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19.思い出される熱

スターチャートの事務所ロビーで聖と待ち合わせをし駐車場に向かうと、聖のマネージャーが車でやってきた。 だが聖はマネージャーに耳打ちをすると、後部座席に乗り込むのでなく、車のキーを受け取り運転席に向かった。 「ほら、璃玖君も乗って」 「えっ?でも一体どこへ?」 「あとで教えてあげるから。ほら、時間ないから早く」 「あっ、はい」 璃玖は言われるがまま、聖に指さされた助手席に乗り込んだ。 「じゃあ、シートベルトしてね。すぐ出発するよ」 そう言って聖は行先も言わないまま、カーナビに住所を打ち込むと、マネージャーを乗せずに車を出発させてしまった。 「いいんですか?マネージャーさん置いていって」 「あぁ。彼には他にもやってもらうことがあったしね。なにより璃玖君と二人きりで話したかったから」 聖は運転しながらも、今日何度見たかわからない笑みを浮かべる。 その笑みは雑誌やテレビを通して見る聖と全く一緒で、改めてあの有名人の『夏川聖』と一緒にいるのだと璃玖は実感した。 「なんだか聖さんが言うと、ドラマの口説いているシーンみたいに聞こえますね」 「まぁ、本当にこれから口説くつもりだからね」 「えっ…?」 璃玖は冗談のつもりで言ったのに、聖は先程の笑みを浮かべたまま流れるように言うため、冗談なのか本気なのか璃玖には全く判別が出来なかった。 そのため、とりあえず話題を変えようと璃玖は他の話題を考えるが、人見知りの璃玖に世間話のレパートリーは持ち合わせておらず、何も思い浮かばずに困惑してしまう。 「ふっ…」 困った顔をする璃玖の素直な反応に、ついつい聖は我慢出来ずに笑いが吹き出してしまう。 「聖さんっ!もしかして僕を揶揄って遊んでいます?」 「いや、そんなつもりはないよ。ただ、君の百面相が面白くてついね。一樹君にも揶揄われたりするんじゃない?」 「うっ…。否定は出来ないです」 図星を指され恥ずかしそうにする璃玖を見て、さらに聖は笑い出す。 「ほんと…璃玖君はおもしろいね。表情もそうだけど性格が素直なんだろうね。つい、いじめたくなる」 「聖さんまで…。そんなに僕ってわかりやすいですかね?ずるいなぁ。聖さんって掴みようがないというか、僕には何を考えているのか予想もつかないのに…」 「そうかな?僕って単純だよ。欲しいものは絶対に手に入れるって子供みたいなこと考えているしね」 「聖さんなら何でも持っていそうですけど、今でも欲しいものなんてあるんですか?」 今や日本のみならず、世界でも人気の聖が欲しがるものがどんなものか璃玖は興味が沸き、運転している聖の横顔をじっと見つめる。 「もちろんあるよ。昔から欲しいけど未だに手に入らないものと、最近欲しいと思ったものがね…」 (あっ、またあの時の顔だ…) 聖と初めて会い、一樹と二人でデビューしたいと話した時と同じ、寂しそうな苦しそうな不思議な表情を聖は一瞬浮かべた。 その表情はメディアに映し出される夏川聖ではなく、聖の何か本心のようなものに璃玖には思えた。 だが璃玖の視線に気づくと、聖はまるでなかったかのように表情をにこやかな明るいものに変えた。 「そういえば、璃玖君が一番欲しいものは何?一樹君?」 「え…?!」 聖がその言葉の意味をどこまで指しているのかわからず、璃玖は先ほど以上に動揺して言葉に詰まってしまう。 しかし、ここで変に慌ててしまっても逆に怪しまれると気づいた璃玖は、平静を装って返事をする。 「もう、何だか紛らわしい言い方しないでくださいよ。僕は一樹とユニット組みたいので、隣を誰にも譲りたくない…それだけですよ」 璃玖は嘘をついたことで内心、心臓がバクバクしているが、必死に聖と同じような笑みを浮かべる。 「ふーん…そうなんだ。でもなんで一樹君となの?同期…じゃないんだよね?クラスも違うし」 「実はレッスンで即興をやることがあって、僕、緊張してみんなの前で固まっちゃって…」 「あー、あのレッスンまだあるんだ。たしかに緊張するよね」 「そうなんです。僕、自分の番になった時には頭真っ白で…。そしたら一樹が声かけて励ましてくれたんです。それから僕が一樹をイメージした曲作ったら気に入ってくれて」 「それって、もしかして今朝の曲?」 「はい。あの曲は僕を助けてくれた一樹をイメージして作ったんです」 そのまま璃玖は、半年前の嬉しかった出来事を思い出しながら、喜々として聖に一樹との出来事を伝える。 