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28.運命の番

聖はエレベーターに乗り込むと、璃玖と電話が繋がったままのスマホと、身につけていたサングラスをジャケットの内ポケットにしまった。 最上階宿泊者専用のエレベーターが止まったのは、今日から宿泊する部屋の一つ下の階にある上層階宿泊者専用ラウンジだった。 「お待ちしておりました夏川様」 「ありがとう。連れはもう来ているかな?」 「はい、奥のお席でお待ちです」 エレベーターを降りてすぐのラウンジの入り口に立っていたのは、聖の部屋付きのバトラーで、そのまま聖をラウンジ内へと案内した。 上層階宿泊者専用になっているためか、他に客は見当たらず、薄暗い店内は会話の妨げにならないくらいの音量でジャズが流れ、窓からは高層階ということもあり、都会の夜景が見渡せるようになっていた。 窓際には夜景に向かって、革張りのソファーがいくつか等間隔に置かれていて、そのひとつにウイスキーの入ったグラスを傾けながら窓からの夜景を見つめる相良がいた。 「彼と同じものを」 そう聖はバトラーに伝えると「かしこまりました」と静かに頷いて、バトラーはバーカウンターに向かって行った。 「お久しぶりですね…じゃないか。午前中にもお会いしましたもんね」 聖は相良の隣に並んで腰掛けた。 「聖…」 「こんばんは、相良先輩」 午前中の出来事がまるでなかったかのように、聖は相良に微笑みかける。 「…。急に電話してきたかと思えば、神山を返して欲しければ来いって…。しかもこんな場違いなところに俺を呼び出しやがって…。週刊誌に撮られても知らないからな!」 相良は怒りを露わにして声を荒げる。 「先輩お静かに。こういうお店では静かに会話するのがマナーですよ。ただでさえ、あなたの声は通るんですから」 「うっ…」 聖に指摘され、相良は自分が目立ってしまっていないか、片手で口元を手で押さえながら周りをキョロキョロ見回す。 その相良の慌てた様子は、まるで巣穴から出てきたハムスターやネズミのような小動物を連想させ、聖は璃玖の顔が頭に浮かび、自然と口角が上がりそうになる。 すると、ちょうど注文したウイスキーが入ったグラスとナッツが入ったお皿を銀のトレイに乗せ、先ほどのバトラーがやってきた。 「ご歓談中のところ失礼致します。夏川様、ウイスキーです。他にはなにかご入り用でしょうか?」 「いや、大丈夫。ただ、彼とはゆっくり話したいので、もし他のお客さんがきたら席を離してくれると嬉しいかな」 「かしこまりました。それでは失礼します」 そう言って、グラスとお皿をローテーブルに置いたバトラーは、深々とお辞儀をして入り口の方へと下がっていった。 「さて、これなら大きな声を出しても心配はいりませんよ」 「…。お前って、ほんと昔っから変わらず嫌味な奴だな…」 「えっ、嫌味だってもう気づいたんですか?」 「いくら鈍い俺でもわかるわ!」 「成長したんですね…相良先輩」 まるで悪戯をする子供のような笑みを浮かべ、しみじみと言う聖に、相良は一瞬イラッとしながらも徐々に懐かしさを覚え、グラスに口をつけながら口元に笑みを浮かべる。 「お前と…こうやって軽口たたくの何年ぶりだろうな…」 相良は手に持っているグラスの氷を回しながら、まるで昔を懐かしむかのようにグラスを見つめる。 「相良先輩が退所してからお会いしていなかったので、五年ですかね?」 「もうそんなに時間が経ったのか…。いつのまにかお互い成人して、こうやって並んで酒が飲める日が来るとは…な…」 「そうですね」 「しっかし、聖って相変わらずキラキラしているな。まだアイドルやれるんじゃないか?」 「キラキラって…。昔もそんなこと言ってましたよね。まぁ、相良先輩は…老けましたよね」 「失礼な!俺だってアイドルじゃなくても役者やっているんだから、見た目にはこれでも気をつけているよ。