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16.ゆずれない場所
「おーい、神山璃玖いるかー?」
名前を呼ばれスタジオで発声練習の自主練をしていた璃玖が「はい」と返事をして振り向くと、
相良が入り口で手招きをしていた。
「どうしたんですか?」
急ぎ足で相良の元に向かうと「ちょっと来い」と璃玖は廊下にそのまま連れていかれる。
相良が何やら難しい顔をしていることから、良い知らせではないとは感じ取れた。
「僕、何かしましたか?も、もしかして朝使ったスピーカーが壊れたとか?」
相良に呼ばる理由が思い当たらず、璃玖は何か自分がしでかしてしまったのではないかと、慌てふためいてしまう。
「落ち着けって。今、聖のレッスンやってるだろ。あれ、お前も見学させろってさ。だから呼びに来た」
「聖さんの?えっ、だって見学は中級クラスまでですよね」
聖のレッスンは一番広いスタジオで行われている予定だが、入れる人数には限りがあるため、レッスンの参加は上級クラスだけで見学も中級クラスまでだった。
ただ、講師達も滅多にない機会のためか見学に同席となっていたため、初級や基礎クラスの研修生は午前中、自主練となっていた。
「それが、聖が急にお前も見学させるように社長に言ったらしいんだよ。んで、俺が呼んで来いってなったわけ。とりあえず、もう始っているから来い」
「はい」
(なんで聖さんが僕を…?)
璃玖は何故自分が呼ばれたのか理由がわからなかったが、レッスンが行われているスタジオに足早に向かう相良に隣に並びついて行く。
「お前って聖と知り合いだったのか?」
「まさか!今日、一樹との朝練に聖さんがみえて、偶然お会いしただけですよ」
「そっか。あいつ一体何考えているんだか…」
相良はどこか寂しそうな表情をしており、その様子や口ぶりから、鈍い璃玖も二人が以前からの知り合いだということを感じ取った。
「相良先生は聖さんとお知り合いなんですか?」
「同期…だったんだよ」
「同期…ってことは先生もここの研修生だったんですか?!」
「そうだよ、悪いかよ」
「あっ、そういう意味では…」
言われてみれば、たしかに相良は整った顔立ちで、昔、研修生だったと言われてもおかしくはなかったが、璃玖にとっては先生のイメージが強いため違和感を感じてしまった。
だが、相良のミュージカルのゲネプロを見学しにいった時、圧倒的な声量と、多彩な声色で主役以上に引き込まれる演技をしていたことを思い出し納得する。
しかし新たな疑問が浮かび、璃玖はいつもの悪い癖で何も考えずにそのまま口に出してしまう。
「相良先生はなんでアイドルじゃなくてミュージカル俳優になったんですか?」
相良は足を止め、目を丸くし驚いた表情で璃玖の顔を見た。
その様子を見て、璃玖は自分の質問がなんて不躾な質問だったのかと気づき、口に手を当てすぐに「ご、ごめんなさい。失礼なことを聞いて…」とお辞儀をして謝った。
だが相良は怒らず、璃玖の率直な言動にむしろ笑みが溢れていた。
「ふっ。いや、お前のそういう真っ直ぐなとこいいよな。まぁ、他のやつなら嫌味かって思うけど…」
「うっ、本当にごめんなさい」
璃玖は自分の軽率な言動を反省して、深々ともう一度頭を下げる。
「だからいいって。まぁ、デビューの話はあったんだけど、当時、もっと大事な…優先させなきゃいけないことがあってな。研修生辞めたんだわ」
「大事なこと…」
「まぁ一度辞めて、そのあと舞台中心に活動していったら、こうやって所属と講師として戻ってきたんだけどな」
相良はいつもの、見ている側が元気になりそうな顔でにっこりと笑った。