だが、ルームミラーで璃玖の嬉しそうに話す様子を横目でチラッと確認する聖からは、いつのまにか笑みが消えていたが、璃玖は気づかないままお構いなしに話し続ける。 「なにも取り柄がなかった僕を認めてくれた気がして…。だから僕、一樹の隣で同じものが見たくて!それで二人で頑張ろって」 一緒にデビューしようと手を差し出してくれた一樹が眩しく、そのことを思い出すと、璃玖の目はキラキラと輝き、話にも力が入ってしまった。 「なるほどね。なんだか話を聞いていると、璃玖君は自分のためじゃなくて、一樹君のためにアイドルになろうとしているみたいだね」 「一樹のためとかそういうわけじゃ…。僕はただ、ずっと一樹と並んでいたいんです。それ以上は望んでいないです」 「それ以上は望んでいないか…。なるほどね…。どうやら、璃玖君は一樹君とは考えが違うみたいだね」 「え?それはどういう…」 その時やっと、璃玖は聖の表情から笑みが消えていることに気が付いた。 そのため、車内には先ほどの明るい空気とは一変して急に重たい空気に変わる。 璃玖がその重たい空気に戸惑い俯きかけると、信号待ちで車がちょうど止まった。 無言となった車内にはエンジン音だけが静かに響き、さらに空気を重たくする。 「さっき…、一樹君と廊下で話していたら、璃玖は俺のものですって宣言されたよ」 「えっ…?!」 驚きのあまり璃玖は聖に顔を向けるが、常に笑みを浮かべる聖からは想像出来ない真剣な表情だった。 璃玖は目を離すことが出来ず、そのまま見つめあったまま黙ってしまった。 その沈黙はたった数秒だったかもしれないが、璃玖にはとてつもなく長く感じた。 ふと璃玖は右手に温かいものを感じ自分の手元を見ると、聖の左手がそっと自分に重ねられていることに気がついた。 「聖…さん」 力は加えられていないため、手を引き抜くことで簡単に聖の手から逃げ出せるずなのに、璃玖には何故かそれすら出来なかった。 そのまま璃玖は何も出来ずに、ただ手元を見つめていると、聖にまるで割れ物に触れるように優しく手を握られる。 そして、その手は聖の口元までゆっくりと運ばれていった。 その様子は以前、一樹に足の手当てをしてもらい、足の甲にキスされた場面と重なり、聖が璃玖の指先にそっと唇を落とそうとする様子を抵抗することなく璃玖は見守ってしまう。 だが、聖の唇が指先に触れた瞬間、璃玖の中に何かが走り抜けるような感覚を感じ、璃玖はすぐに手を引っ込めた。 「あれ、残念」 先ほどまでの真剣な表情がまるで嘘のように悪戯に笑った聖は、前の車が動き出したため、すぐにハンドルを握り運転を再開した。 (今のは一体…) 璃玖の中を一瞬走り抜けた感覚は、璃玖の全神経が聖の唇が触れた部分に熱が集中したあと、一気に戻され全身の血液を駆け抜けるような、まるで、今まで眠っていた何かを引き出されるような感覚だった。 それは一樹の唇が璃玖の首に触れた時の感覚に似ていて、以前にトイレでの自慰の時に経験した、Ω故と思われる自分では抑えることの出来なかった性欲が引き起こされたことを思い出し、背筋に冷たいものが走った。 (このままあんなことになったら…) そう考えると璃玖は恐怖で胸が締め付けられ、呼吸が乱れそうになる。 自分を落ち着かせるため、指先の聖の唇が触れた部分をまるで隠すように反対の手のひらで覆い、そのまま顔を外の景色を見るように窓に向け、聖に気づかれないよう息を整える。 (大丈夫。あれから抑制剤は毎日きちんと飲んでいるんだから…) そう自分に言い聞かせながら気持ちを落ち着かせようと璃玖は窓の外の景色を見ようとするが、窓ガラスには外から見えにくい加工がされていて、外の景色より焦った様子を必死に隠そうとする自分の顔と、何事もなかったように運転する冷静な聖の横顔が映っていた。 だが、窓ガラスに映る聖の横顔を見ていると、先ほどの感覚と一樹との出来事が重なり、体から熱が呼び起されそうな感覚に陥りそうになる。 璃玖は咄嗟に抑えつけるように自分の身体を両腕で抱きしめた。 「璃玖君?」 璃玖の異変を感じた聖に声をかけられるが、璃玖には今の状態をうまく説明できる言い訳が思い浮かばなかった。 「聖さん、僕少し酔っちゃったみたいで…少しじっとしててもいいですか?」と璃玖は咄嗟に嘘をついた。 「あぁ、ごめんね。着いたら声をかけるから」 「…ありがとうございます」 璃玖はそのまま身体を丸めるようにして、自分に湧き上がりそうになる熱の感覚を必死に押さえつけた。

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