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33.榛名 後編

長いようで短いような、静かな時間が経過すると、相良は涙が止まったのか深呼吸をした。 そして璃玖に微かに聞こえるぐらいの声で「驚かせてごめんな」と言うと、璃玖が重ねていた手を相良はじっと見つめたまま、もう一度自分を落ち着かせるかのように深呼吸した。 「やっぱり似ているのかもな、榛名と神山は…。そうやって人に優しく出来るところとか、そっくりだよ。だから…お前の作る曲が榛名に似ているって言われたのかもな」 相良は少し充血した目で昔を懐かしむように笑い、重ねられていた璃玖の手からゆっくりと自分の手を抜いた。 「相良…先生…」 「榛名のこと質問して謝るってことは、アイツが…死んでいることも知っているんだろ?」 「…はい。それなのに僕、相良先生の気持ち何も考えずに…。本当にごめんなさい」 璃玖は深々とお辞儀をすると「別にいいって。なんか俺、お前に謝らせてばっかりだな」と言って相良はクスッと笑った。 「まぁ…俺も自分で正直驚いた。榛名が死んでから、名前とか曲とか聴かないようにしてたから免疫なくなったのかね…。昨日は大丈夫だったのにな…。やっぱり、まだ心構えしていないと駄目みたいだな…ハハッ」 相良は先ほどのように璃玖に笑いかけてくれるが、今度の笑みは気丈に振舞っているようにしか見えず、璃玖は胸が苦しくなった。 「そんな顔するなって…。なぁ、神山。お前、八神と二人でデビューすることを目指しているんだよな?」 相良は真剣な顔で璃玖に質問をする。 「はい」 「お前が今後、曲を作っていくのか?」 「そのつもりです。僕の作った曲で一樹が振り付けをして、二人でデビューするのが今の目標です」 真っ直ぐ、迷いを見せることなく璃玖は相良に伝えた。 「そうか…。じゃあ、榛名のこと話すことはお前のためになるかもな」 (あれ?もしかして、一樹との曲作りのために僕が榛名さんのこと聞きたいって思われている?) 本当は聖の曲作りのために榛名の話を聞きたい璃玖だったが、そんなことはもちろん知らない相良は、どうやら勘違いしているようだった。 (でも、榛名さんが伝えたかったことが一番わかるかもしれないし…) 璃玖は考えた末「ありがとうございます」と言って、相良が誤解していることを利用して榛名の話を聞くことにした。 (ごめんなさい、相良先生…) 相良を騙すような形になり、璃玖には罪悪感が生まれたが、そのまま後ろめたさも一緒に気持ちに蓋をした。 「榛名はさ…本当にすごい奴だったよ。アイツが作る曲と歌詞は、まるで直接心に触れてくるみたいなんだ。それは痛みでも優しさでも…」 相良は自分のコーヒーに砂糖とミルクを入れ、スプーンでゆっくりとかき回した。 「痛みでも、優しさでも…」 「ああ。榛名は人の感情にすごく敏感で感覚が研ぎ澄まされていたから…。生まれた時から命が長くないって言われて、ほとんど病室で過ごすような奴だったから…。生と死というものに触れる機会が多かったことが影響していたかもしれないな」 「すごい…方だったんですね」 「…。本当にすごい奴だったよ。俺は昔から榛名が作る曲のファンだった。だからデビューが決まった時、社長に直談判して榛名にデビュー曲の作成依頼をしてもらったんだ」 「もしかして…その曲って聖さんのデビュー曲ですか?」 黙ったまま相良は頷いた。 「本当は俺と聖が二人で歌う予定で榛名が作ったものなんだ。けど、聖が最終的に歌詞を書き直したらしいんだ」 「…らしい?」 相良の他人行儀な物言いに璃玖は首を傾げた。 璃玖が疑問に思ったことを相良も気づいた様子だったが、相良は口籠り視線を逸らした。 そして、机に片肘をつき顎をのせると、相良は溜め息をつき、コーヒーの入ったカップを反対の手で持ち上げた。 だがカップに口はつけず、ミルクをたっぷり入れたおかげでキャラメル色になっているコーヒーを、そのままじっと見つめたまま、何やら言いづらそうにしていた。 「相良先生?」 「まぁ、なんというか…。俺、聖の曲って聴いていないんだ。というより榛名の作った曲はかな。だから人づてに聖がデビュー曲だけ作詞をしたって聞いたんだ」 「そう…だったんですね」 「聖が日本にいる間の曲は全部榛名が残した曲なんだ。榛名が作って聖が歌う…どれもきっと最高にいい曲だったろうな…。聖は…俺が好きだった榛名の曲をちゃんとこの世の中に残して多くの人に届けてくれた…。感謝してもしきれないくらいだ」 相良は満たされた表情をしており、聖への感謝の気持ちが璃玖にも伝わってきた。 