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37.誤解

「んっ…」 聖はそっと目を開けると、薄暗い白い天井が目に入った。 「おっ、目、覚めたか?」 声のする方に聖は顔を向けると、そこには椅子に座った隼人がいた。 「ここは?」 「病院。倒れたの覚えているか?」 病院と言われ、自分が知らないベットで横になっていることに聖はようやく気がついた。 「えっと…」 ぼんやりしながら朝からの記憶を聖は辿っていったが、一樹が部屋に入ってきて、急に立ち上がったところで記憶が途絶えてしまっていた。 聖はベットからゆっくりと上体を起き上がらせて、辺りを見回す。 「病院…か。あ、うん…なんとなく、思い出してきた…。あれ…一樹君は?」 病室は個室で、ベットの他に棚やテレビ、応接セットが置かれていたが、部屋を見渡しても一樹の姿はなかった。 「アイツならロビーの待合室。どうやら俺と一緒にいるのが嫌だったみたいだ」 隼人は肩をすくめると、棚に置いていた飲みかけの缶コーヒーを手に取り、椅子から立ち上がって伸びをした。 「隼人、一樹君の誤解はちゃんと解いたんだろうな?」 「誤解?あー、璃玖の話のやつ?」 「他にないだろ」 「あー…。それがアイツ、俺が話しかけても一言も喋らないの。だから解くもなにも…。っていうか、あんなの冗談にしか聞こえないだろ」 聖が倒れた時、ちょうどタクシーが到着したと連絡があったため、騒ぎになることを避け、病院には事前に連絡した上で、救急車ではなくタクシーで聖を運んだ。 後部座席に聖を抱きかかえた隼人が乗り、助手席には一樹が同乗したが、車内はもちろん、到着してからも一樹は一言も喋ろうとはしなかった。 「一樹君も、急に倒れた僕を見て余裕がなかったんだろ。今からでいいからちゃんと誤解を解いてこい」 「えー、いいんじゃね、別に。なんなら璃玖は俺が喜んで引き取って…ってそんな怖い顔するなよ、聖」 隼人の言いかけた言葉に、聖は眉間に皺を寄せ、咎めるような視線を投げた。 「隼人…。前にも忠告したけど、璃玖君には手を出すなよ。もし璃玖君と一樹君の仲を壊したら、僕は一生お前を許さないからな」 「何?もしかして、璃玖とアイツ…一樹だっけ?がデキているから聖も手を出さないって言っているのか?そんなの聖だって奪っちまえばいいのに」 「はぁー…。みんながみんな、お前みたいな考え方していると思うなよ」 隼人の楽観的な発想に、聖は溜め息が漏れた。 「えー、そうかぁ?だって、幸せになったもん勝ちじゃん。自分に正直が一番だろ」 隼人は、なぜ自分の考え方が理解できないのかと不思議そうな面持ちをしていた。 「…。お前は…奪われた側のことを考えたことはあるのか?」 「あるに決まってるだろ。だから俺はαからαの子しか寝取らないんだよ。αなら、すぐに次が見つかるだろうし、俺に運命の番が現れて、別れても安心だしな」 「…ん?それってもっともらしく聞こえるけど、寝取る必要はないよな?」 「あっ、バレた?まあ、寝取りはゲームみたいなもんだからな。相手に夢中の奴を自分に夢中にさせるなんて最高じゃね?」 「…」 結局、相手のことを何一つ考えていない隼人の発言に、聖は呆れて物も言えなかった。 「はぁ…。お前の前に現れた運命の子が、他の奴にかっさわれて痛い目みることを、僕は願うよ」 「そんな意地悪言うなって。そういや、医者はただの貧血だって言ってたぜ。念のため、一晩泊まっていけばいいってさ。ったく、貧血で倒れるとか女子高生かよ」 「ははっ、たしかにね。みんなへ体調管理に気をつけてって言いながらこれじゃ、示しがつかないね」 笑い交じりに聖は言うが、隼人は何かに気づいている様子だった。 