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3.我が愛しの王女様
彼女はルイーズ、男はライアン。二人は兄妹。
しかも彼らの家はお城。
つまりルイーズはお姫様で、ライアンは王子様らしい。
……ライアンはともかく、ルイーズは。
窓辺で本を読む美しい人。
少し伏せ気味の睫毛は長く、窓から差す陽の光を受けて煌めく紫の瞳が僕の心臓を鷲掴みにしていく。
……今日も綺麗だなぁ。
「ん、出来た?」
不意に彼女がこちらを振り返った。
優しげな微笑みは、兄であるライアンに向けられるものとは全く別種類のモノだ。
慈愛、気高さ、可憐……どれをとっても完璧なお姫様。
―――あれから僕はここに引き取られた。
名前を新たに『ディラン』と名付けられ、服を誂われる。
さらに人魚なもんで文字も人間用の教養もない僕に、彼女が勉強を教えてくれることになった。
「うん、うん……ディラン。貴方はとっても優秀な生徒ね」
そう言って微笑まれ、時に髪を撫でられる事は僕にとって最高のご褒美になる。
ありがとう、覚えたての文字を使ってノートに書けば。嬉しそうに頷き。また頭を撫でてもらえた。
「貴方って本当に可愛い人ね」
よくルイーズはそう言う。
……これってかなり脈アリなんじゃないかって僕は思うけどどうなんだろう。
でもアルじゃあるまいし、ここで調子に乗って肩に手を回す事なんてしない。
僕は紳士だしね! せめてその……手を取ってそこに恭しいキスをひとつ送るの許して欲しい。
彼女はお姫様なんだし、ね。
「今日の勉強はこれくらいにしましょうか」
その言葉に少し眉が下がる。
新しい事を身につける喜びと、愛しい人との時間が一遍に終わってしまうのだから。
……仕方ない。今日は庭師のジョンソンさんの所へ行って、また薔薇の剪定について教えてもらおう。
この城の人達は皆親切だ。
覚えたがりの知りたがりの僕に、皆ニコニコしながら教えてくれる。
『いつも偉いね』『手伝ってくれてありがとう』なんて褒めてくれたりするから、人間って本当にアル達人魚が言うみたいな狡猾で酷い奴なんだろうかと疑ってしまう。
……きっとみんな知らないんだ。知らないから怖い。それは仕方ないけれど、僕は怖がりたくないから知りたいと思う。
「そんな顔しちゃって。ふふっ、本当にディランは可愛いわね。お兄様が執心するのも分かるわ」
(彼がなんだって!?)
ライアンは確かに顔は美しい。スタイルも僕よりよっぽど男らしく逞しい。馬も剣術も国で一番、この前も隣国の王子に剣術の試合で楽勝したとか。果の国で暴れ回っていたドラゴンをその腕ひとつで鎮めた話も聞いた。
……でも僕は彼が苦手だ。なんだか怖いし、あの瞳で見つめられると落ち着かない気分になる。
何故だろう、彼女と同じ色の瞳なのに。
あとライアンはすごく距離が近くて、すぐに僕の身体を触ったり持ち上げたり抱き締めたりする。
ルイーズは『変態』と罵倒して、彼から僕を守ってくれるけれど、その『変態』って意味はまだよく分からない。
今度ちゃんと聞いてみようかな。
「そうねぇ……そうだわ。少し散歩しましょうか」
(えっ、ほんとに!?)
僕は力いっぱい頷いた。
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お城の庭はとても広い。
あと花が溢れているのは、亡くなった彼らのお母さんである王妃様の好みなのだとか。
「私は花も良いけど、果樹園とか作りたいのよね」
なんて。少し行儀悪く片手に持った林檎を齧りながら歩くルイーズはとてもチャーミングだ。
「花じゃ腹は膨れないわよ。ま、心は満たせるけどね」
『ジョンソンさんには内緒ね?』と悪戯っぽく微笑む彼女に僕は思わず吹き出した。
この国の人達は王様や亡くなった王妃様、そしてこの兄妹の事が大好きらしい。
そして彼らも国民が大好きで、しょっちゅう城を出て街に降りていき人々の声を聞くのだと使用人たちが相好を崩して話していた。
「ディラン。私ねぇ、たまに考えるのよ」
ふとルイーズは足を止め、僕を促して庭にある椅子に座る。
「私が男の子だったらなぁって……」
(ルイーズ?)
「女の子だから、剣術も馬術もちゃんと稽古付けて貰えないのよ。『お姫様がはしたない』って。お兄様は両方ともちゃんと教えて貰えるのに。 ……だから私、独学で頑張ったわ。馬も剣も、お兄様程じゃないけどそこらの男には負けないつもりよ。でも……」
長い睫毛が影を落とすように少し伏さった。
「いつか私、どこかの貴族か国の王子だかと結婚させられるのでしょうね。そうしたらきっと、今まで必死で身に付けてきたことが全て無駄になってしまうようで……悲しくて仕方ないわ」
(ルイーズ。泣いてる?)
「男と女じゃあきっと違うのよね。でも、私がやりたい事は皆が望むことじゃない。皆が望むことは私の歩みたい人生じゃない……」
その声は悲しみと苦悩に満ち溢れていた。
話せない僕はそれに相槌を打ってあげることすら出来ない。
いや、例え話せたとしても。僕は何と言ってあげられただろう。
「ディラン? 貴方がココに来てくれて、私本当に嬉しいのよ。ようやく私の存在意義が見つかった気がしてね」
(え?)
「貴方みたいな澄んだ瞳の可愛い人に、勉強を教えて。それを貴方がどんどん吸収してくれて……毎日が楽しくなったわ」
(そんな。僕だって!)
ルイーズを一目見て恋に落ちて、文字通り人生変わったんだ。それにその……初恋、だったし。
「だから約束して。ずっとここにいて。どこかに行っちゃ嫌よ?」
(る、ルイーズ……!)
僕は何度も何度も頷いた。嬉しくて仕方ない。
これ、ほんとに両想いなんじゃないの!?
「あとね。貴方ってすごく不思議な人。私を助けてくれた人に似ている……気がするのよ」
(似てるんじゃないです! 本人です! いや人魚ですけど!)
言いたいけど、さすがに言えない……口きけないし。
「貴方に出会う10日ほど前かしら。私、死にかけたの」
―――彼女はあの日の夜について語った。
大きな船で船上パーティーがあったらしい。そこで、常々彼らに逆恨みをしていたらしい男に襲われたルイーズは、夜の海に投げ出される。
「来ていたドレスが嫌がらせかってくらい重くってね。しかも胴体を力任せに締め上げるデザインで、とても泳げたものじゃなかったのよ!」
憤懣やるかたないといったふうに肩を竦めた。
「それで『あー、もうだめかも』って諦めかけた時に誰かが助けてくれたの。冷たい海から引っ張りあげて、砂浜に寝かせてくれた人。月明かりに輝く金の髪、白い肌。華奢な手……まるで魔法みたいだった」
(嗚呼、やっぱり僕だ!)
金髪だし、肌もまぁ黒くはない。華奢なというと男としては複雑だけど、この際仕方ない。
僕は出ない声を必死で出そうとしながら、なぜ今ノートを持ってこなかったのか悔やんだ。
(ルイーズ、僕だよ。僕が……)
「テメェら、何してやがる」
背後に聞こえた声。
彼女はうんざりと溜息をついて、僕は顔を顰めて振り向く。
「……お兄様」
いつもの何倍も険しい顔のライアンが、相変わらず大きな身体で仁王立ちしていた。
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