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3.いじわるだけど優しくて

研修生全員の即興の発表が終わり、休憩時間になった。 璃玖は周りを見渡し、思い思いに休憩している研修生の中から、先ほど声をかけてくれた一樹の姿を探す。 (八神君は…いた!) 数人のグループの中で、壁に寄りかかりながら話をする一際背が高い一樹の姿を見つけ、一目散に璃玖は駆け寄る。 そして、勇気を振り絞って一樹に近づき声をかけた。 「あ、あの!」 緊張のせいで璃玖は思っていた以上に声が大きくなってしまい、一樹と話していた全員が驚いた顔で璃玖の方を向く。 「なに?何か用?」 そんな璃玖に対して一番に答えたのは、まるで女の子と間違えてしまいそうな容姿で一樹の隣に並んでいた葉山伊織(はやまいおり)だった。 (うわぁ…きれい…。お人形さんみたいだ) サラサラで色素が薄い髪に、切れ長の瞳で長い睫毛の伊織は、まさに西洋のお人形のようだった。 しかしその綺麗な顔は、眉間にしわを寄せて、鈍い璃玖でもわかるくらい不機嫌そうな顔をしていた。 「あの、八神君にさっきのお礼を言い…たくて…」 璃玖は一生懸命声を絞り出すが、伊織の不機嫌そうな顔が目に入り、萎縮してしまう。 そのため、語尾の方は消えてしまいそうなくらい小さい声になってしまい、そのまま璃玖は俯いてしまった。 「えー、なにー?聞こえないんだけど」 わざと煽るような口調で、伊織は腕を組みながら璃玖に近づき、俯いた璃玖の顔を覗きこんできた。 (こ、こわい…) 璃玖はますます怖くなって、レッスン着のTシャツの裾をキュッと握りしめた。 すると、伊織と璃玖の顔の間にスッと手のひらが現れた。 「ストップ!伊織、そういう言い方よくないぞ」 間に入ったその手は一樹のものだった。 (大きな手…) 「ふんっ、なんだよ、一樹のバカ。勝手にすれば」 伊織は綺麗な顔をプイっと背けて、足音を立てながら、そのままスタジオの出口に向かって行ってしまう。 「おい、伊織待てよー」 一樹と伊織と一緒に話をしていた数人の研修生は、全員、伊織の後を追いかけて行ってしまった。 「ったく、しょうがないやつ。あいつ、人一倍ライバル意識強いからさ…」 一樹は顔の前で手を合わせ、璃玖に「ごめんなっ」と言った。 「ううん。僕が何か気に触ることしちゃったんだと思う」 璃玖は人見知りのせいで中々気持ちが伝えられず、相手をイライラさせてしまうことがよくあった。 きっと今回も自分が何か怒らせてしまったのだろうと、璃玖は反省する。 「まぁ、あいつが勝手にライバル視しているだけだしなぁ…。神山はこんなにチビでかわいいのになぁ」 ふと、璃玖の頭の上に優しく一樹の右手が置かれたと思うと、大きく左右に動かし、髪をわしゃわしゃっと思いっきり撫でられる。 「ちょ、ちょっと八神君…!!」 璃玖は首を振って抵抗したが、一樹は手を止めなかった。 「八神君ってば!」 「うーん、その嫌がり方、更にうちの黒柴みたいだな」 今度は両手で、まるで本当に犬を愛でるかのように、璃玖は一樹に髪をかき乱される。 「一樹って呼んだら止めてやるよ」 乱された前髪で璃玖は視界が遮られてしまって一樹の表情はわからなかったが、明らかに楽しんでいる様子であるこは鈍い璃玖でもわかった。 「わ、わかったよ。一樹、ストップ、ストップ!!」 璃玖が名前を呼ぶと、一樹はやっと手を止めた。 「うわ、ボッサボサ」 (自分がやったんじゃないか!) 璃玖は言い返そうとしたが、一樹の手は先ほどの乱暴な様子とは違い、髪を梳かす用に璃玖の髪を優しく撫で始めた。 髪を撫でられる感覚に慣れておらず、なんとも言えない心地よさに、璃玖は抵抗するのを忘れてしまう。 「そうそう。いい子、いい子。な、りーく」 「…!もうっ、僕は犬じゃないんだけど!」 ハッと我に返った璃玖は、頭の上に置かれていた一樹の右手の手首を掴んだ。 そして、璃玖は一樹の手の平を犬のように思いっきり噛みつくフリをした。 「おー、怖っ」 一樹が手を引っ込めた瞬間、お互いに真剣な顔で目が合ったが、数秒後、どちらからともなく吹き出し、笑いあってしまった。 スタジオに残っていた他の研修生たちは、急に笑い出した二人を不思議そうに見つめる。 「あー、おもしろ!なあ、璃玖はチビだけど何年生?」 「…チビは余計だよ。