だが、そんな相良の話を聞いて、璃玖は昨日のベットの上で辛そうに話していた聖の様子が頭をよぎった。 聖のデビュー曲はアイドルの、しかもデビュー曲にしては珍しい片想いの曲だった。 曲調はアップテンポだったが、男性目線で語られる伝わらないまま想い続けるという切ない歌詞は、女性ファンだけでなく男性にも多くの共感を呼んで、当時ヒットソングとなったと璃玖は母から聞いた。 今、曲を思い返してみると、添えられた歌詞はきっと、聖のそのままの気持ちを書いたものだと璃玖は思った。 (相良先生のことを想って書いた歌詞なのに…届いていなかったなんて…) 歌が届いていないことを知らず、それでも歌い続けた聖のことを考えると、璃玖は泣き出しそうな気持ちになった。 (聖さんは…どんな思いで榛名さんの曲を歌い続けていたんだろう…) 相良を奪った榛名が作った曲。 しかもデビュー曲以降は、榛名が相良のことを想って作った曲と歌詞とわかっていながら歌う苦しみ。 聖が本当は手にしたかった相良に向けて、榛名の代わりに届けようとしていた想い。 優しい聖は、自分の苦しみよりも、榛名の曲が相良に届くことを優先させたのだと璃玖は思った。 (でも、聖さんは恐らく知らないんだ…。相良先生が曲を聴いていないことを…) 聖が辛くても歌い続けた榛名の曲はもちろん、相良を想って聖が書いた歌詞のデビュー曲まで相良は聴いていないことに、璃玖は憤りを覚えた。 もちろん、榛名や聖のことを考えてしまうために避けてきた相良の気持ちは璃玖もわからなくはなかったが、やはり聖のことを考えると胸の内がモヤモヤした。 「榛名は…聖に曲を提供することが、榛名なりの罪滅ぼしだったみたいなんだ。まぁ、当の本人…聖は本当は迷惑だったらしいけどな…」 「どうして榛名さんが…その…聖さんに罪滅ぼしをする必要があったと相良先生は思うんですか?」 「あー…。前に話しただろ?優先することがあって俺はスターチャートの研修生辞めたって。あれは榛名の側にいるためだったんだ。だから榛名は、一緒にデビューするはずだった俺を聖から奪ったって考えていたみたいなんだ。俺が辞めた結果、聖は一人でデビューすることになったわけだからさ」 (奪った…。聖さんの手紙にも書いてあったけど…でもそれって…) 璃玖は聖宛ての榛名からの手紙に書かれていたという、奪ったという表現がずっと気になっていた。 相良がいうように、一緒にデビューするはずだった相手を奪ってしまったということに対しての謝罪だけには、璃玖にはとても思えなかった。 しかも、わざわざ聖に歌詞の続きを作らせて相良に届けて欲しいと託した理由が璃玖には一番謎だったが、今までの聖と相良の話を聞いて、璃玖は本当は開けてはいけない箱の中身を見てしまったような気持ちになり、胸がざわついた。 (もしかして榛名さんは…相良先生が本当は誰が好きだったか知っていた…?しかも、聖さんも相良先生を好きだってことも…。その上で奪って、相良先生を縛り付けてしまったことを榛名さんは後悔していたんじゃ…。だから聖さんに…) 璃玖の中で点と点がつながり、線となって見えてきた。 「ったく。俺自身がデビューや聖より榛名を選んだんだから、榛名がそんなこと考える必要ないのにな」 相良はいつもみたいに笑って言った。 (相良先生は…聖さんも榛名さんの気持ちも…何も気がついていないんだ…) 相良をずっと想い続けて、自分の気持ちをデビュー曲の歌詞に託し、その後も好きな人のために歌い続けた聖。 相良が本当に好きなのは聖と知っていながらも、最後まで相良を手放すことの出来なかった運命の番、榛名。 そんな聖や榛名、二人の思いに気づいていない、気づこうともしない相良に、璃玖は段々と怒りに近いものが湧き出てきた。 「相良先生…。相良先生は榛名さんのこと…好きだったんですか?」 「当たり前だろ。そうじゃなきゃ、色んなこと捨てて一緒にいようなんて思わないだろ」 璃玖が質問をすると、相良は当たり前のことを聞くなという顔をしていた。 (本当は何もわかっていないのに…) これ以上はプライベートのことで踏み込んではいけないとわかってはいても、璃玖はもう自分の中で塞き止めていた言葉を抑えることが出来なくなっていた。 「それは…榛名さんの命が短いと知らなくても本当にそうしましたか?」 「…どういう意味だ?」 「そのままの意味です。榛名さんに普通に出会っていたら、榛名さんを選んでましたか?」 「そんなの当たり前だろ…」 「じゃあ…運命の番が聖さんでも…榛名さんを選びましたか?」 璃玖は矢継ぎ早に相良に質問を繰り返す。 