「しかし、俺が辞めた時以来、聖とは会ってなかったけど、あいつ相変わらずキラキラしているよな。ほんとすごいよ」
「たしかに…なんだか吸い込まれそうな…不思議な人でした」
「同期…といってもアイツは年下だったけど、ほんと、人を惹きつけるものは昔から持っていたよ。もちろん、生まれ持ったものっていうのもあるけど、歌もダンスもすげぇ練習していたし。お前もいい機会だから吸収出来るものは吸収しておけよ」
「はいっ!」
「おっと、着いた。もう始まっているから静かにな。とりあえず…俺の横で見学かな」
「はい」
言われた通り音を立てないように静かにスタジオの扉を開けると、手前にはパイプ椅子がいくつも並べられていて、社長はもちろん、重役と思われる面々や取材陣まで席についていた。
「神山、お前はこっちで俺と壁側で見学な」
「はい」
璃玖は相良に連れられ、入り口近くの壁際に立ち、レッスンの見学を始めた。
どうやらレッスンは中盤の様子で、聖を先頭に上級クラスの研修生が後ろに等間隔で立ち、中級クラスはその後ろの壁際で座ってレッスンを見つめていた。
「さて、今教えた振り付け、一サビまで音楽かけて通すから、とりあえずやってみて」
「はいっ」
聖の合図でスピーカーから音楽が流れ始める。
流れた音楽はアップテンポだが、振り付けは緩急がつけられていて、ステップ一つとっても細かい動きが組み込まれていて、今の璃玖には到底真似できないものだった。
「そこ肘もっと上げて。ほら、しっかり止まるところは止まって」
聖の指示する声と手拍子についていけない上級クラスの研修生がほとんどの様子から、振り付けのレベルが相当高いことがうかがえた。
だがそんな中、聖の前で先頭で踊る二人だけは違っていた。
「うーん、やっぱり上級クラスの中でも群を抜いて葉山と八神が上手いな」
小さい声で相良が呟いた。
「はい。あんな難しい振り付けなのに…すごいなぁ」
(一樹って本当にダンス上手いんだな)
一樹のダンスは毎日のように見ているため、上手いことに自体に驚きはしないが、やはりグループの中に入ると一際その腕前は目立ち、璃玖でもわかるくらい周りとの差は歴然だった。
そして相良が言う通り一樹の隣にいる伊織も違っていた。
以前一樹のレッスンを見学した時に睨まれていたため、あまり見ないようにしていたが、伊織も一樹と同じレベルで踊っていた。
しかも振り付けをこなすだけでなく、たまに視線を合わせたりして息をあわせているように見えた。
(僕と踊っている時より、一樹のダンスが映えて見える…)
伊織は一樹と同じ有名なダンススクールに一緒に通っていて、昔から二人で聖の振り付けを練習していたと聞いたが、こんなにも二人は息のあったダンスをすることに、璃玖は胸が締め付けられる気持ちになる。
だが、自分とは知識も経験も全く伊織とは張り合えないのだから仕方がないと言い聞かせた。
「はい。お疲れ様!じゃあ、一旦休憩にしよう。十五分後に再開で。水分補給はしっかりね」
「ありがとうございました!!」
上級クラスと中級クラスの研修生が声を揃えて挨拶すると、それぞれ水分補給をしたり何人か集まって話をしたりして休憩をとり始める。
「神山、俺もちょっと席外すわ」
そう言って隣にいた相良も用事があるのか、他の講師陣の元に行ってしまった。
すると璃玖の存在に気がついた一樹が璃玖の元に駆け寄ってきた。
「璃玖!どうしたんだよ?」
「僕もわかんない。聖さんが見学させるように社長に言ってくれたらしいんだ」
「へぇー。聖さん、朝練見て璃玖の才能に気づいてくれたのかな」
「僕、そんなすごいもの持ってないよっ」
「そうだよ。大方、一樹のレベルとは違うって本人に分からせるためじゃない?」
