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第8話
しばらくぶりによく眠れたようだった。いつの間にか、部屋は明るくなっていた。
リヅィアは寝台の傍で膝をつき、僕の顔を覗き込むようにしていた。目が合うと、「つい夢中になってしまった、すまなかった」と頭を下げてくる。
それから、恐る恐るといった様子で、口を開いた。
「また、触れてもいいだろうか」
僕なんかに、伺いを立てる必要はないのに。
「そういうの、やめて下さいって言いましたよね」
「そういうの、とは」
「そういう……、や、優しくするような真似」
「別に、真似のつもりではないのだが。そのように見えていたのならすまない」
ただでさえ項垂れていたリヅィアは、ますます肩を落とした。「難しいな」と目を伏せる。
やめてくれ。
僕が眠っている間に医者を呼んでいたらしい。貧血傾向にあると診断を受けた。それを聞いたリヅィアは色の濃い野菜や果物をどこからか調達してきて、食べるよう勧めてきた。
初めて食べる赤い実は、ちょうど口いっぱいに頬張れる大きさで、歯を使わず潰せるくらいに柔らかく、甘かった。
美味しい。
「気に入ってもらえたようでよかった」
リヅィアがにこにこと頷いている。どうして、お前がそんなに嬉しそうなんだ。
講義はなかった。体力づくりを積極的に続けなさいと医師から言われたため、昼食後は軽く散歩をすることになった。
ディノと違い、リヅィアは僕に歩調を合わせゆっくり隣を歩く。歩幅が違うため、歩きづらそうだ。そんなふうにしなくても、言ってみれば、家畜の散歩なわけだから、そう、この首輪に縄でも通してひっぱればいいのに。
牢を出されてからずっとそのままにされている金属の輪に触れる。冷たい。
それにしても、今日のリヅィアは口数が少ない。いつも、聞いてもいないことをべらべらと喋っているのに。
そう不思議に思っていると、ふいに、リヅィアが足を止めた。じっと僕の方を見下ろしてくる。けれど、何も言ってこない。心なしか、顔が赤い。何を求められているのか、さっぱりわからなず、ただ彼を見つめ返すしかない。
しばらくして、リヅィアはその図体からは考えられないような小さな声で言った。
「手、を繋ぎたいのだが、」
手?
リヅィアから視線を外し、自分の掌に落とす。小さい手だ。指の付け根のあたりの膨らみは、何度も豆ができては潰れを繰り返してきたので皮が厚く固い。指には火傷の跡もある。手首には縛られていたときの痣が濃く残っていた。汚い手だ。
躊躇い、俯いたままでいると、遠くからリヅィアを呼ぶ声が聞こえてきた。どうやら部下の1人らしい。
リヅィアは眉間に皺を寄せ、相手を睨み付けていたが、やがては折れた。当然だ。一国の王であるリヅィアがいつまでも虫に構っている時間があるわけがない。
すぐに戻るから待っているように言われる。
僕は遠ざかっていくリヅィアの背を見送った後、周囲を見回した。すぐ近くに屋根のある場所を見つけた。簡単なつくりの椅子も2脚置かれている。そこに座ることにした。
天気がいい。風も暖かい。色とりどりの花々が気持ちよさそうに揺れている。あまりにも穏やかなその風景に、強い焦燥感を覚えた。ぎゅうと膝の上で拳を握りしめる。
僕は、これから先どうしたらいいんだろう。これから先、どうなるんだろう。あいつはどういうつもりなんだろう。
拳を、ゆっくり開き、表を向ける。
手なんて、繋ごうなんて言われたこと、今までなかったんだ。縛られて掴まれて引きずられて、そればかりだった。
悔しい。
こんなことが、こんなにも嬉しいことだったなんて思わなかった。
勘違い、するな。
「ここにいましたか」
突然背中からかけられた声に、肩が跳ね上がる。振り返るまでもない。両側から首筋に触れられ撫でられる。
「身体が冷えてますよ。さあ、立って。浴室に行きましょう」
顔を、ゆっくり後ろに向ける。両方の口角を気味が悪い程に引き上げ、ディノが立っていた。
***
望んでいたはずのことだったのに、滑稽なくらい震えが止まらない。大股で歩くディノの後ろを、足をもつれさせながらも付いて行く。これから何をされるのか、予想はついていた。
室内に戻り、浴室へと辿り着く。ディノの顔から笑みは消えていた。全くの無表情で、しかし、手は焦っているように荒々しく、僕の服を脱がす。
ディノと対面するのは、あの張形を使われた日以来だ。ディノは恐らく、実験が思うようにできなくて、焦れに焦れているはずだ。きっと容赦はされない。
震えを止めようと手を組むが、あまり意味を為さなかった。
浴槽に放り込まれた。やはり余裕がないようで、僕が一応は口と鼻から息をする生き物だと忘れているようだった。顔ごと湯に漬けられ、髪をひっぱるように洗われる。苦しい。
