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50.本当の罠
「一時待機…」
璃玖は男のスマホの画面に表示された文字を思わず読み上げると、男はもう一度スマホを自分の手元に戻し、操作を始めた。
「よく読めました。はい、送信っと。とりあえず、これで一樹の時間は延長出来たよ。でも、君がここから出て行ったり、助けを求めたら…わかるよね?」
(つまり、僕が抵抗すれば…いつでも一樹を突き落とせるってこと…なんだろうな…)
この男に、これから何を要求されるか、恐怖と不安で璃玖の胸は押し潰されそうで、思わず璃玖は胸に手を当てた。
それでも、なんとか一樹に降りかかる最悪の事態は免れたと安堵し、震えそうな足に力を入れ、ゆっくり立ち上がった。
そして、覚悟を決めたように目を瞑ると、ゆっくりと息を吐いて目を開け、男を真っすぐと見つめた。
「わかっています。僕は一切、逆らったり、抵抗なんかしないです。だから、一樹にはこれ以上手を出さないでください。元々、誤解を与えてしまった僕の行動が原因ですから…」
「いいね。頭のいい子は好きだよ。君と先に出会っていたら、おもしろかったのにね」
男は笑みを浮かべて璃玖の目を見つめたまま、指先で璃玖の唇に触れた。
ビクッと璃玖は身体を強張らせてしまい、目をそらしてしまったが、男の指先は、そのまま璃玖の上唇を右から左へと、まるで唇の形をなぞるように触れてきた。
「唇、震えているね。怖いの?」
男の言う通り、本当は恐怖でいっぱいで、今すぐ目の前にいる男から逃げ出して、璃玖は一樹のもとに駆け寄りたかった。
そして、自分のせいで危険な目にあわせてしまったと謝って、そのまま抱きつきたかった。
だが、そんな溢れ出しそうな気持ちを、璃玖はまるで蓋をするように抑えつけた。
男に指摘された唇の震えを止めるため、璃玖は奥歯をぐっと噛み締めると、もう一度、男を真っすぐ見つめた。
「怖くないです。だから早く、救済措置の内容を教えてください」
「強がっちゃって…。いいんだよ?一樹のことは捨てて、今から逃げ出しても」
「僕は逃げないです…。絶対に…。だから…早く教えてください」
璃玖の頭の中は、一樹を助けたいという気持ち、だだそれだけでいっぱいになっていた。
「ふーん…。それじゃあ、とりあえず、その机の上に座って。それから、俺に向かって自分で服を捲って、誘うように『Ωの僕を犯してください』って言ってくれない?」
(Ωの…。犯してくださいって…僕から…。ということは僕はこの人に…)
言葉の続きを想像をすると、璃玖は唇だけでなく、歯までカチカチと音を立て震えそうになった。
(やだ…、やだよ…。だって僕は…)
目の前が暗くなり、気が遠くなりそうになるが、璃玖は拳に力を込めて、これ以上は何も考えないようにした。
そして、そのまま頭の中を空にして、ただ、男の言葉に従うだけにした。
「分かり…ました…」
(僕が招いた結果だ…。僕がなんとかしないと…)
璃玖は俯きながら、中央に設置された机に向かって歩きだそうとする。
「そんなに気を落とさなくていいよ。君を犯す気は俺にはないから。俺、普通のセックスじゃ興奮しないから」
「えっ…?」
思わず振り向いてしまいかけた璃玖の肩を、男は背中から片手で掴むと、そのまま璃玖の耳元でそっと囁いてきた。
「俺ってさぁ、番のいるΩを犯すのが趣味なの」
「…趣味…?」
「そう、趣味。まず、Ωってさぁ、二通りいるんだよねー。Ωってことを受け入れているやつと、そうじゃない奴」
男に背を向けていたため、璃玖は男の顔を見ることは出来なかったが、男の、自分の唇を舐める仕草をしたような音が耳に入り、璃玖の背中に悪寒が走った。
「そこで、Ωってことを受け入れていない奴に、自分は性欲処理のために生まれた下等生物だって、理解させてあげるんだ。優しいだろ?」
(Ωは性欲処理…下等生物…)
悪びれもなく、むしろ笑みを感じるΩを蔑む言葉は、璃玖の心をまるでナイフで抉るように深く傷つけた。
以前、自分がΩだとわかった時に、璃玖はΩを劣等種だと口に出してしまったことがあった。
その時、父に頬を叩かれ、その考えは人を苦しめ、自分も傷つけると言われたが、父の言う通りだったと璃玖は思い知った。
(Ωはやっぱり…毒でしかないんだ)
俯き気味の璃玖の様子には全く気づかない様子で、そのまま男は璃玖の耳元で楽しそうに囁き続ける。
「それも、拒絶反応を押さえつけながらするのが、また最高でさ…」
(…。それじゃあ、この人は…。番のいるΩに無理やりしたことがあるってこと?)