「聖、本当は何が原因なんだ?」 「ん?本当も何も貧血だろ」 「誤魔化すなって。貧血の原因だよ。体調管理に人一倍気をつけているお前が、そんなヘマするとは思えねーんだよ」 聖とは長い付き合いになる隼人だったが、風邪はもちろん、聖が体調が悪そうな素振りをみせたことは一度もなかった。 それほどプロ意識の強い聖が、貧血を起こすこと自体が不自然だと隼人は気づいていた。 「あーあ、隼人には誤魔化せないか。長年連れ添った夫婦みたいだもんね」 「はぐらかすなって。コンサートまでの仕事キャンセルしたことと関係あるのか?」 茶化そうとする聖に、隼人は真剣な表情で尋ねるため、聖は観念したように笑みを浮かべた。 「…まぁね。恐らくこうなるだろうって予想はしていたから」 「…。一体何が原因なんだ?」 「まぁ、僕の身体は健康なんだけどねー。ちょっと薬の副作用で、食欲とか…ね」 「薬?一体何の薬だよ?」 「隼人も知っているだろ。いつものヒート抑制剤だよ。ちょっと効き目が不安でね。一回多く飲んだらこの結果だよ」 ヒート抑制剤は、Ωの発情期によって引き起こされるヒートを、α側が抑制するために開発されたものだった。 ただ、この国ではヒートの発症はΩ側に原因があると考えが根強いため、Ωの発情期抑制剤が主流で、国内でヒート抑制剤は販売自体行われていなかった。 そのためヒート抑制剤は海外から輸入する必要があり、国内での服用者はごく僅かだった。 また、ヒートの原理はすべて解明されておらず、薬も試験的なものが多いため副作用も出やすく、海外でも服用者は少なかった。 「あれは副作用が出やすいんだろ?聖に勧められて飲んだ時、俺なんて吐き続けたんだぞ。あんなの二度とごめんだね」 「まぁ、僕も最初は副作用に悩まされたけど、慣れればそれほどでもなかったんだけどね。まさか倒れるまでとは予想してなかったよ」 聖は笑いながら肩をすくませた。 「でも、なんで大目になんて飲んだんだよ?…まさか、璃玖のΩフェロモンに当てられているとか?発情期もきていないのに?」 Ωは独自のフェロモンをもっており、そのフェロモンは通常時には漏洩せずに蓄えられ、発情期に放出することによってαを誘い、引き寄せ、ヒート状態にしてしまう。 そのため、発情期を迎えるまで、また発情期を迎えたとしても抑制剤を服用していれば、Ωのフェロモンが漏洩することは基本的にないとされている。 Ωであることを隠そうとしている璃玖が、抑制剤を服用していないとは考えにくかったため、聖が何故わざわざヒート抑制剤を多用したのか、隼人は疑問に思った。 「念には念をね。僕が不安になっただけなんだ」 「不安?それって璃玖を襲わないかってことか?」 「まぁ、そうだね。何かあってからじゃ遅いし、もし、そんなことになったら…自分を許せなくなるからね」 どこか淋しげな笑みを聖は浮かべた。 「ふーん…」 隼人は相槌を打つと、冷めきった缶コーヒーの残りを一気に飲み干した。 聖の表情から、隼人はこれ以上詮索したところで何も話さないだろうと判断し、ポケットからタバコの箱を取り出した。 「さてと。聖も目を覚ましたことだし、一服してくっかな。ついでに、一樹のぼっちゃまに声かけてくるよ」 「ああ。ちゃんと誤解を解いてこいよ」 「はいはい」 箱からタバコを取り出し、隼人は口に咥えると、火をつけず、そのまま部屋を出て行った。 隼人が出て行ったことで聖だけが残された病室は、一瞬で静かになった。 聖はふと窓を見ると、薄いカーテンからうっすらと月明りが差し込んでいることに気が付いた。 静まり返った真っ白な部屋と、窓から差し込む月明かりは、まるでこの世界に自分だけが取り残されたような気分に聖をさせた。 