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今、君に。(1-4)

「最後に、会いに来た」 深呼吸して、そう一言。 緊張してるけれど、でもはっきりとその言葉を口にした。 母さんは、くしゃりと顔を歪め、花に水やりをするために準備していたじょうろを手から落とした。 動揺が、伝わってくる。 会わない間に、痩せたね。 小さくなった。腰も少し曲がって、それから皺も増えた。 母さんも感じてるはずだ。お互い変わったなぁって。 でもね、一つだけ変わらないものがある。 あの時からずっと、お互い笑い合うことがないってこと。笑うことを忘れてしまったから。 「会いたくなかっただろうし、会話もしたくないと思う。けどさ、どうしても話したいことあるんだ。……家に、上がらせてもらうな」 何か言い掛けた母さんに一方的にそう言って、久しぶりにこの家のドアを開けた。 「……っ、」 飾ってある、母さんの好きな絵も、傘立ての位置も、玄関のマットも。 想像していたのと違う。ここも、何も変わっていない。 ……なんて懐かしくて憎いんだろう。 それまでの楽しかった時間なんて、もう戻りはしないのに。あの頃のまま、この家は俺を迎えてくれるんだな。 心が、ざわついた。何が悪かったんだろう。 どうしてこうなってしまったんだろう。 後悔するようなことも間違ったことも、何一つしていないのに。 ……いや、違う。一つ、……あの時に大切なものを捨てたことだけ。 俺は小さく笑って、それから靴を脱いだ。

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