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43.音楽スタジオ

「ここがとっておきの場所…なんですか?」 璃玖が聖に連れてこられたのは、看板も何も出ていない、一軒家にしては大きい建物だった。 「そう。まぁ、とりあえず入って入って」 聖はキーケースを取り出し、扉を開けると、すぐに地下へと続く階段が続いていた。 そのまま聖に続いて、璃玖は階段を降りていくと、さらに重たそうな扉があった。 その扉を聖が体重をかけるように力を込めて開け、明かりをつけると、中はたくさんの機械が置かれた部屋だった。 「ここって…」 「音楽スタジオだけど、もしかして来たことある?」 「ないです!うわぁー、すごい!こういうところでレコーディングしたり、曲を作っていくんですよね!」 テレビや雑誌でしか見たことがなかった音楽スタジオに、璃玖は興味津々だった。 「喜んでもらえてなにより。せっかくだし、いじったりしても大丈夫だよ」 「え?!ほんとですか?」 璃玖の明るく目を輝かせている反応に、聖は一瞬安心したような表情を浮かべると、後方に並べられていた椅子に座って、璃玖を微笑みながら見つめた。 微笑んでいる聖に見つめられていることに気が付いた璃玖は、まるで子供のようにはしゃいでいることを笑われたと思い、急に恥ずかしくなってしまう。 「すみません、浮かれてしまって…」 「ううん。璃玖君はそうやって、明るくしているほうが似合っているよ」 「…僕、そんな暗い顔してましたか?」 「暗かった自覚、あるんでしょ?」 「うぅ…」 聖には、いつも痛いところを質問で返されてしまい、結果、璃玖自身が答えに困ってしまう。 「ほら、璃玖君、ここ座って」 璃玖が返答に困っていると、聖は自分の隣に置かれた椅子を指差した。 璃玖は大人しく、聖の隣の椅子に座った。 「璃玖君、編曲家ってわかる?」 「編曲…。アレンジ…をする方ですかね?」 璃玖の知っている知識では、作曲された曲をもっと良いものに変える人というぐらいしかイメージがなかった。 「そうだね。伴奏をつけるって言った方がイメージしやすいかもね。ここは、二階から住居になっていて、ある編曲家の持ち家の一つなんだ」 「へぇー。でも、ご挨拶もせずに、勝手に僕まで入って大丈夫なんですか?」 「大丈夫、大丈夫。元々ここには住んでない人だし、鍵を貰っているから、昔から好きに使っているんだ」 「ここ以外にも家があるって…。きっと、すごい方なんですね」 家を複数所有し、しかもこんな立派な施設まで持っている編曲家なら、さぞかし有名な人であるのだと璃玖も想像した。 「突然だけど璃玖君。さっき、璃玖君が立っていたところと、今、ここから見える景色は、違って見える?」 唐突に聖に言われ、璃玖は何か大事なものを見落としたのかと、慌ててスタジオを見渡し直してみた。 すると、不思議と先程は目の前にあったのに、あることにすら気づかなかったディスプレイや、機器があることに璃玖は気がついた。 「違いますね…。さっき、視界に入っていたはずなのに、気づかなかったものが結構あります…」 聖は黙ったまま頷き足を組むと、防音ガラスの向こう側の録音ブースを真剣に見つめ始めた。 「あっ…」 聖の唐突な質問の意図が、璃玖には最初は理解出来なかったが、次第に聖が何を伝えようとしてくれているのか見えてきた。 (また、僕に気づかせてくれたんだ) 「聖さん…」 「ん?」 聖はとぼけたように首を傾げると、急に立ち上がった。 「喉渇いたよね?飲み物買ってくるから少し待っててくれる?」 そう言い残して、聖は璃玖を一人置いて、そそくさとスタジオを出て行ってしまった。 一人残されたスタジオ内は防音のおかげで、外の音は全く聞こえず、無音であった。 璃玖はふと立ち上がり、聖が見つめていた収録ブースの照明だけを落として、もう一度椅子に座った。 そして、聖と同じように誰もいない収録ブースをまっすぐ見つると、防音ガラスには璃玖自身が映し出された。 物音ひとつしない部屋で自分を見つめると、まるで鏡の世界から自分自身を見つめているようだった。 「僕、目の前のことで、いっぱいになりすぎてた…」 曲作りと、一樹のことが重なり、頭の中が全く余裕がなくなっていたことに、璃玖は客観的に気づくことが出来た。 璃玖は椅子の背もたれに体重を預け、今度は天井を見つめた。 天井は、とても地下にあるとは思えないくらい高かった。 一樹にされた行為自体、たしかにショックだったが、璃玖にとって一番ショックだったのは、一樹が自分よりも伊織の言葉を信じたことだった。 伊織が何故、一樹にそんな嘘をついたのかわからなかったが、伊織が璃玖を見る目は初めから好意的ではないことはわかっていた。 (伊織君が一樹とデビューしたかったのに、大嫌いな格下の僕が、一緒にデビューしようとしているなんて知ったらおもしろくないよね…) 一樹が自分とのデビューの目標を伊織にどこまで話しているかは、璃玖も聞いたことがなかったが、もし急に聞かされたら、伊織もショックだっただろうと璃玖は思った。 