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4.約束
迎えた二週間後の日曜日。
スターチャート養成所前の桜並木は、つい先日まで満開の淡いピンク色で埋め尽くされていたが、まるで幻だったかのように、今では葉桜となっていった。
地面には散ってしまった花びらがまだ残っていたが、朝日に照らされた葉桜は青々と輝いていた。
(Tシャツだけだと、まだ寒いかな…)
璃玖はレッスン着のTシャツに、白に近い薄い藍色をしたお気に入りのパーカーを羽織って養成所のロッカールームを後にする。
日中は気温も上がり暖かい日が続くようになったが、まだまだ朝晩は冷え込み、今朝は特に肌寒かった。
普段は空調で温度は一定に保たれている養成所も、休日の朝のせいか、ロッカールームを出た地下の廊下はとてもひんやりしていた。
しかし、そんな肌寒い気温とは反対に、璃玖は胸が高鳴って、いつもより自分の体温が高い気がした。
高まる気持ちを抑えつつ、待ち合わせをしていたスタジオの扉をあけると、一樹が座ってストレッチをしているところだった。
「おはよー、璃玖」
璃玖の到着に気づくと、一樹は座ったまま璃玖に向かって全身で大きく手を振った。
「おはよー。あれ、僕遅かった?」
慌てて璃玖は壁に掛かった時計を見ると、待ち合わせの八時より十分ほど前だった。
「違う、違う。オレが楽しみで早くきちゃっただけ」
「へへ、そっか。遅刻したかと思って焦ったよ」
璃玖は手に持っていたスポーツドリンクとタオルを入口近くの隅っこに置き、一樹に駆け寄る。
「で、で!曲は出来た?」
黙っていれば大人びた印象の一樹が、子供のように目を輝かせながら質問をしてくる。
璃玖はついついそんな一樹の姿が可愛いと思ってしまいながらも、一樹の向かい側にちょこんと座った。
「とりあえず、ピアノの音を録音してきたんだけど…。それでもいいかな?」
手に持っていたICレコーダーを、璃玖は一樹に差し出した。
「すげー!聴かせて、聴かせて!!」
璃玖は少々照れながら、父に借りたICレコーダーの再生ボタンを押した。
ICレコーダーから流れた曲は、アップテンポながらも優しい曲調だった。
一樹はそのまま一言も喋らず、そっと目を瞑り、璃玖の作った曲に耳を研ぎ澄ました。
そんな一樹の真剣な様子を、璃玖は緊張しながら見つめた。
曲が終わると、璃玖は感想が気になり、恐る恐る「どうかな…?」と質問をする。
「うーん…」
一樹は何かに悩んでいるようかのように、目を瞑ったまま腕を組み、首を傾げた。
璃玖には一樹のその様子が、曲が期待以下だったため感想に困っているように見えて、思わず俯いてしまう。
「ごめん…。期待してくれたのに…。やっぱり僕じゃダメだったよね…」
一樹が目を開けると、目の前に座っている璃玖が明らかに落ち込んでいる様子に慌ててしまう。
「あっ!!ごめん、ごめん。違うんだ。ちょっと考えてて」
「考える…?」
「そう。なんていうか…。この曲ってオレにぴったり…というより合わせている?」
「え、すごい…!なんでわかったの?」
一樹の的を射た感想に璃玖は驚き、大きな目を丸くする。
「いや、なんとなくテンポとか曲調が、オレが得意なステップやターンが入れやすくなっている気がして…」
「ほんと?そんな感じに出来ている?」
「あ、やっぱりそうなんだ。うん。この曲すげぇ好き。曲を聴いているだけで、振り付けが浮かんでくるんだ」
「やった!!負けないで、一樹のレッスン見学した甲斐があったよ」
「負けないで?」
「あ、ううん。こっちの話」
