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第2話 ビー
その勘違いした誰かさんともきっと寝たことがあるんだろう。ビーの手の速さは有名だ。ただし、モテるだけに選り好みをすることでも有名だった。だから俺は、ビーに声をかけられた時、正直嬉しかった。
「この際だから教えちゃおうかな。僕の本名は八田トシキ」
「俺は」俺も本名を言いかけて、やめた。そんなことをしたら、必要以上に情が湧いてしまいそうだ。「……確かにハチって呼び名はピンと来ないな。忠犬じゃあるまいし」
「僕、ミツには忠実だよ?」
「またそういうこと言う」
肘で彼の脇をつついた。
「今更だけど、ビーなんて呼び名、結構恥ずかしいよね。これからはミツにだけそう呼んでもらおうかな。そのほうが特別っぽいしね。……あれ? なんか僕、中学生みたいなこと言ってるなあ」
整った顔をくしゃっとさせて笑う彼。
その顔を見た瞬間、俺は、「恋」なるものは本当に「落ちる」ものなのだと知った。
「そういうとこ、好き」
「ん?」
「ビーって、イケメンでおしゃれで格好よくてモテまくりで……なのに、そういうの全然鼻にかけてない」
「褒めてくれるのは嬉しいけど、ルックスのことばかりだな」
「もちろん見た目だけじゃないよ」俺はビーの耳元に顔を寄せて囁いた。「セックスも上手だし?」
ビーは動じることなく「光栄だね」と笑った。ほら見ろ、どこが中学生だ。こんなやりとりにだって慣れてるんだ。
でも、仕方がない。俺は恋に落ちたのだ。あるいは雷に打たれた。キューピッドの矢が刺さった。いや、ここは蜂の一刺しと言うべきか。
なんでもいい、とにかく俺は、彼とはワンナイトラブではない、本当の「恋人」になりたいと思ってしまったのだった。
「もう、お腹いっぱい」
俺はビーをじっと見つめる。オードブル程度のものをつまみながら酒を二杯ばかり飲んだだけだ。満腹になるはずがない。ただ、一刻も早くこの店を出て、二人きりになりたかった。
「そんな顔、僕以外に見せたらだめだよ?」
ビーは俺の欲望を見透かすようにニヤリとした。それからスッと手を挙げて、店員を呼び、会計を頼んだ。
最初に誘ってきたのはビーのほう。それだけの理由で、ホテル代もいつもビーが支払っていた。払ってくれるというものを、わざわざ割り勘にする必要もないだろうと甘えてきたけれど、「特別」な関係になってくれるなら話は別だ。
「いつも出してもらってるから、今日は俺が」
俺がそう言うと、ビーはいやいやと首を振った。
「僕が誘ったんだから」
「でも」
「いいって。その代わり、可愛いとこ、たくさん見せてよ」
ビーが俺の喉元から顎にかけての部分をくすぐるように撫でた。まるで猫でもあやすみたいに。
ま、実際、俺が"ネコ"なんだけど。
「ミツ、可愛いよ」」
ホテルの部屋で、ビーが俺の足を開く。その中心にゆっくりとゴムを被せた指を二本、埋めていく。
「んっ」
「気持ちいい?」
「うん、あ、そこ……」
「ここね、好きだよね」
「もうほぐしてあるから」
「そんなに急がないで。明日、休みでしょ?」
「泊まれる?」
「僕は明日も出勤だから泊まれないけど、ミツはゆっくりしていきな」
「やだ」
俺はビーの袖口を掴む。全裸の俺とは対照的に、ビーはスーツのジャケットを脱いだだけだ。
「ミツが寝るまではいるから」
「じゃあ、寝ない」
「困らせないでよ」
ビーは苦笑して、俺の額にキスをした。俺はすかさずビーのネクタイを掴んで引き寄せ、むしゃぶりつくようなキスを浴びせた。
「ちょっと待てってば」
ビーがやっとネクタイを外し、シャツを脱いだ。その時間さえもまどろっこしくて、俺は膝で彼の股間をつつく。
「こら」
優しく諫めるビーの股間は、しっかり固くなっている。
「早く挿れて」
俺はわざと腰を突き出し、煽りまくる。
ビーが俺のペニスに触れる。その先端から溢れる液体を指先で掬うようにして笑う。
「ミツの蜜だ」
「蜂ならさっさとぶっ刺してよ」
「分かったってば、せっかちだな」
「だって、ビーの、早く欲しい……」
「もう」
ビーのペニスが入ってくる。カリが俺の良いところをゴリゴリと掻きまわす。
「あっ、いい、気持ちいっ、ビー、あんっ」
「好きだよ、ミツ」
「うん、俺も、好きっ……あ、ああっ、もっと、奥、突いてっ」