だが、だからと言って一樹の隣を伊織に譲る気も璃玖にはなく、一樹との今後と未来を考えるなら、今、まずやるべきかは璃玖には決まっていた。 (僕は、僕にしか出来ないことを強みにしていかないと、伊織君には勝てない。まずは聖さんの曲を完成させないと!) 「ただいまー。璃玖君はミルクティーが好きなんだっけ?」 戻ってきた聖は、璃玖に小さいボトルタイプのミルクティーを差し出した。 「聖さん」 「ん?」 「また教えてくれてありがとうございます。僕、曲作り頑張ります」 璃玖はミルクティーを受け取り、深く頭を下げた。 「なんのことかな?僕は何もしてないよ」 頭を撫でられ顔を上げると、聖はいつものように悪戯に微笑んでいた。 「ごちそうさまです」 聖に改めてお礼を言って、璃玖は受け取ったミルクティーの蓋を開け、ゆっくりと口をつけた。 ミルクティーは温かく、その心地よい温度は、天沢の淹れてくれたミルクティーを思い出させた。 すると、なんだか胸につかえていたものが、すっと流れていくような気持ちになった。 (あの時だって、悩んで、ぶつかって、ちゃんと一樹と向き合ったんだ。曲作りが終わったら、今度もちゃんと、一樹と話し合おう) 頭の中を埋め尽くしていた問題が解決したわけではなかったが、整理されたおかげで、璃玖は落ち着いて考えることが出来るようになっていた。 璃玖は気合を入れるため、小さくガッツポーズをした。 その様子に、聖は安心したかのように、璃玖に気づかれない程度の小さい溜め息をついて、璃玖の隣に座った。 「ねぇ、璃玖君。僕はここへはね、練習とか息抜きとかに利用させてもらっていたんだ。璃玖君を連れて来られて良かったよ」 「そんな聖さんの大事な場所に連れてきてくれて、ありがとうございます」 璃玖は嬉しそうに聖に満面な笑みで笑いかけた。 「えっ?」 璃玖の反応に、聖は缶コーヒーの蓋を開けるのを止めて、少し驚いた顔をした。 「…?僕、何か変なこと言いましたか?」 そんな驚かれることを言ったとは思えなかったが、また無神経なことを言ってしまったのではないかと、璃玖は不安になる。 「ごめん、ごめん。いや、成長したなって。きっと少し前の璃玖君だったら、お礼を言う前に『僕なんて連れてきて』とか、自分を卑下していたと思うよ」 「たしかに…」 聖に指摘され、いつの間にか考え方まで変わっていることに璃玖自身も驚いた。 「今までの璃玖君は自分に自信がなかったからね。いい傾向、いい傾向。きっと今なら、璃玖君はもっと色々なことが出来るよ」 「だといいな…」 「それじゃあ、せっかくだし、新しいことしてみよ。やっぱり、機械いじってみる?」 璃玖は少し考え込むと、思いついたように急に椅子から立ち上がり、聖の前に立った。 「僕…聖さんの歌が聴きたいです」 「えっ?」 思っても見なかった璃玖のお願いに、聖は先ほどより驚いた顔をして、璃玖を見上げた。 「僕の?…それはいいけど…。新曲の音源あるかなー…」 「いえ、聖さんの…デビュー曲が聴きたいです…」 デビュー曲という言葉が璃玖から出た途端に、椅子から立ち上がろうとしていた聖の動きが止まり、聖は椅子に座りなおしてしまった。 「あれか…」 そう言って、聖は口を隠すように手を当て、黙り込んでしまう。 その様子は、聖が嫌がっていることは璃玖にも伝わっていた。 「ダメ…ですか?」 「…。ダメというか…。僕が嫌だって言ったら、璃玖君は聞き入れてくれる?」 聖は座りながら、立っていた璃玖の片腕を、微笑みながらそっと掴んだ。 掴まれた腕から、璃玖は気のせいかもしれなかったが、微かに震えを感じた。 聖の思ってもみなかった反応に、璃玖は戸惑ってしまう。 「聖…さん?」 「あの曲は、日本を発ってから絶対に歌わないようにしていたんだ。今回のコンサートの曲目にもいれてないしね」 「それは、やっぱり、相良先生を思い出す…からですか?」 「…。璃玖君も知っての通り…あの曲は、僕がデビューして間もない時に作詞したやつだから…恥ずかしいんだよね」 聖は璃玖に、まるで照れた様子で笑いかけた。 本当は恥ずかしいではなく、相良への想いを歌であっても口にしたくないのだと璃玖自身もわかっていたが、璃玖も引き下がるわけにはいかなかった。 「そうなんですね…。でも…」 引き下がらない様子の璃玖に、聖は深く溜め息をつくと、観念したかのようにゆっくりと椅子から立ち上がった。 「どうしても聴きたい?」 「聴きたいです!聴かせてください、お願いします!!」 璃玖は必死に聖に懇願する。 「きっと、本当の意味を知っちゃった璃玖君には、あの歌は重たすぎると思うよ」 「重たくなんか…!それだけ聖さんの想いが詰まっているってことじゃないですか!僕は聴きたいです!」 璃玖の力説する必死な様子に、聖は仕方ないといった様子で、もう一度大きく溜め息をついた。 「わかったよ。そこまで璃玖君に言われたら僕の負けだ。じゃあ上に音源あると思うから、ちょっと待っててね」 聖はポケットからキーケースを取り出しすと、再度、部屋を出て行った。

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