すぐに椅子に座らされた。後ろで、にちゃにちゃと音がする。『アレ』を、湯につけて準備をしているのだろうか。
息が止まってしまいそうだ。なんとか浅い呼吸を繰り返す。組んだ両手は震え続けていた。ディノは何も言わない。怖い。
やがて、「よし」と聞こえてきた。
「う、っ」
僕の正面に跪いて陣取り、乳首を捏ねくり回し、萎えた陰茎に触れる。それらの刺激についつい前のめりになりそうになるが、ディノは汚れるのを嫌がるので、できるだけ背を伸ばし姿勢を保つよう努めた。
陰茎はなかなか起立しようとしなかった。ディノは力加減を忘れて、何度もそこを擦るが、痛いだけで様子は変わらない。
それに、ディノだけじゃなく、僕自身も焦る。少しでも機嫌を損ねたくないのに。
諦めたらしいディノは、僕を床に這いつくばらせた。指が、肛門に触れる。遠慮なく、ツプツプと入ってきた。苦しい。
あのときのようにしがみつく枕もなく、曲げた自分の腕に噛みついた。どうかディノがもう少し後ろを慣らしてくれますように、そう願う。
「ひっ」
思わず、悲鳴を上げてしまった。窄まりに触れる固いものがある。指ではない。恐らくはあの時の張形だ。嫌だ。嫌だ。制止の声が出そうになるのを、より大きな口で皮膚を噛むことで堪える。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
『助けを求められたい』
なんだよ、それ。
僕は、僕はもう長いこと、ずっと勘違いしてきているんだよ。これ以上の勘違いはいらないんだよ。
これ以上、期待して、裏切られたくないんだよ。
ひっくと喉が震えた。ぼろぼろ涙が零れる。
リヅィア、助けて。
勢いよく、浴室の扉が開いた。
「何をしている、ディノ!」
怒号が、空気を振るわせた。鼓膜や皮膚までもがビリビリと震える。
リヅィアが、いた。
目が合う。濡れるのも構わず、中に足を踏み入れると、ディノの顔面に拳を打ち付けた。
おい、仲間の結束とやらはどこにいった。
ディノは後頭部を強かに打ったようで、そのままずるずると壁に凭れるようにして座り込んだ。動かない。
「キール」
僕の身体を自分の着ていた服で覆い、抱き上げる。大股で歩き始めた。
「どうして、ディノについていったんだ! 何をされるかわからなかったわけではないだろう! 俺は、待っていろと言ったのに!」
リヅィアが声を荒げるところを初めて見た。
濡れたままの髪の先から、水滴がぽたぽたと廊下に落ちる。被せられた服も湿ってきた。汚れる。いいのだろうか。
「だって、ああいうふうなこと、もうあなたはしてくれないじゃないですか」
「ディノの行為が嫌じゃないというのか? こんなに青ざめて震えて泣いているのに」
「嫌なことをされなければ、罰にならないでしょう」
「罰は終わったと、前にも言った」
「僕は罰を受けたいんです。その方がずっと楽だ。――レノのために生きて、罰を受け続けたい。何も考えたくない」
リヅィアの地雷になるであろう名前を出す。案の定、「その名を出すな!」と顔をしかめた。
「僕は、僕の恩人であるレノのために生きたい。そうでないと、生きている意味なんてない。レノ以外に僕を気に掛けてくれる人なんていないのに」
もっと怒ってほしかった。怒って、酷いことをしてほしい。
普段から僕が寝起きしている部屋に着いた。寝台の上にゆっくり横たえられる。リヅィアは縁に座り、長い溜息を吐いた後、俯いたまま動かなくなってしまった。
掌をつき身体を起こす。声をかけるのも触れるのも躊躇われ、迷う。長い沈黙が続いた。
「レノを見つけた」
「え」
それを破ったのはリヅィアだった。
僕がここに留まれば、手は出さないという約束じゃなかったのか。いや確かにそうはっきり言われたわけはない。
僕の声に批難めいたものを感じたのか、リヅィアは即座に「違う」と言った。
「決して罰を与えるためじゃない。お前が、あまりにもあの男を慕っているようだから、その、気になっていた。ずっと、捜させていた」
レノが、見つかった。
血の気が引いていく。その先を、聞きたくなかった。
「あいつは、女と暮らしていた。子どももいた。たまに女を抱いていた。その度にお前の名前が出る」
リヅィアは僕に背を向けたまま、淡々と続ける。
やめてくれ。
「『あいつを買っておいてよかった。初めて役に立ってくれた。おかげでお前を救えた』、そう笑っていたそうだ」
うるさい。
「いつだったか、レノのことを恩人だと話してくれたな。けれど、あいつは本当は」
「うるさい!」
両手で耳をふさぎ、額を寝台につける。リヅィアが振り返るのがわかった。
聞きたくない。聞きたくない。
「全部知っているから、言わないで」
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