47 / 75

47.コンサート前日

「なんだよこれ…」 一樹は廊下に貼られたポスターを見て、愕然としていた。 「なーに、一樹立ち止まって。ポスターなら、お願いして後で貰いなよ」 聖のコンサート前日リハーサルのため、一樹と一緒に会場を訪れていた伊織は、一樹の肩に顎を乗せて、控え室前に貼られたポスターを後ろから覗き込んだ。 「璃玖…」 一樹は驚いた顔をしたまま、小さく呟いた。 「はぁ?ちょっと一樹、何言って…。これが神山なわけないでしょ」 伊織はポスターに近づき、聖と一緒に写っているもう一人の人物を、まじまじと観察する。 後ろ姿のため性別不明だったが、大きめの白いシャツの襟から見える首筋や、肩のラインが陰影と相まって妖艶な雰囲気を醸し出していた。 聖と一緒に写っていても見劣りしないことを考えると、プロのモデルとしか思えず、背格好はたしかに璃玖に似ていたが、とても同一人物とは伊織には思えなかった。 「まっさかー。ハハッ。これが、あの神山なわけ…」 「…」 一樹に向かって振り向き、ポスターをノックするように叩いて笑う伊織だったが、一樹は唇を噛み締め、視線を逸らし俯いた。 「えっ…。本当にこれがあの神山…?そんなバカな…」 伊織はまだ信じられず、ポスターをもう一度見直すと、たしかに璃玖だと言われれば、似ていないとも言えなかった。 カウチソファーの上で、後ろ姿で膝立ちをした璃玖に、背もたれの後ろに寄りかかった聖。 触れるか触れないかの距離で手を差し出している聖の表情は切なげで、まるで叶わぬ恋をしているかのように見えるポスターは、つい目を奪われてしまう不思議な魅力があった。 「やっぱり、神山って聖さんとデキているのかな?だからこんなポスター…」 俯いたままの一樹の肩に、まるで慰めるように伊織は手を置いた。 「黙れ、伊織。璃玖はそんな奴じゃないって言っただろ」 肩に置かれた伊織の手を掴むと、一樹はゆっくりと退かした。 璃玖に試すようなことをしてしまった一樹は、翌日、伊織に真相を確かめたところ、伊織は悪びれる様子もなく、あっさり嘘をついたことを認めた。 そんな伊織の様子に、冷静に考えればわかった嘘に踊らさえた自分自身が恥ずかしくなり、一樹はそれ以上、伊織を責めなかった。 「なんだよー。僕の話は嘘だったかもしれないけど、聖さんとは本当にデキているかもしれないじゃん」 「うるさい。俺は璃玖を信じてる」 一樹は邪念を振り払うように、目をつぶって首を振った。 今でも目を瞑ると、一樹の目に浮かんでくるのは、疑われたというショックを受けた璃玖の顔だった。 どうしようもなく璃玖が好きで、声も身体も、作り出すものすべてを手に入れてたいという、まるでヒートになったαがΩを求めるような、狂気的な欲求に支配され、自分を見失うとは一樹も思ってもみなかった。 だが、璃玖に聖へ曲を作ると言われたことで、それは自分以外が璃玖の目に写ることが嫌だという、ただの子供じみた独占欲だったと気づかされた。 こんな一方的に押し付けるような気持ちでは駄目だと、一樹は二度と同じ過ちは繰り返さないと心に誓った。 しかし、目の前のポスター一枚で、気持ちが揺らぎそうになる自分自身に、一樹は心底、己の余裕のなさに呆れていた。 気持ちを落ち着かせるように、一樹は軽く深呼吸をして、肩にかけていた荷物を背負いなおした。 「ほら、さっさと着替えて練習しようぜ」 「ふーん…」 落ちつきを取り戻した様子の一樹に、伊織は興味がなさそうに相槌を打つが、内心かなり焦っていた。 連日ぼーっとしていた一樹が、ここ数日の練習に打ち込む様子は、何か変化があったのは明らかだった。 しかし、それは、璃玖との仲が悪化し、気にしないために練習に集中しているのだと思い、伊織は二人の邪魔が出来たと喜んでいた。 だが、こんなポスターを見ても、驚きはしたものの慌てることのなかった一樹の様子は、璃玖を諦めたのか、それとも揺るがない確固たる仲になったのか、伊織にはわからなくなってしまった。 