というのは、かなりのゴシップネタになると思っていたのだが、世間の声は意外にも温かいものが多かった。如月曰く、俺たちの顔の良さが世の女性にウケたんだとか。  親父が認めなくても、世間は莉玖を俺のパートナーにしても問題ないという事だ。それに、さっきの如月のLGBT旅行客に対する説得力が上がれば、うちのホテルの稼働率は高くなり利益も出る。  勿論、それによって離れる客もいるだろうが、世の中はセクシャルマイノリティーに対する整備は進んでいる。離れる客より、寄ってくる客が多ければ、問題はさほどない。大事なのは、うちのホテルに泊まった満足度を高めて、いかにリピーターを増やすかだ。  後継は産めなくても、理念をしっかり持った人材を育てることは出来る。みんなで同じ方向を向いていけるのなら、血は関係ない。  ホテルを創業した曾祖父さんだって、名前と理念さえ残れば恨んで出てくることはないだろう。 「お前のシナリオ通り?」 「そうですよ。考えた通りになるのは、毎回ゾクゾクしますね。十年以上かかる計画は初めてなので」  結局俺たちと親父は、如月の上で転がされていた。こいつが俺たちの味方で、心底良かった。もし親父の方につかれたら、俺たちは完全に別れさせられていたと思う。 「親父は莉玖の事、まだ何も言ってこねーの。流石に役員会議の時見るだろ?」 「そうですね。仕事ぶりは評価してました」 「それだけ?」 「パートナーに関してはノーコメントだそうです。でもあの感じなら、計画通りすれば陥落しますよ。反対する理由は〝後継者〟ぐらいしかもうないでしょう」  それを聞いて、少し目が潤む。やっと手が届きそうな所まで来た。莉玖をパートナーと認めて貰えるまであとほんの少し。あっという間の十年だったが、莉玖と中々会えないのはやはり 寂しいのだ。早く、彼が毎日隣にいる生活になりたい。 「二人とも、そろそろ子猫から狼になれそうですね」 「……だから、変身しすぎだっつーの」  昔聞いたような話を思い出して、呆れ顔になる。上手いこと言ってるつもりかよ。 「あの時は二人ともクソガキでしたけど、今は違います。広い世界を見て、その中で自分で判断して動けるようになった。全然違いますよ。やはりお二人は見ていて飽きない」 「育成が成功して嬉しいかよ」 「はい。だけど今があるのは、お二人が良い狼に餌を与え続けた結果です。私はサポートしただけ」  『良い狼』とは、小さい頃に、如月から教えて貰ったアメリカインディアンの話。  心の中には、悪い狼と良い狼が住んでいる。悪い狼は、怒り、妬み、傲慢、後悔などネガティブな感情を持つ狼。良い狼は、愛、希望、信頼、思いやりなどポジティブな感情を持つ狼。その二匹は心で絶えず争っている。  何か出来事が起これば、心の中ではこの二匹が争い、どちらかが勝利する。どちらに餌を与えて勝利させるかは自分の自由。餌を与え続けた狼は心の中で大きくなり、それは自分に影響を与える。確かそういう話だったと思う。 「お前、ほんっとアメリカインディアン好きな…」 「私は友人の影響なので。ちなみにボンズの理念はミタクエ・オヤシンから来てます。ラコタの言葉で検索してください」 「ミタク…何?」呪文を急に言われても聞き取れない。 「ミタクエ・オヤシン。友人に教えて貰って、好きになった言葉です」  こいつに影響を与える事が出来るなんて、どんな人間なんだろう。検索ワードに言われた言葉を入力した。ミタク…何だっけ? と聞くと、如月はニッコリとしているが少し強い口調で同じ言葉を言った。ちょっと怒ってる。だったら検索させるな。めんどくせーな。 「えーっと…〝私につながるすべてのものたちよ〟…これが言葉の意味?」 「ホテルの名前にするにはわかりづらいとの事で却下したそうですが。彼に教えてもらったその言葉と、ここのホテルの理念が繋がったときに、貴方を一生サポートする決意ができました」  人は一人では生きていけない。時には誰かに傷つけられたり、誰かを傷つけることもあるだろう。だけどそれでも、人との繋がりをやめてはいけない。他人と触れ合うことで学び、次に活かす。 「すべては繋がる、か。そういや穂乃果とかは完全にそうだな。まさかあいつが経営に関わって、俺に話を持ってくるなんて思わなかった」 「穂乃果様、高校生の時、悠矢様にボロクソに言われたから見返してやる為だって笑ってましたよ。私も一番驚いたのは彼女の才能かもしれません」 「現地で莉玖の顔見て『キャー♡イメージピッタリ〜♡』って言ってたもんな…ヤンキーより、黒髪が好きなだけだなアイツ」 「完成した内装を見に行っただけなのに、すぐ撮影の日程を決められてしまいましたからね。だけどそれが大当たり」 「その所為で、誕生日だって言うのに恋人はシンガポール…。クソ…何が悲しくてアラフォーのオッサンと誕生日過ごさなきゃいけないんだよ」 「まぁまぁ、ちゃんとプレゼント用意してきましたから、そんな事言わないで下さいよ」  コンコン、と扉をノックする音が響く。多分松下だ。如月と会うのは久しぶりだから、話したくなったんだろう。わざわざノックするなんて律儀な奴だ。「どうぞ」と返すと扉がゆっくりと開いた。 「何だよ松下、ノックなんかし、て……」  俺の身体が固まる。だって、その人物は今シンガポールにいる筈なのだから。固まる俺をよそに、如月は彼を近くに手招いた。  仕立ての良さそうなダークネイビーのスーツを着た黒髪の彼は、颯爽と俺の前に現れた。

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