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17.変わりたい
「じゃあ、今日は参加してくれてありがとう。僕も勉強になりました」
璃玖はハッとして顔を上げると、休憩を挟んで再開された聖のレッスンは相良の話についてぐるぐる考えている内にいつのまにか終わっていて、聖が参加者に挨拶をしているところだった。
「それでは、ここで大事な発表をします。一樹君、伊織君、前に来てくれる?」
スタジオ内がざわつき、急に名前を呼ばれた一樹と伊織はお互いに顔を見合わせた後、聖の横にそれぞれ緊張した面持ちで立った。
聖は二人の肩に手を回して自分に引き寄せると「この二人には、来週から始まる僕の日本公演にバックダンサーとして参加してもらいます」と満面の笑顔で発表した。
その発表に一樹と伊織は一瞬固まってしまうが、驚いた顔の後、すぐに二人で顔を見合わせて喜びをあらわにした。
璃玖は隣の相良を見るが、相良も聞かされていなかったようで、璃玖と目が合うと首を横に振った。
突然の発表にスタジオ内も一瞬静まりかえったが、すぐに拍手が巻き起こり、璃玖も慌てて拍手をする。
一樹と伊織はそんな拍手に照れつつも、本当に嬉しそうに笑っていた。
(あんなに嬉しそうな一樹の顔、初めて見た…)
璃玖は、一樹が憧れの人に実力を認められて選ばれたことを自分のことのように喜ぶ反面、その喜ぶ様子を素直に喜べない自分がいた。
素直に喜べないのは一緒に選ばれたのが伊織だったからなのか、それとも自分だけが置いていかれたような淋しい気持ちからなのか、自分でもよくわからなかった。
お祝いしたい気持ちは湧き上がるのだが、満タンになる前に黒いものになって零れ落ちていく。
まるで胸にぽっかり穴があいたような複雑な気持ちだった。
「じゃあ、葉月君と八神君はこれからのことは社長に詳しい話聞いてね。みんなも、どんなに辛くても絶対報われるから、レッスン頑張ってね」
「ありがとうございました!!」
研修生が声を揃えて聖にお礼を言うと、あっという間に一樹と伊織の周りはお祝いを伝えたい他の研修生で人だかりとなって、璃玖が立つ場所からは二人の姿は見えなくなってしまった。
(遠い…な…)
そう思うと、胸にあいた穴がどんどん大きくなり、零れ落ちた陰湿な黒いものに璃玖の心はどんどん飲みこまれそうだった。
そんなものに埋め尽くされそうになる自分に嫌気がし、考えないようにしようと璃玖は下を向いてしまう。
そのまま自分の足元を見つめていると、知らない靴が目の前で立ち止まったことが視界に入り、ふと璃玖は顔をあげる。
「聖…さん」
そこには朝練で会った時のように微笑みを浮かべた聖が立っていた。
「どうしたの?暗い顔をして」
聖は一歩璃玖に近づき前かがみになると、璃玖と目線の高さを合わせ璃玖の目をじっと見つめる。
「えっと…その…」
聖の目はまるで璃玖の気持ちをすべて見透かしているかのように感じ、この陰湿な気持ちを悟られまいと璃玖はとっさに聖から顔を背けてしまう。
「ねぇ璃玖君。一樹君だけが特別に選ばれちゃって悲しい?」
「えっ?」
優しく微笑みを浮かべた温厚そうな聖から飛び出した言葉は、無邪気なのか、それともわざとなのか分からなかったが鋭い棘があった。
思いもよらなかった言葉をかけられ、璃玖は驚きのあまり、時が止まったかのように顔を背けたまま声を失う。
「おい、聖。言葉に気をつけろ」
璃玖の隣で腕を組みながら壁に寄りかかっていた相良が横槍を入れる。
そんな相良の姿を、聖は顔も向けず横目だけで存在を確認すると「先輩には関係ないですよ」と明るい声とは裏腹に冷たく言い放った。
「なっ…」
聖の態度に相良は動揺を隠せない様子だが、聖はそんな相良の様子は御構い無しに、目を合わせようとしない璃玖に話を続ける。
「ねぇ、璃玖君は変わりたいと思わないの?」
聖は璃玖の長めで艶やかな漆黒の前髪に指先を絡める。
そして、その絡めた髪を持ち上げて、璃玖の顔がはっきりと聖に見えるようにした。
「…」
璃玖はその何もかも見透かされて吸い込まれそうな瞳に、ただ怯えるように目を瞑ろうとしてしまう。
「ほら、そうやって君はずっと顔を背け続けるの?君の欲しいものが伊織君にとられて悔しいと思わないの?」
そう言われた璃玖はハッとして、先程の休憩時間に言われた相良の言葉思い出す。
『このままでいいのか?』
伊織が自分より一樹とダンスの息があっていたこと、自分ではなく伊織とバックダンサーに選ばれたこと。
璃玖は思い返してみれば、羨ましいやしょうがないという気持ちはあったが、悔しいと思ったことがないことに気がついた。
(悔しいと思わないのはどこかで無理だって諦めているからだ。僕はこのままじゃ…一樹に並ぶどころか、追いつくことも出来ない…)
「君はまだちゃんと自分と向き合っていない。本当に欲しいものを、このままじゃ手にすることも出来ないよ」
「僕の欲しいもの…」
「そう。本当に欲しいものは自分の力で手にしないと。僕はその力を、君の魅力を最大限に引き出してあげたいと思っているんだ」
「聖さんは…僕に力を貸してくれるんですか?」
璃玖は聖の顔を今度は顔を背けずに真っ直ぐ見つめた。
「おい、神山…何考えて…」
心配そうにする相良をまるで遮るように、聖は言葉を重ねる。
「やっといい目になったね。そうだね、少なくとも僕は今の君を変えてあげたいし、どうやったら変われるか教えてあげたいと思っているよ」
聖にそう言われた璃玖の中である決心がついた。
「僕と一緒に来るかい?」
璃玖はゆっくり頷いた。
「おいっ、神山!」
「相良先輩、あなたは黙っていてくれませんか」
聖は相良に近づき、相良の顔の横に手をついた。
相良も背は高いほうだが、聖はもっと高く、相良は見上げる形で至近距離で睨みあう。
「あなたにとやかく言う権利はないですよ」
「こいつは俺の大事な生徒だ」
「残念ながら、僕にはもっと大事な子なんですよ」
そう言った聖は相良に顔を近づけ、耳元で「この子は」と何やら囁いた。
「なん…だって…」
その言葉の続きはあまりにも小さな声だったため璃玖には聞き取ることが出来なかったが、相良は口元に手を当て驚いた顔をした。
「邪魔をしてはいけないって、先輩が一番わかっていますよね」
「そんな…だってお前…」
「さぁ、行こう璃玖君」
聖は璃玖の手を取りスタジオを後にしようとしたため、璃玖は驚いたままの様子の相良に軽くお辞儀をしてそのまま聖に手を引かれていった。
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