しかも、こんな思わず見惚れてしまう璃玖の姿はあまりに予想外で、伊織をさらに焦らせた。 「あっ!噂をすれば」 一樹は伊織が見つめる方を向くと、聖と璃玖が並んで向かって歩いてきていた。 「璃玖…」 璃玖の姿を見つけ、謝るために一樹はすぐに駆け寄りたい気持ちだったが、聖が一緒にいたため、グッと踏みとどまった。 「一樹…」 一樹の存在に気がつくと、璃玖は急に足を止めてしまった。 リハーサルに来れば一樹と顔を合わせることも予想出来ていて、会ったらすぐに謝ろうと璃玖は思ってはいた。 しかし、一樹の横に伊織の姿を見つけると、自分より伊織を信じたことへの悔しさが思い出され、璃玖の足は重りをつけられたように動かなくなってしまった。 璃玖の異変に気が付いた聖は、一樹たちの姿を見つけると、まるで璃玖の視界に一樹が入らないようにするかのように、璃玖の少し前に立ち、足を止めた。 「聖さん…」 「璃玖君は黙ってて」 聖にそう言われ、璃玖は下手に何かを言って一樹がツアー参加が出来なくなってしまうことが恐くなり、黙ったまま俯いてしまう。 「聖さん、おはようございます!今日はよろしくお願いします」 伊織は明るく聖に駆け寄り、お辞儀をすると、一樹も早歩きで伊織の後を追ってきて聖に会釈をした。 「おはよう。今日もよろしく。ね、璃玖君」 「はい…」 一樹に見つめられていることを視線で感じていたが、璃玖はとても顔を上げられなかった。 「今日は神山も見学?あ、聖さんのお手伝いだっけ?髪の毛切ったんだね。なんかだか雰囲気変わっていい感じだね。誰にやってもらったの?」 伊織は、璃玖の周りをぐるりとゆっくり観察するように歩きながら、矢継ぎ早に質問をする。 「あ…。え、えっと…」 璃玖はどの質問から答えていいか分からず、言葉に詰まってしまうと、伊織が耳元で微かに囁いてきた。 「一樹の次は聖さん?ほんと、カラダを使うのがうまいんだね」 「えっ…」 伊織の耳を疑うような言葉に、璃玖は表情が凍り付くが、伊織はにっこりと璃玖に微笑むと、すぐに聖に話かけ始めた。 「そういえば、ポスター見ました。あのポスターに聖さんと写っているのって、神山なんですよね?」 「ポスター…?」 璃玖は、伊織が指さす方を見ると、少し離れた場所の壁にポスターが貼られているのが見えた。 だが、璃玖の位置からは遠くてどんなものかよく見えなかったが、聖と撮影したのは一回きりだったため、あの時のものだと予想は出来た。 「神山、別人みたいなんだもん。びっくりしちゃった」 「あれは…」 聖のおかげだと言いそうになるが、一樹がいることを思い出し、慌てて璃玖は言葉を飲み込んだ。 「あれは璃玖君の実力だよ。璃玖君は、人に見せる方法がわからなかっただけだからね」 「へー。じゃあ、聖さん効果なんですね。いいなー、僕も教えて欲しいなー」 伊織は聖に満面の笑みを浮かべ、ねだるように甘えた声を出した。 「伊織君は十分、自分の魅力を理解しているから大丈夫だよ。でも、あのポスターに僕の影響が少しでもあったら嬉しいな。ね、璃玖君?」 「あっ…はい…」 璃玖は答えに困り、ただ相槌を打つしか出来なかった。 「ちなみに、あれが璃玖君ってことは、まだ外部には漏らさないでね。明日のサプライズだから」 「サプライズ?」 「そう。急遽だけど、明日のコンサートで、このポスターを再現する演出で、璃玖君には舞台に立ってもらう予定なんだ」 「えっ…?」 「はっ…?」 璃玖は黙って俯いたままだったが、一樹も伊織も驚き、互いに驚きの声が漏れてしまう。 「もちろん、立つだけじゃなくて、歌ってもらうけどね。あ、これもまだ秘密で」 聖は人差し指を唇にあて、笑みを浮かべた。 「そんな…」 思わずそう呟いたのは、一樹ではなく伊織だった。 「そういれば、璃玖君。忘れないうちに、これ、返しておくね」 聖は自分のカバンから、璃玖のスマホを取り出した。 「なんで聖さんが璃玖のスマホを…?」 聖のカバンから取り出され、璃玖に手渡されたのは、たしかに一樹もよく知っている璃玖のスマホだった。 