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48.男の誘い
「はぁー…」
『会いたい』
一樹から先ほど届いたメッセージは、人気のない二階の観客席の端っこで座った璃玖を悩ませていた。
自分も会いたいとすぐに返信をしたかったが、今、一樹に会ってしまうと、感情が溢れ、聖との出来事すべてを話してしまいそうで、璃玖は返信出来ずにいた。
(聖さんと、ちゃんと話してからでないと…)
璃玖はスマホの画面を消して、パーカーのポケットへと仕舞い込んだ。
そして、膝の上で頬杖をつくと、一階に設営されたステージでリハーサルをする聖を見つめた。
(聖さんは相良先生のこと、本当に今は好きじゃないのかな…。今までのは全部演技って…)
この短期間で璃玖に曲を作らせるために、聖は演技していたと言っていた。
しかし璃玖には、相良に対する聖の気持ちすべてが演技だったとは、到底思えなかった。
だが、恋人になろうと言ったと同時に、わざと一樹の話で追い詰めることを言い、自分のコンサートで歌わせようとする理由も、璃玖には未だに分からなかった。
(今日は、やっと聖さんに会えたのに…。話す暇もないや…)
この数日、聖は璃玖の前から姿を消していた。
告白された後、音楽スタジオに聖が用意した講師が訪れると、聖は入れ替わるように、どこかに行ってしまった。
璃玖は、ホテルに戻ればまた会えると思い、その時は急いで追いかけなかったが、聖がホテルの部屋に戻ってくることはなかった。
翌日、アレンジが完了した璃玖の曲が早々に届けられると、聖によって準備された様々なレッスンが璃玖に行われた。
聖の立てたレッスンスケジュールは分刻みで、璃玖は考えごとをする暇もないほど、目まぐるしい日々を過ごすこととなった。
そんな璃玖を、聖のマネージャーがサポートを行ってくれていたが、聖のことを尋ねても、詳しくは教えてはくれなかった。
すると、あっという間に日々は過ぎていき、聖と顔を合わせないまま今日を迎えてしまった。
会場の関係者駐車場で聖と待ち合わせをしていたが、そんな璃玖の前に、いつもの笑顔で「おはよう」と言って現れた聖は、マネージャーに指示を出し、どこかに向かわせると、まるで何事もなかったかのように、一人で歩き出してしまった。
聖の態度に困惑した璃玖は、仕方なく、聖の少し後ろを黙ってついて歩くようにしていたところで、一樹と伊織と出くわしたのだった。
その後、二人で控室に向かったが、璃玖の控室は自分の隣だということと、璃玖のリハーサルは夕方からなのでスタッフが声をかけると伝えると、聖は自分の控室に黙って入っていってしまった。
(本番前で集中したかったのかな…。それとも僕のことを避けて…。でも、急に避けるなんて…)
心当たりがあるとすれば、聖が我を忘れて、一樹のように抱きしめてきたことしか璃玖には思い浮かばなかった。
すると、廊下で出会った時の一樹の顔が、璃玖の頭を過ぎった。
(そういえば、僕が明日歌うって聞いても、一樹、怒らなかったな…。一樹も聖さんと同じように…)
今までの一樹であれば、その場で怒りを露わにして反対していたはずと璃玖は気付くと、心がざわめいた。
あまりの身勝手さに、もう飽きられてしまったのかもしれないという考えが、璃玖の頭を支配し、先ほど送られてきたメッセージが、そのことを伝えるためなのかもしれないと、璃玖をさらに不安にさせた。
(僕、いつからこんなに一樹に依存しちゃっているんだろう…)
璃玖は不安を払拭するように、目を瞑って首をゆっくりと横に振った。
もともと、璃玖自身にはアイドルになりたいという憧れや目標はなかった。
けれども、一樹と出会い、助けられたことで、一樹にもらった勇気を誰かに届けたいと思い、それが自分の作った曲で、一樹の隣で一緒に届けられれば、どんなに素敵なことかと思い、目標になった。
しかし、自分がΩだとわかり、一樹と一緒にいるためには発情期を迎える前にデビューをして、一緒にいる道を目指そうと一樹に言われた時から、次第に一樹の隣にいたい、そればかりを追いかけていたことに、璃玖はふと、気がついた。
(だから聖さんに、一樹のためにアイドルになりたがっているみたいだと指摘されても、違うとしっかり否定出来なかったんだ…)
だが、聖と出会い、自分自身が変わっていく楽しさ、誰かに見てもらいたい欲求、歌で思いを伝えたいという気持ちが、璃玖の中に自然と生まれ始めてていたことに、ハッと気がついた。
(もしかして、撮影の時と同じ…?聖さんは僕が自分が望んで、自分の力でデビューすることを目指すようにしている…?でもなんでそんなこと…)
「もしかして、気分でも悪い?」
「えっ…?」
居てもたってもいられず、璃玖は聖とすぐに話がしたいと立ち上がろうとしたところで、急に声をかけられた。