ビーの脈打つそれが更に奥へとねじこまれていく。爪先まで電流が走り抜けていくこの瞬間がたまらない。
「あ、イきそ、イッちゃうっ」
「まだ、だめ」
ビーが俺の亀頭をきゅっとつかんできた。これじゃイキたくてもイケない。
「やだ、ビー、離して」
「まだだよ、もっと気持ちよくしてあげる」
「イキたい、あっ、ああっ、ビー、お願い」
「ここ、これでこすると、もっとすごいよ?」
いつの間に用意していたのか、ビーの手元にはたっぷりのローションで濡れたガーゼ状の布があった。
「何する……あ、あ、ちょっ、待って、ビー、だめ、それ、だめっ」
ビーはペニスを抜いた。俺がそれを責めるより先に、俺の亀頭をそれでこすりあげ始めた。そのたびに経験したことのない強烈な快感が全身を貫いていく。
「ああっ、だめ、それ頭おかしくなるっ」
「いいよ、いっぱいおかしくなろ?」
「ひゃ……あ、んんっ」
思わず妙な声が出てしまう。
「可愛いよ、ミツ」
そう囁かれた瞬間、俺の身体は俺の意志とは無関係に痙攣した。気持ちがいい、そんな言葉では言い表せないほどの波に持っていかれる。
「あ、あ、ああっ」
その波は何度も何度も押し寄せてきて、本当に狂ってしまいそうだ。
「ビー、あ、これ、何……」
「気持ちい?」
「いい……けど、あ、また、あっ、あああっ、やだ、ビー、こわい、何、あ、変になるっ」
「ねえ、挿れるよ」
「んっ、や、今、挿れたら、あぁっ、んっ……、だめぇっ!」
もう何がなんだか分からなくなっていた。ビーのペニスが再び内側に入ってくる。亀頭はもう触れられてはいないのに、さっきまでの感触が生々しく残っていて、俺の内側も外側も、全身が性感帯のようだった。
たぶんビーが動いたのはほんの二、三回。たぶん、と言うのは、その後俺は気絶してしまったからだ。
目を開けた時には、全裸のままではあったけれど、体はきれいに拭かれた形跡があり、布団がかけられていた。
「ビー」
置いて行かれたと思った。寝るまではそばにいると言ってくれたけど、気絶は「寝る」に入るのだろうか。
不安になりながら、もう一度「ビー」と呼んだ。
「ああ、気が付いた?」
ビーがバスルームから出てきた。
「……よかった」
「帰っちゃったと思った?」
「ん」
「あんな状態のミツを置いていくわけないだろ」
「あんな状態……」
ビーは俺の隣に潜り込んできた。
「ドライでイッちゃったね?」
そうなのだろうとは思ったけど、改めて言葉にされると恥ずかしい。
「ああいうの、初めて?」
「……ビーみたいに経験豊富じゃない」
「何言ってんの、ローションガーゼなんて僕だって初めてだよ。ミツの顔見てるとさ、いろいろしてみたくなっちゃうんだよ。うまくイケた?」
「あれで実践は初めてなんて嘘ばっかり」
ビーはにっこり笑うだけで何も答えない。その代わりのように、テーブルに置いてあった腕時計を見た。「終電、逃したなあ」
「タクシー?」
俺はビーに問いかける。本当に聞きたいのはタクシーで帰るかどうかじゃない。明日の仕事に備えて帰る、という決断を翻す気があるかどうかだ。
「そんな顔しないで」
ビーが俺の頬に触れる。眉を下げて戸惑っている。その表情の意味するところが困惑ではなく逡巡であればいいのに、と俺は願った。
でも、ビーは結局、あっさりと出て行った。
いつもそうだった。それから何度も寝たし、熱烈な愛の言葉も注がれたけれど、朝まで一緒にいてくれることはなかった。それから、休日のはずの週末だって。
――まあ、そういうことなんだろうな。
割り切っているつもりだった。別に本命がいる可能性も、もしかしたら既に結婚している可能性だって考えていた。最初はどうでもよかったはずのそれらの「可能性」は、ビーに会うたびに重くなっていった。
出会って、好きになって、想いが溢れて、結ばれて、でも、そんな熱情もやがては冷めて、別れの時が来る。それが恋のプロセスだとしたら、ビーへの恋は、まるで逆再生のようだった。割り切ったところから始まった。何度も体を重ねた。恋愛感情を伴っていなかった時には簡単に口にできた「好き」の言葉が、だんだん言えなくなった。彼を手放さないとならない時が来て、自分の想いに気が付いた。でも、それはビーではなく俺の落ち度でしかなかった。
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