(実は、伊織君がすごい顔で睨んでいたんだよね…)
曲作りのため、璃玖は一樹のレッスンの見学をしに行った。
その時、手を振ってくれた一樹の横に立っていた伊織が、鬼のような形相で睨んでいたことを璃玖は今でも忘れられない。
一樹と伊織は、研修生になる前から有名なダンススクールに一緒に通っていて、半年ほど前、二人一緒にオーディションに合格したと一樹から聞いていた。
そんな二人は、入所して半年にも関わらず、ダンスが誰よりも上手く、レッスンの新しい振り付けを難なくこなすほどだった。
「一樹のダンスって、すっごく格好いいよね…。僕、この曲作っている間、一樹のことずっと考えていたんだ。どうやったら、もっと一樹が格好良く踊れるかって」
「俺のこと…ずっと考えてたのか?」
「うんっ!」
屈託のない笑顔で言う璃玖の素直な返事に、一樹は恥ずかしくなり、璃玖から顔を背けてしまう。
「どうしたの…?」
一樹の様子に、璃玖は首を傾げてしまう。
同年代にしては少しあどけない璃玖の仕草に、一樹はつい可愛いと思ってしまい、その感情を隠すように、自分の顔を片手で覆い隠した。
「それって、わざと…じゃないんだよな…。きっと…」
「え?何が?」
「いや…気にしないで」
「そう?あ、あとね。僕、一樹のこと考えているの、すっごく幸せだったんだよ」
璃玖は黒くクリっとした瞳で真っすぐ一樹を見つめて、本当に幸せそうな顔で笑った。
「無自覚か…」
一樹は呆れるように溜め息をついて、首を振った。
人見知りの璃玖だが、一度気を許した相手には、ついつい深く考えず、思ったことをそのまま伝えてしまう性格だった。
それは、璃玖の長所でもあり短所でもあったが、気を許す友達も多い方ではなかったため、今まで指摘されたこともなく、璃玖自身、無自覚だった。
「まあ、いいや。それより、この曲、すげぇいい曲だよ。特にサビの部分が、まさにオレが踊りたい感じの曲だよ」
一樹は気を取り直して、何度もICレコーダーのリピートボタンを押して曲を聞き返した。
そのたびに「ここであのターン入れたい」など、頭の中で着々と振り付けの構想を練っていっていた。
「ありがとう、そう言ってくれると、頑張った甲斐があるよ」
一樹の満足そうな顔に、璃玖は安堵の胸をなでおろす。
「いや、ほんとにすごいよ。そういえば、この曲、歌詞ってまだないのか?」
「実は…。出来てはいるんだけど…。その…自分の歌を…録音するの恥ずかしくて…」
自分で演奏したピアノの音ならまだしも、璃玖は歌声を録音して一樹に聴かせるのは抵抗があった。
「なんだ。じゃあここで聴かせてよ」
「えっ?ここで?」
「うん。いいじゃん、ここにはオレしかいないんだし」
「そうだけど…。でも…。下手でも笑わない?」
「笑わない。それに璃玖は下手じゃないよ。なんといっても、オレは曲だけじゃなくて、璃玖の声もすごく好きなんだ。だから、オレにだけ聴かせて」
「う、うん…。わかったよ」
璃玖は戸惑いつつ、緊張した面持ちで立ち上がった。
そして、目を瞑って深く深呼吸をした。
「じゃあ、再生するぞ」
座ったままの一樹がICレコーダーの再生ボタンを押すと、曲が流れ始めた。
璃玖は一樹を見つめて歌うのは恥ずかしかったため、遠くの壁に向かって歌い出した。
出だしに声の震えがあったが、そのまま出来るだけ歌詞の内容に集中しながら歌い続けた。
歌詞の内容は、一人で殻に篭っていた少年が、次第に自分の世界が広がっていくという内容だった。
璃玖はなんとか歌い切り、一樹の反応を伺うと、まるで余韻に浸るように少し上を向きながら目を瞑っていた。