αとΩは番になることによって、Ωの発情期フェロモンは番にのみ有効となる。
その代わり、番をもったΩは、番以外のαとの性行為には激しい拒絶反応が現れると、璃玖も学校で習ってはいた。
ただ、どんな拒絶反応が現れるかまでは知る由もなかったが、この男の口ぶりでは、想像を絶するもののように思え、襲われたΩのことを想像してしまい、璃玖は吐き気を覚えた。
(この人…本当に最低だ…)
今すぐ、肩に置かれた男の手を払いのけたかったが、璃玖には黙って耐えることしか出来なかった。
「だから、君が聖さんの番じゃなくて、本当に残念だったんだよ。ポスターに噛み跡がなかったのは、てっきり修正でもしているのかと思って期待していたのにさぁ。でも、さっきの苦しむ時の表情と、俺に縋りつく姿はグッときたね」
「っく…」
こんな最低な男の言うことに従わなくてはいけないことへ、璃玖は屈辱を覚えるが、一樹を助けるためには仕方がないと、自分にもう一度言い聞かせた。
「それじゃあ、そろそろ、その机の上に座ってくれるかな」
「…」
男が指差した中央に設置された長机まで、璃玖は頷くことなく黙ったまま向かうと、そのまま机に飛び乗り、腰かけた。
すると、男は再び璃玖に近づき、璃玖の顎を片手で掴んで自分の顔に向かせた。
掴まれた顎の感触から、観客席での口内に指をねじ込まれた感覚が呼び起こされるが、璃玖は気持ちで負けないよう、黙って男を見つめた。
「いいね、その反抗的だけど憂いに満ちた目…。すっごくお似合いだよ。Ωじゃないのが本当に残念」
璃玖の瞳を覗き込むように凝視する男の目に、璃玖は寒気を覚え鳥肌が立ち、思わず視線を背けた。
「あー、ごめん、ごめん。そんな顔しないで。ほら、安心しなよ。俺はこれから一切、君には触れないから。こんなに離れてあげるし」
そう言った男は、璃玖の顎から手を離すと、元居た入口ドアの方まで歩いていき、壁に背を寄りかからせた。
すると、たしかに璃玖と男の距離は二メートルほど離れたが、璃玖をじっと見つめる男の視線は変わらないものだった。
「しっかし、ちょっとそのままだと色気が足りないなぁ…。そうだ、片足…そっちの足を机に乗せて、それから足開いてよ」
ふと男は、カーテンが風でなびいたのか、視線をカーテンの方に落とすが、すぐに璃玖を見つめなおして、璃玖の右足を指差した。
「わかり…ました…」
言われた通り、璃玖は右足を机の上に乗せると、そのままゆっくりと足を軽く開いた。
スターチャートのレッスン着の短パンを履いていた璃玖は、机に足を乗せたため、素肌が太ももの半分ほどまで露出され、璃玖の白くてきめ細かい肌が余計に露わになった。
(一樹…)
璃玖はもう、男の視線や羞恥心に耐えられず目を瞑ると、頭の中で必死に一樹のことを思い浮かべた。
「そうそう。いい子、いい子。それじゃあ、そのまま服めくって」
男の言葉に従うため、璃玖はパーカーとTシャツの裾を一緒に掴むと、おへそが見えるくらいまで捲り上げた。
「へぇー、そこも肌白いねぁ。あのポスター通り、本当にどこも肌が綺麗だ。ほら、そのまま焦らすようにゆっくり持ち上げて、乳首までちゃんと見せてよ」
(一樹…一樹…)
男ではなく、一樹に言われていると思い込みながら、璃玖はもう少しだけ服を捲り上げ、自分から胸の突起を見せるようにした。
「ふっ、小さくて赤いんだねー。かっわいいー」
口笛を吹き、揶揄うような男の声に、璃玖は閉じた瞼に力を込め、唇を噛み締めてそのまま羞恥に耐えた。
「ほら…。そろそろ、こっち向いて、俺に向かって言ってよ。Ωらしく誘うようにさ…。そしたら、君も解放されて、一樹も助かるよ」
(一樹…)
璃玖のことを必死に好きだと伝えてくれた時の一樹の顔を、目の裏に焼き付けるようにして思い浮かべてから、残像を残すよう、璃玖はゆっくりと目を開けた。
そして、深く息を吐いてから男を見つめると、絞り出すような震えた声で璃玖は言った。
「Ωの僕を…犯してください」
なんとか言い切った璃玖は、そのまま男を見つめるが、男は無言で反応のないまま沈黙が続いた。
だが数秒の沈黙後、男は急に吹き出して笑い始めた。
「ふっ…!あっはっは!本当にいい子だねー、璃玖君は。あーあ、可哀そうに…」
「えっ…どうして僕の名前…?」
璃玖は男に名乗った覚えもなく、急変した男の様子に、次第になんとも言えない不安に襲われていった。
「ほら、これで満足だろ?ったく、こんな純粋な子をいじめるなんて、俺にはとても出来ないよ」
「えっ…?」
誰もいないはずの、部屋を仕切っているカーテンに向かって男が話しかけると、急にカーテンが開かれ、立っていた人物に璃玖は驚愕した。
「伊織…君…」
そこに立っていたのは、片手にスマホを持った伊織だった。
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