「ちょっと璃玖君には集中して欲しくてね。預かっていたんだ。でも返す。一樹君には、この意味がわかるよね?」 「…」 それは、璃玖が聖の曲を完成させたのを意味していることに、一樹はすぐに気が付いた。 「じゃあ、璃玖君。そろそろ、行こうか」 「はい…」 「二人とも、またあとでね」 そう言って、聖と璃玖は並んで廊下の奥に歩いていき、角を曲がってしまうと姿が見えなくなった。 二人の姿が見えなくなると、伊織はとても信じられないと言わんばかりに、烈火のごとく一樹に詰め寄った。 「ねぇ、一樹、どういうこと?神山が明日コンサートに出るって…!しかも歌?なにそれ…。そんなこと知ってたの?」 「いや…俺は…」 「アイツ、本当にどうやって聖さんに…」 「いいかげん、やめろって!璃玖はそんな奴じゃないって言っているだろ!」 一樹は、伊織がまだ璃玖を疑うような発言することにカッとなり、伊織の胸ぐらを掴むと、伊織の身体を壁に押し付けた。 一瞬驚いた顔を伊織は見せたが、すぐに不敵な笑みを浮かべ、一樹の手を掴んで自分の胸ぐらから手を外させた。 「何を怒っているのさ。自分が掴まえておかないのが悪いんじゃないか。僕に当たらないでよ」 「違う、璃玖は聖さんとそんな関係じゃない」 「へぇー。じゃあ、聖さんが神山を一方的に可愛がっているのか、それとも、あくまでも実力ってことかな。どっちにしろ、せいぜい明日は恥をかけばいいよ。あんな、何もしらないお子様で、実力もないくせいに…」 伊織は璃玖とクラスが違うため、最近成長した璃玖のことを知らず甘く見ていた。 だが、一樹は毎週の朝練で、璃玖の上達具合も知っていた。 聖の口ぶりでは、璃玖の作った歌を歌わせる可能性があると思い、先ほどのポスターといい、璃玖が観客を惹きつけることが出来るのは、一樹には容易に想像出来た。 おそらく、明日はスターチャートの関係者も観覧するだろうし、Ωだというだけで入所もさせない幹部達に、璃玖が十分すぎるほどの素質があることを知らしめる、いい機会なのかもしれないと一樹は考えた。 ふと、一樹は隼人が言っていた、聖が想像の何倍も先を考えて行動しているという言葉を思い出す。 まさにこの状況は、璃玖がデビューするために聖が画策した結果なのではと、一樹は気が付いた。 だが、気が付いたところで、何故そこまで璃玖をデビューさせたいのかまでは分からなかった。 「…。リハーサル始まるぞ」 一樹は頭を整理させようと、何事もなかったかのように、改めて控室のドアを開けようとする。 「あっ、僕ちょっと用事を思い出したから、荷物よろしく」 そう言って、伊織はカバンからスマホを取り出して、荷物がぎっしり詰まったカバンを一樹に投げるように手渡した。 「重っ!どこ行くんだよ?さっさと着替えないと間に合わないぞ」 「わかっているよ。すぐに済むから、先、着替えてて」 そう言って、伊織は慌てた様子でどこかに走り去ってしまった。 「ったく」 仕方なく、伊織と自分の荷物を両手に抱えて、準備されていた控室のドアを開けると、ちょうど、数日前に伊織を罵っていた男と出くわした。 「おいおい、ノックもなしかぁ」 「あ、失礼しました」 一樹は指摘されて、手が荷物でいっぱいだったが、たしかに共同の控室でのマナーに欠けていたことに気が付き、素直にお辞儀をして謝罪した。 「なんだよ、今日はやけに素直じゃん。お姫様と一緒じゃないからですか?王子様」 「伊織がお姫様に見えるなんて、目がお疲れなんじゃないんですか、先輩?」 一樹は男の挑発に乗らず、笑って返した。 「違いない。たしかにあれはお姫様ではないよなー。お、噂をすれば」 男はスマホの画面を確認すると、急いだ様子で控室を出て行った。 「なんだったんだ、一体…」 疑問に思いながらも、一樹はいくつか用意されていた長机のひとつに、自分と伊織のカバンを置くと、すぐにカバンから自分のスマホを取り出した。 そして、短いメールを璃玖に送信した。

ともだちにシェアしよう!