腹筋だって、ちょっと割れているんだからな」 「ふっ…冗談ですよ。先輩は昔と何も変わっていないです」 先ほどの笑みとは違い、今まで見たことないくらい自然に柔らかく聖が笑っているのを見て、相良は驚きと不思議な疎外感のようなものを感じた。 「お前は…なんだか午前中に会った時より表情が柔らかくなった気がするな。さっきみたいに他人に向ける営業スマイルは完璧だけど」 「それは…どう言う意味ですかね?」 「いや…。ただ、神山の影響かなって」 「さぁ…。僕は特に変わったとは思いませんが」 「…変わったよ。やっぱり…お前にとって…。神山は…すごいな…」 相良は外の景色を見ながら何やら淋しそうに呟いたが、聖はとりあえず、さきほどローテーブルに置かれた自分のグラスを手に取った。 「ねぇ、そんなことより、とりあえず乾杯しませんか?僕もそろそろ飲みたいです」 「あ、あぁ…そうだな」 「じゃあ、僕たちの…再会を祝して」 聖はグラスを相良に向ける。 「格好つけやがって」 聖のグラスに相良はそっと自分のグラスをあて、お互いウイスキーに口をつけた。 グラスに口をつける聖の仕草は、まるで映画のワンシーンのようで、相良はついつい自分も飲みながらも聖の横顔に見惚れてしまう。 相良のじっと見つめる視線に聖も気づくと、わざと煽るように笑いかける。 「そんなに見つめらると困るんですが…。ほんと、相良先輩は僕の顔が好きですよね」 「えっ…あぁ…うん…」 聖は冗談でいったつもりだったが、相良はあからさまに聖から視線を逸らすと、両手でグラスを握りながら窓から見える夜景を見つめなおした。 だが、今度は窓ガラス越しに聖と目が合いそうになると、相良は静かに視線を下に落とした。 その相良の仕草を聖は見落とさなかった。 「なんで…僕と目を見て話せないんですか?」 聖は窓ガラス越しではなく、相良の顔を直接、真っ直ぐと見つめて問いかけた。 「それは…。ひ、聖に昔のこととかボロクソに言われると思ってさ…。ちょっと怖くなったんだ」 聖が真っ直ぐ見つめていることに相良も気づいていたが、まるで何かを隠すように相良は聖に視線を向けることはなかった。 「別に言いませんよ。まぁ、先輩に連絡すらしなかったと思いますけど」 「そ、そっか…」 聖の言葉に明らかに傷ついた様子だが、それをまるで隠すように俯いたまま笑って言い返してこない相良に、聖は苛立ちを覚え、視線を合わせることを諦めたように、グラスにもう一度口をつける。 そして、足を組んで相良とは反対のほうを見つめた。 「なぁ…。やっぱり、俺に会おうと考えを変えさせたのも神山なのか?」 「相良先輩は、随分と僕と璃玖君のこと気にしているようですね?」 「別にそういうわけじゃ…」 「まぁ、たしかに言われてみれば多少なりとも璃玖君の影響はありますね。あの素直さは見習わないといけないと思いますし」 「神山のこと…その…やっぱり、好きなのか?」 相良は急に焦ったような表情をして聖を見つめてくる。 だが、聖は相良から顔を背けたまま、相良の焦った様子にまるで気づいていないように「僕が誰を好きかなんて、相良先輩には関係ないでしょ?」と冷ややかに言った。 その聖の突き放すような様子に、また相良は俯いてしまう。 「そうだが…。あいつら…神山と八神さ…二人でデビューしようって朝練やって頑張っているんだ。八神はダンス上手いからさ。俺にはあの頃の聖と重なって…。だから…その…二人を引き離すようなことはしないで欲しいんだ」 「別に僕は引き離そうなんて…」 聖が言いかけたところで、相良の手がそっと聖の膝に置かれた。 「これは…なんのつもりですか?」 急に膝に置かれた相良の手の意味を聖は自ずと理解し、眉間に皺を寄せる。 「頼むから…二人を見守ってやって欲しい。俺たちの二の舞にしたくないんだ…。その…相手が必要なら俺でも…」 相良は何かに焦っているかのように、必死な顔で聖に詰め寄った。 「なんですか、相手って…。それに俺たちの二の舞って…僕と相良先輩のことですか?」 