急に話に入ってきた伊織は一樹に腕を絡ませて、口元は嘲け笑うような笑みを浮かべていたが、その目は璃玖を明らかに睨んでいた。
初めて会った時や以前レッスンを見学していた時よりその目は敵意が増しており、まるで蛇に睨まれた蛙のように璃玖は体をすくませてしまう。
「伊織…またお前はそういうことを…」
一樹は呆れ気味に話しながら伊織の顔をみると、伊織は睨んでいた表情をすぐに変え、人懐っこい笑みを浮かべていた。
その変わり身の早さに、璃玖は若干の恐怖を感じた。
「ねぇ、みんな聖さんのとこ集まっているよ。お願いすれば一人一人にアドバイスしてくれるみたいだよ」
「えっ!まじで?!」
「だから早く行こーよ」
伊織は一樹に腕を絡ませたまま、聖のもとへ引っ張っていこうとする。
「わかったから。行くから腕離せよ」
「やだね。捕まえておかないと、昔からすぐ一樹はどっかいっちゃうんだから。ほら、行くよー!じゃあね、基礎クラスの璃玖君」
「ったく。じゃあ璃玖、また後でな」
伊織に強引に腕を引かれて、一樹は人だかりになっている聖のもとに向かってしまった。
「はぁー…」
璃玖は緊張が解けたかのように深い溜息をついた。
「アイツ、すごいな」
璃玖たちのやりとりをどこから聞いていたのか、相良はゆっくり歩きながら璃玖の隣に戻ってきていた。
きっと今までのやりとりを面白がっているだろうと璃玖は思い相良の顔を見るが、その表情は予想に反して硬く真剣だった。
「神山、お前このままでいいのか?」
腕を組みながら壁に寄りかかり、璃玖のことを真っ直ぐ見つめて相良は言った。
「えっ?」
「ここ最近のお前の頑張りは知っている。八神と朝練始めた頃よりもしっかりした目標が出来たんだろうと思っていたけど、葉月はそれ以上の覚悟かもしれないぞ」
「僕以上…」
「少なくても、今のお前じゃ、自分の目指した場所を誰かに奪われても、自分の実力ではしょうがなかったとか思うだろ」
「…」
そんなことはないと璃玖は言い返したかったが、たしかに先ほどの二人の息の合ったダンスを見て嫉妬はしたが、どうしようもないと諦めてしまった気持ちがあったのは事実だった。
「お前にはお前の武器がある。使えるものはちゃんと使っていけ。後悔するようなことだけはするなよ」
(僕の武器…僕の武器って…)
璃玖は相良に言われた言葉を考えていると「神山、耳貸せ」と言われ、言われた通り相良に耳を傾ける。
すると相良は少しかがみ、聞こえるか聞こえないかぐらいの声で璃玖にだけ聞こえるように「俺、Ωなんだわ」と囁いた。
「えっ?!」
あまりに唐突で大胆な発表に、璃玖のほうが心配になり周りに聞こえていなかったキョロキョロしてしまう。
「ふっ、驚いたか?」
「な、なんでそんな大事なこと僕に…」
「なんでだろうなー。たぶんお前たちが羨ましかったのかな」
「羨ましかった?」
「俺も隣にいたかった奴がいたんだけどな。隣にいるわけにはいかなかったんだわ。けど、俺は自分の選択を間違えたとは思っていない。アイドルをあきらめたのも、後悔はしていない。ただアイツには恨まれているかもしれないけどな…」
相良の見つめる先には、研修生に囲まれた聖がいた。
「その人って…」
「だからかな。お前のこと放っておけないんだわ。昔の自分見ているみたいで。まぁ、困ったことがあったらな何でも相談しろよ」
相良は笑いながらいつもの調子で璃玖の背中をポンっと叩いた。
何故、聖の隣にいられなかったのか。
それはΩであったことが原因なのか。
璃玖は詳しく聞きたい気持ちがあったが、聖を見つめる相良の目は笑いながらもどこか寂しげで、今の璃玖にはそれ以上詳しく聞く勇気はなかった。
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