「なんで神山が運命の番のこと…」 「教えてください。榛名さんとは運命の番だったんですよね?じゃあ、聖さんと榛名さんの立場が逆だったら…相良先生はどっちを選んだんですか…?」 「お前は一体、俺に何を聞きたいんだ?榛名のことは…たしかに最初のきっかけは運命の番の力だったかもしれない。けど、理由はどうあれ俺は榛名を好きになっていたから…だから、きっと結果は同じだ」 「本当にそうですか?榛名さんが現れる前から、本当は聖さんが好きだったんじゃないんですか?」 「なに言ってんだよ。そんなわけ…」 「相良先生は聖さんのことずっと好きだった…いえ、今でも好きなんですよね?」 「今、言っただろ。俺が好きなのは榛名だって」 「本当のこと教えてください!本当のこと言わないから、どちらも傷つけたんですよ!」 「いいかげんにしろよ!なんだよ、本当のことって!俺が誰を傷つけたんだよ?何度も言っているように、俺が好きなのは今も昔も榛名だけだよ!」 「じゃあ!僕が聖さんを好きになっても関係ないですよね?」 そう璃玖が言うと、相良は顔を引きつらせ明らかに動揺した。 「えっ?…聖が好きなのか?だってお前、八神のことが…あっ…」 相良は自分が上擦った声で出てきた言葉が、まるで聖を取られてしまうことに焦っているように聞こえると自分で気がついた様子で、思わず口元に手を当て視線を逸らした。 「相良先生、いいかげん認めたらどうですか?僕に取られるって焦るくらい…聖さんが好きなんですよね?」 「別に俺は聖のことなんて…」 「相良先生は一体何に怖がっているんですか?」 「俺は怖がってなんか…」 「僕には、聖さんを好きだと認めることを怖がっているようにしか見えないんです。一体どうしてなんですか?」 「…」 重い雰囲気の中で無言が続くが、黙りこくってしまった相良が傷つくとわかっていても、璃玖は気がついてしまった真実を抑えることが出来なかった。 「相良先生…。榛名さんって相良先生の本当の気持ちに気がついていたと思いますよ」 「えっ?」 「榛名さんが気にしていた奪ったっていうのは、ユニットの相手を奪ったじゃなくて、結ばれるはずだった人を奪ってしまったって意味なんですよ!」 「バカな…榛名が…だって俺たちは運命の番で…」 「そうやって榛名さんは運命の番だから、絶対に選ばないといけないって思ったんじゃないんですか?」 「ち、ちがう。俺は榛名が好きなんだ。だって、榛名と約束したんだ」 「約束…?」 「忘れないって…。榛名が俺に言ったんだ『自分がいなくなっても忘れないで欲しい』って…。明るく笑いながら」 「それって…」 「俺はそれ聞いて、榛名を一人にしちゃいけない、最後までこの人の側にいなければと思った!だって、俺と榛名は運命の番だから!」 「やっぱり…運命の番じゃなかったら榛名さんを選んでなかったんじゃないんですか…?」 「うるさい!!」 相良は勢いよく立ち上がり、机を思い切り叩いた。 テラス席は璃玖と相良の二人だけだったが、大きな音を聞いて、店内にいた数名の客や店員がチラチラとこちらの様子を伺っていた。 すると相良は冷静さを取り戻したように、立ち上がったまま腕時計を見て溜め息をついた。 「…。すまん、俺、そろそろいくわ。打ち合わせに遅れる」 「相良先生!」 「お前のためになるかと思って榛名のこと話していたが、どうやら話が違うみたいだからな」 「逃げるんですか?また昔と同じように、そうやって見ない…聞こえないフリをするんですか?」 「ふざけるな!お前に何がわかる?」 「わからないですよ!」 「おいおい、何をさっきから二人とも言い争って…」 隼人が異変に気づき、テラス席に戻ってきた。 「別に…。話は終わった。俺はもう行く。運命の番の力に抗えないことをまだ知らない神山には、俺のことなんてわからないだろうしな」 そう言って、相良は財布からお金を取り出し机に置くと、そのまま振り向くことなく立ち去ろうとしたため、最後に璃玖は相良の背中に向かって声をかけた。 「週末の聖さんのコンサート…必ず来てくださいね。絶対に、逃げないでください…」 璃玖の声は聞こえていたはずだが、相良はそのまま振り向くことも返事もせず行ってしまった。 「璃玖?」 感情を露わにした璃玖を見たことがなかった隼人は、驚きながらも璃玖にそっと声をかける。 璃玖はしばし放心状態だったが、すぐに自分の荷物を抱えた。 「隼人さん、僕、ホテルに帰ります。僕がやらなきゃいけないことが…見つかりました…」

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