「榛名さんもこんな寂しい景色を見ながら、相良先輩のこと考えていたのかな…」 聖はボソッと呟くと、その声は静まり返った部屋に冷たく響いた。 すると、廊下から近づいてくる足音が聞こえてきた。 「聖さんっ!」 ノックもせず扉を開け、部屋に入ってきたのは璃玖だった。 「あれ?どうしたの璃玖君」 「どうしたじゃないですよ…。コンシェルジュの人が急に部屋を訪ねてきて、聖さんが倒れたって教えてくれてくれたんです」 璃玖は少し呼吸を乱しつつ、心配そうな顔で聖のベットに近づき、聖のすぐ横に立った。 「心配になってきてくれたの?」 「当たり前じゃないですか!」 「そっか、ありがとう」 璃玖の本当に心から心配してくれる表情に、聖は笑みがこぼれる。 その表情に璃玖も安堵したのか、ゆっくりと深呼吸をして呼吸を整えた。 「ふー…。聖さん、もう起き上がっていても大丈夫なんですか?」 「うん。ただの貧血だってさ」 「貧血…。そっか、そうだったんですね…。でも、よかった…無事で…」 璃玖は力が抜けたように、聖の腰当たりのベットの隙間に上半身を預け、床に座り込んだ。 「ありがとう。心配してくれて」 ベットに置かれた璃玖の頭を、聖は優しく軽く撫でる。 「もしかして、昨日、僕と撮影したせいで無理をさせてしまったんですか?」 聖に頭を撫でられるのを心地よさそうにしながらも、璃玖は心配した顔で聖に質問をした。 「違うよ。今日は忙しくて、何も食べずにコンサートの練習した自分のせいだよ。自業自得」 「ご飯を食べなかったから?」 「そう。だからどこか悪いわけじゃないよ」 本当は薬の副作用で食べ物を受け付けなかったことが主な原因だったが、聖はあえて伏せておいた。 「よかった…。隼人さんがコンシェルジュの人に連絡してくれたみたいなんですけど、急に倒れたってことと、この病院の名前しか教えてくれなかったらしくて…」 「ったく、隼人の奴、中途半端に…。でも、こういうときにやっぱり不便だね。璃玖君のスマホは返しておこうね」 璃玖のスマホは、作曲に集中するためいう名目で昨日から聖が保管していたため、璃玖に返そうと、聖は棚に置かれたカバンに手を伸ばす。 「あ、いいです。今、すごく集中したいので…」 「集中…。ということは曲のイメージが出来たってこと?」 「はい」 「それは相良先輩に榛名さんのことを聞いたから?」 璃玖は聖に言い当てられて、目をパチクリさせる。 「…。隼人さんに聞いたんですか?」 「まぁね。榛名さんのこと知りたかったんだって?」 「…はい。榛名さんが、聖さんにわざわざ相良先生宛の曲の続きを託した理由がわからなかったので…」 「でも、どうして喧嘩になんてなったの?」 「だって…」 「ほーら『だって』は、なし」 聖は璃玖に優しく微笑み、おでこにデコピンをする。 すると、璃玖の目から涙が溢れ出した。 「えっ、ごめん!僕、強くやりすぎた?」 璃玖の思ってもみなかった反応に、聖は慌ててしまう。 「これは違うんです…違うんです…。ちょっと思い出しちゃって…」 「思い出したって、相良先輩との喧嘩のこと?」 聖の問いかけに、璃玖は頷きはしなかったものの、首を振って否定することもしなかった。 「…相良先生は…ズルいです。何も知らなすぎるから…。なんで、聖さんばっかり辛い思いをしなくちゃいけないのかって…僕、頭にきちゃって…」 「…一体どんなことを聞いたの?」 聖は先ほどのように、璃玖の頭を撫でながら質問をする。 「榛名さんが残した曲を、聖さんが歌い続けていたことを聞きました…。でも、相良先生、聖さんの曲を今まで一度も聴いたことないって言うんですよ…。榛名さんを思い出すからって…」 「そっか…。まぁ、相良先輩も榛名さんが亡くなって憔悴していたからね…仕方ないよ」 「それでも…!