振り向くと、そこには背の高い、髪の長い大学生くらいの男がニコニコしながら立っていた。
「あっ、いえ…そういうわけじゃ…」
「じゃあ、悩みごと?話なら聞くよ」
「え、えっと…」
璃玖は初対面の男に親切にされて、なんと返事していいかわからず、対応に困ってしまう。
「俺、聖さんのバックダンサーなんだ。リハーサル中、君のことが下から見えて、気になったんだー」
満面な笑みを浮かべた男は、璃玖に話しかけながら、自然と璃玖の隣の席に腰かけた。
「そう…だったんですね。でも…その…時間を潰しているだけなので大丈夫です」
「ふーん…。あっそ…」
興味なさそうに返事をした男だったが、立ち去ることなく、そのまま足を組むと、璃玖の顔を何も言わず、じっと見つめてきた。
男の、まるで食い入るような視線に、璃玖は居心地の悪さを感じた。
「あの…。僕の顔に何かついてますか…?」
「んー。ポスターと現物は全然違うなーって…」
「…えっ?」
先ほど聖は、一樹と伊織に対して、ポスターに写っているのは璃玖だということは秘密だと話していたはずなのに、目の前の男は、まるで璃玖だと確信しているような口ぶりだったため、璃玖はつい驚いてしまう。
「話が違うっていうか、これじゃあ正直、守備範囲外なんだよねー…。まっ、いっか」
ブツブツと一人で呟いていた男は、急に璃玖の服の襟から手を差し入れると、璃玖のうなじをスッと撫で上げた。
「ひゃっ!な、なにを…」
璃玖は取り乱すが、すぐに立ち上がると、数歩後退り、男から距離をとった。
慌てた様子の璃玖に反して、男は落ち着いた様子で席に座ったままだったが、璃玖を見つめる男の目は、先ほどより熱があるような、璃玖の全身を上から下まで舐めるようなものに変わっていた。
「まあまあかな。ねえ君、Ωなの?」
「えっ…?」
内心動揺してしまうが、璃玖は動揺を隠すように、すぐに作り笑いを浮かべた。
「何、言っているんですか。そんなわけ、あるわけないじゃないですか」
「いいよー別に、俺に嘘つかなくて。でも、あの聖さんなら、もう番にしているって思ったけど…。よく考えてみれば、まだ発情期も来ていないお子様に、噛み跡はないよなー」
そう言われて、先ほど男にうなじを触られたのは、以前、天沢に見せてもらった番の証の噛み跡を確認したのだと、璃玖はやっと気がつた。
「あなたは一体…」
「でも、Ωじゃなくて、どうやってあの鉄壁の聖さんを落としたの?何も知りませんって顔しながら、実はすごいテク持っているとか?」
男は、にやけた顔で観客席から立ち上がると、まるで獲物を追い詰めるように、ゆっくりと璃玖に近づいてきた。
背筋に冷たいものが走った璃玖は、反射的に男から逃げようと走り出そうとするが、すぐに手首を掴まれ、捕まってしまう。
「逃げるなんてひどいなぁ。もう少し、ゆっくり話そうよ」
「離してください!」
男の手を振り払おうとすると、璃玖の細い手首は折れそうなほど強く掴まれて、璃玖は苦痛に顔を歪めた。
「いっ、痛っ…」
「いいね、いいね、その顔!ゾクゾクする。俺、君のこと気に入ったわ。さすが、聖さんと一樹を手玉にするだけあるな」
「…!どうして、一樹のこと…」
男の口から一樹の名前が出て、璃玖は思わず身体から力を抜いてしまうと、男はタイミングを見計らっていたかのように、璃玖の腕を引っ張り、自分に引き寄せた。
すると今度は、手首の代わりに璃玖の顎を掴むと、無理やり持ち上げ、自分の顔を見つめさせた。
「淫乱Ωを服従させるのって、ほんと、最高だよねー。あ、Ωじゃないんだっけ?まあ、どっちでもいいや。それより、聖さんのものって方がそそるかなー。今なら隼人さんの寝取り癖の気持ち、わかるかも」
男は自分の唇を湿らせるように、唇を舌で一周して舐めた。
その男の仕草に璃玖は鳥肌が立ちながらも、男を睨みつけた。
「僕と聖さんは、そういう関係じゃないです。いいかげん離して…んっ!」
すると、男は璃玖を黙らせるかのように、璃玖の口に指を三本無理やりねじ込んできた。
そして、まるで舌の代わりにキスで犯すかのように、璃玖の咥内で貪るように指を動かした。
璃玖は男の指に噛みつこうとするが、顎を指が食い込むほど男に掴まれていてびくともせず、次第に吐き気に涙を浮かばせ、むせ返ってしまう。
すると、男はやっと璃玖の咥内から指を引き抜き、顎から手を離すと、璃玖は力が抜け、その場に座り込んでしまった。
「げほっ…げほっ…」
「一樹ってさ、明日のために、すげぇ練習してたの知ってる?それがもし、不慮の事故で怪我でもして…立てなくなったら、どうする?」
璃玖は座り込んだまま男の顔を見上げると、口元は笑っていたが、目は笑っていなかった。
(この人…)
「とりあえず、場所、変えようか?」
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