「どう…かな…」
「すごいよかった…」
一樹はゆっくり目を開ける。
「ほ、ほんと?」
「ああ、本当。曲もすごいけど、歌詞もいいな…。璃玖って本当にすごい奴なんだな」
心から関心している様子の一樹に、璃玖は自然と笑いかける。
そんな璃玖の素直な笑顔に、不思議と一樹の心臓の鼓動が早まっていった。
「一樹の…おかげだよ」
「えっ…オレ?」
一樹は自分のことを指さし首を傾げた。
「この曲、実はあの時の僕の気持ちがイメージなんだ」
「あの時って…、先々週のレッスンの時の?」
「そう。一樹が困っていた僕を助けてくれた時の」
「オレ、本当にそんな凄いことにしてないぞ」
璃玖は静かに首を横に振った。
「そんなことない。たしかに、一樹にとっては自然なことだったかもしれないけど、僕は本当に助けられたんだ。だから、この曲を聞いた人が、僕と同じような気持ちになったら嬉しいなって思って作ったんだ」
「璃玖…」
「歌詞もハモリとか、一樹目線と交互にしたりとかにしたら面白いかなって、考えるだけですごく楽しいんだ。こんなの初めてで…一樹が僕に曲作りの楽しさを教えてくれたんだ」
曲はある程度完成していたが、これから色々アレンジしていきたいと、一樹同様に璃玖も構想を考えるのが楽しくなっていた。
「なんだか、オレ達、ユニット組んでいるみたいだな」
「うん。一樹とユニット組めたら、デビューして大変な毎日もきっと楽しいだろうな…」
まだ出会って間もないが、一樹は璃玖の真っ白なキャンバスに色を付けてくれる存在になっていた。
そんな一樹と、これから一緒に過ごしていけたらどんなに楽しいか、璃玖は考えただけで曲作り以上に胸が高鳴った。
すると、一樹は急に立ち上がり、真剣な眼差しで璃玖を見つめた。
「オレさ、正直、どうデビューしたいとか、具体的には思っていなかったんだ。でも今、璃玖と組みたいって思ってる。璃玖と目指したいって。なぁ、璃玖。オレと二人でデビュー目指そう!」
「僕でいいの…?」
「違う、璃玖がいいんだ!」
一樹にはっきりと自分がいいと言い切られ、璃玖は初めて自分自身が認められたような、湧き上がるような感情を感じた。
「…。僕、今…一樹の隣に立ちたいって思っているんだ。誰にも譲りたくないって…。僕がこんなこと考えていいのかな…」
「当たり前だろ。オレも一緒。璃玖の歌をオレ以外に歌わせたくない」
「一樹…。僕、頑張るよ。一樹の隣に相応しいように頑張る!」
「なんだかその言い方、璃玖にプロポーズされた気分だな」
「え、そう?」
「いや、璃玖らしいよ。じゃあ決まりだな。とりあえず、この曲は二人で完成させていこう」
「うん!」
「あっ、でも、当分の間はダンス練習だな。璃玖、ダンスの方は壊滅的みたいだし。このままだとずっと基礎クラスのままだぞ」
「う、それは困る…。一樹コーチ、ご指導よろしくお願いします」
璃玖は一樹に深々と頭を下げる。
「うむ、任せたまえ璃玖君」
わざと偉そうな口ぶりで言いながら、一樹は下げられた璃玖の頭のつむじを人差し指でギュッと押す。
「一樹っ!!」
璃玖の声で一樹はパッと指を離し「さぁ、練習練習」と、そそくさとストレッチの続きに取り掛かってしまった。
璃玖は怒った顔から綻ぶような笑顔に代わると、追いかけるように一樹の隣でストレッチを始める。
二人を照らすように、スタジオには暖かい日差しが差し込み始めた。
こうして毎週日曜日の早朝は二人だけの練習時間となった。
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