「そうだ…」 「へぇ…。僕とデビューしたいと言っていたあなたが、それを言いますか。運命の番を追いかけて、事務所辞めて、僕とのデビュー話をパーにした相良先輩が」 聖は淡々と言うと、膝に置かれていた相良の手をそっとどかした。 「聖…」 「僕が璃玖君を連れて行ったのは性欲の捌け口にするためじゃありません。ただ…僕がどんな気持ちで一人でデビューして、あの人の曲を歌わされ続けてきたか…。あの人の曲は、あなたの…相良先輩に向けて作られた曲なのに…。今まで、そんなこと考えたことありますか?」 「ご、ごめん。俺、勝手に誤解して…。その…考えもなしに…本当にごめん…」 「…」 「そうだよな。俺、一体、何考えていたんだろうな。だいたい、聖は榛名の曲、全部完成させてくれたんだし、感謝しないと」 「感謝…なんて必要ないです」 「聖…?」 「ねえ、相良先輩…。僕は運命に勝てなかったのか、それとも榛名さん自身に勝てなかったのか…どっちなんでしょうね…」 聖は寂しげに笑って相良に問いかける。 「どっちって…」 「僕はあの時、相良先輩の隣は誰にも譲らないって思っていました」 「…それは俺だって…」 「でも…あなたが選んだのは運命の番だった。今まで積み上げてきたもの全て、僕を捨ててまで選んだ。僕だって、あの人と同じαだったのに…」 「それは…」 「すべて運命の番だったから仕方がないって?」 相良は必死に首を何回も横に振る。 「違う…。榛名が運命の番だったからとかじゃない…俺自身が選んだんだ」 「そうですか…。じゃあ、せっかく運命の番を選んだあなたのうなじには…どうして…噛み跡がないんでしょうね」 聖はうっすらと笑いながら、相良のうなじを指先でそっとなぞる。 「番にさせてもらえなかった、哀れな相良先輩…」 「やめろ…!」 聖の手を相良は叩くようにどかし、そのまま後ろにたじろぎ、近づいていた聖から離れた。 「僕に番って欲しいんですか?」 「ち…がう…そんなんじゃ…」 自分のうなじを押さえながら、まるで自分を抱きしめるようにした相良は、顔を背け肩を震わせて黙ってしまう。 その様子に聖は深い溜息をつく。 「やっぱり、まだあの人を忘れていないんですね…」 「…俺は…榛名を忘れないって約束したんだ…絶対に…」 「そう…ですか…。なんだか…まるで自分に言い聞かせているように聞こえますけどね。それが本当にあの人が望んでいたことなんですかね?」 「えっ…?」 相良は驚いた表情で顔を上げると、聖はジャケットの内ポケットに手を回し、そのまま一枚の紙を取り出した。 「これ、来週末の僕のコンサートのチケットです。必ず来てください」 取り出したチケットを聖は机にそっと置いた。 だが、相良はチケットに目をやるが、返事はしなかった。 「僕の歌、あなたに直接聴いて欲しいんです。これは相良先輩の義務ですよ…」 「義務…」 「そうです。必ず来てくださいね」 「…」 そのままチケットをじっと相良は見つめるが、黙ったままで頷くこともなかった。 すると聖は、ソファーの背もたれに深く体重を預け、目を瞑って天井を仰ぎ相良に質問をした。 「ねぇ、相良先輩…。僕は運命に抗えると思いますか?」 「運命に…抗う…?」 「いえ、忘れてください。あなたに質問することではないですね。だってあなたこそ、選んだのは運命で、僕ではなく、あの人を選んだんだから…」 「聖…」 「それじゃ、璃玖君は来週末まで僕と一緒にいますが、一樹君同様、悪いようにはしないので安心してください…」 「聖、まっ…」 呼び止めようと相良はもう一度聖の名前を呼び、今度は聖の袖を掴もうとするが、まるで思い直したかのように、差し出した手を引っ込めた。 「…。コンサート、必ず来てくださいね」 そう言い残し、聖は相良のことを振り返ることなくラウンジを後にした。

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