今年、中一になったところ」 璃玖は、先日の身体測定の結果、自分が平均身長以下で、背の順が先頭になってしまったことについて少々ショックを受けていたため、身長の話には敏感になっていた。 一方、一樹は璃玖より頭半分ほど背が高い上に手足も長く、まるでモデルのようだった。 「なんだタメなんだ。早く璃玖にもオレみたいに成長期くればいいなー」 「僕は平均よりちょっと足りないだけで…」 「足りない…」 一樹は璃玖の頭の先から足の先までゆっくり見直して、今度はお腹を抱えて笑いだす。 「一樹!!」 そんな一樹の失礼な態度に、璃玖は顔を赤くして怒り出すが、さらに一樹の笑いを誘ってしまう。 「…もう、知らない!」 今度は口先を尖らせ、璃玖は拗ねたように一樹から顔を背けた。 「ごめん、ごめん。はぁー、なんかいいなぁー…。こういうの」 「えっ?」 ようやく笑いがおさまった一樹は、腕を頭の後ろで組みながら、壁によりかかり、ゆっくりと喋りだす。 「ここのやつら、なんか微妙な距離を感じるんだよなぁ。正直この半年、息がつまりそうだったんだ。まぁ、そういう世界なのかもしれないけど…」 一樹は溜息交じりに、少し寂しそうに言った。 「実は璃玖のこと、何度か見かけていたんだ。その時、よく目を瞑って考えている感じだったから、集中するのに必要なのかと思ってさ。さっきのレッスンでは夢中で声かけてた」 (意地悪…だけど優しいんだ) 「さっきは…ありがとう。あの時、僕、頭が真っ白だったから、一樹には本当に助けられたよ」 璃玖は改めて一樹にぺこりと頭を下げてお礼を言った。 「いいって。オレが勝手にしただけだし。それより、璃玖は何か音楽とかやっていたの?」 一樹の問いかけに璃玖は首を横に振る。 「ぜーんぜん。全部、自己流だよ。ピアノだけは母さんに習って弾いているくらいかな」 璃玖の家には、母が嫁入り道具として持参した古いピアノがある。 物心ついたころから鍵盤に触れていた璃玖だったが、教室などには通っておらず、母から習って弾いたり、でたらめに作曲をする程度だった。 「そっか。それでさっきみたいな曲が作れるんだから、璃玖は曲作りの才能があるのかもな」 「才能…」 今まで自分が考えたこともないことを一樹に言われ、璃玖は少々驚き、戸惑ってしまう。 「さっきの曲、すごくきれいな旋律だった。いつまでも聴いていたいけど、切ない感じが伝わってきて…。あと、初めて聞くのに、なんだか懐かしい感じだった」 一樹は照れる様子もなく率直な感想を言うため、璃玖のほうが気恥ずかしくなり、顔を赤らめてしまう。 「そ、そんな…。たまたまだよ…。頭に浮かんできたままに歌っちゃったから、曲自体あまり覚えていないし…」 実際、先ほどのレッスンは無我夢中で、歌った内容は璃玖はほとんど覚えていなかった。 けれども、言葉とメロディーが自然と次から次へと溢れてくる感覚は璃玖もしっかり覚えていた。 それはまるで、自分が自分ではないような、不思議な感覚だった。 「そうなんだ。もったいないなぁ…。オレ、璃玖の作った曲で今度踊ってみたいって思ったよ」 一樹の言葉に、璃玖はその場で飛び跳ねたい嬉しくなってしまうが、社交辞令という言葉が頭を過ぎった。 しかし、男の璃玖から見ても格好いい一樹のダンス姿は、想像するだけで璃玖の胸が高鳴った。 しかもそれが、自分の作った曲だったらと考えると、余計に心躍った。 「僕なんかが作った曲で…。その…。一樹が踊ってくるなら…嬉しい…な」 こんなことを言ってもいいのかと不安になりながらも、璃玖は一樹に伝えると、一樹は満足そうに顔をほころばせて笑った。 「えっ?ほんと?じゃあ試しに何か作ってきてよ」 「で、でも!僕、本当に曲とか作ったことないんだよ?」 「いいから!オレはもっと璃玖の作った曲が聴きたいんだ」 一樹の言葉に、璃玖は何か満たされたように心が弾んだ。 「…うん!!がんばってみる」 「じゃあ、ハイタッチ!」 一樹はそう言って璃玖に手のひらを向けるが、一樹の腕は目一杯高く上げており、璃玖には届かなかった。 「一樹っ!!」 「ごめん、ごめん。とりあえず再来週の日曜日、このスタジオで八時に待ち合わせな」 今度は一樹の顔の高さに手のひらが広げられると、璃玖は思いっきりハイタッチをした。

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