相良先生は聴くべきです。だって、聖さんは…辛くても…相良先生のために榛名さんの曲、歌い続けたんでしょ?デビュー曲だって相良先生に向けた曲なんですよね?」 「あー…。璃玖君は…気づいちゃったんだね」 聖のデビュー曲の作詞は、公には偽名で作り上げた作詞家が書いたものにしていた。 そのため、本当は聖が作詞したことはごく一部の人間しか知らないはずだったので、璃玖がデビュー曲の本当の意味まで知ってしまうとは聖も予想外だった。 それは、誰にも言わず、心の奥底にしまっていたものを見つけられてしまった様な気持ちに、聖をさせた。 「僕、相良先生のこと許せなくて…」 「…じゃあ、この涙は、僕のために泣いてくれているの?」 聖は指先でそっと璃玖の涙を掬い取る。 「ありがとう…璃玖君。僕のために泣いてくれるんだね…」 自分のために涙を流してくれている璃玖の姿は、とても綺麗だと聖は思った。 聖は居てもたってもいられず、璃玖の頭を抱き寄せ、そっと自分の胸元に引き寄せた。 すると、璃玖に聖の体温と少し速い心音が伝わってきて、璃玖をさらに切ない気持ちにさせた。 「…。聖さんが優しすぎるのがいけないんです…」 「そうかな?僕は優しくなんてないよ…。ほら、男の子があまり人前で泣くものじゃないよ」 璃玖は優しく頭を抱きかかえられたまま顔を上げると、聖に鼻をつままれる。 「まあ、僕のためだったらいいけどね」 「ふっ。聖さんって、やっぱりワガママだ」 聖らしい発言に璃玖は笑みが溢れた。 「そうだよ。僕はワガママで欲しがりなんだ。璃玖君もよく知っているだろ」 璃玖は聖の胸元から顔を離すと、聖と顔を見合わせて笑いあう。 すると、ノックの音が聞こえ、璃玖はハッとしてすぐに聖から距離をとった。 「どうぞ」 聖が返事をするとドアが開かれ、現れたのは一樹だった。 「一樹!どうしたの?」 一樹が病院にいるとは思っていなかった璃玖は、とっさに驚いてしまう。 「璃玖が走っていくのがロビーから見えたんだよ。なんだよ、俺がいたら都合が悪いのか?」 璃玖の驚いた反応に、一樹はあきらかに不機嫌になった。 「別にそういうわけじゃ…」 「璃玖君、一樹君は今日、僕の練習の見学に来ていて、倒れた僕に付き添ってくれたんだ」 「そうなんだ。ありがとう一樹」 璃玖は笑顔でお礼を言うと、一樹は奥歯を噛み締めたように頬をこわばらせた。 「…どうしてお前がお礼を言うんだよ?」 「えっ?」 「なんなんだよ!なんでそんなに聖さんと親しくなっているんだよ…。それに、その髪と恰好…」 璃玖のいつもと違う髪型や服装に一樹はすぐに気がつくが、それは璃玖自身が聖のためにわざわざ支度をしたと一樹は咄嗟に思い込んでしまった。 そのため、その姿はまるで聖が特別な存在と表しているようで、一樹は余計に頭に血が上ってしまう。 「ちょっと一樹、落ち着いて。ここ、病室だよ」 そんな璃玖の声は聞こえてはいるものの、興奮したままの一樹は聖の横に立っていた璃玖に詰め寄った。 「…?!…お前…泣いたのか?」 「えっ?」 薄暗かったせいで璃玖の目が赤く充血していることに近づくまで気づかなかった一樹は、そのまま聖に視線を落とすと、患者着の胸元あたりが不自然に濡れているのが目に入った。 璃玖が聖の胸に顔を埋めていたことは明らかで、二人が抱き合っていた構図が頭に浮かぶと、一樹は怒りを抑えられず、そのまま璃玖の手首を掴んだ。 「ちょっと来い!!」 「えっ!待ってよ、一樹!!」 一樹は璃玖の静止も聞かず、璃玖の手首を無理やり引っ張りながら聖の病室を後にした。

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