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51.伊織の企み

「お疲れ様、神山。お前ってΩだったんだねー。僕、知らなかったよ」 不敵な笑みを浮かべた伊織が、スマホを握ったまま部屋を仕切っていたカーテンから出てくると、璃玖に近づいていった。 そのまま、状況が掴めず放心状態の璃玖の胸ぐらを、伊織は片手で掴んで強く押し込み、璃玖を机に押し付けるように勢いよく倒した。 「痛っ…」 力が入っていなかった璃玖の体は、机に背と頭を打ち付けてしまい、璃玖は苦痛で顔を歪ませた。 そんな璃玖の様子を、さきほど浮かべていた不敵な笑みが嘘のように、伊織は冷ややかに、まるで害虫を見るかのように璃玖を見下した。 「伊織…君」 伊織のその目から、璃玖は今までとは比べ物にならない自分に対する嫌悪を感じとった。 「本当に僕の邪魔ばっかしてくれるよね、神山ってさ」 璃玖の胸ぐらを掴む伊織の手に力が込められる。 「僕、そんな…伊織君の邪魔なんて…」 「してないって?なにそれ?僕なんて眼中にもないってこと?」 「そういう意味じゃ…。たしかに、一樹とデビューしたいと思うことが伊織君の邪魔になったかもしれないけど…。でも、僕も譲れないんだ。一樹の隣にいたいんだ」 璃玖は、伊織が自分に向ける冷たい目をまっすぐ見て、正直に気持ちを伝えた。 こんな状況でも屈託のない璃玖に対して、伊織は呆れたように溜め息をついた。 「…。神山さぁ…消えてよ。お前は一樹の隣に相応しくない。だって、ほらさっき自分で言ったじゃないか、自分はΩだって」 「あれは…。でも、例え僕がΩだったとしても、伊織君には一樹を絶対渡さない。一樹に嘘を言う人なんかに、絶対渡さない」 Ωでないと否定するのは簡単だったが、璃玖は伊織に嘘はつきたくなかった。 それは、伊織が一樹に、璃玖が一樹以外に関係をもっている人がいると嘘をついたことへの対抗心だった。 「ふん、たしかにレッスンルームで見たっていう嘘はついたよ。でも、聖さんは誑かしたのは本当だろ?お前なんかがあの人に、僕以上に評価されるわけがないんだ。だいたい、僕には証拠があるしね」 璃玖の胸ぐらを掴んでいた手を離した伊織は、握っていたスマホで何やら操作を始めると、璃玖の顔の前に画面を差し出し、動画を再生し始めた。 (まさか…) 璃玖の予想は非情にも当たってしまい、画面に映し出された動画は、さきほどのやりとりのものだった。 数秒ほどの短い動画には、璃玖が服を捲り足を開いて、男に言われた言葉を言った部分だけが撮影されていた。 まるで、こうなることがすべて計算されていたかのように、男の姿や声も入っておらず、誰が撮影したのか、誰に向かって璃玖が言っているのかも分からないようになっていた。 (偶然…?違う…。全部…仕組まれていたんだ…) 動画は誰が見ても、璃玖がΩとして誰かを誘っているようにしか見えようになっていた。 「よく撮れているでしょ?僕、天才かも。さてと、これでわかった?自分が置かれている状況が。Ωで、身体使っているなんて知られたら…どうなっちゃうのかなー?」 「じゃ、じゃあ、一樹のことも…嘘?一樹は無事なの?」 上体を起き上がらせた璃玖は、伊織に必死に問いかける。 「な、なんだよ急に。突き落とすって話のこと?そんなの、お前を呼び出す嘘に決まっているじゃん。僕が一樹を危ない目に合わせるわけないでしょ。きっと一樹なら、今頃、控室で自主練でもしているよ」 「…よかった…」 一樹に危害が加わっていないことがわかり、璃玖は心から安堵したように、胸をなでおろし、笑みを浮かべた。 自分の心配より一樹の心配をする璃玖に、伊織はなんだか負けたような、また馬鹿にされていると感じ、沸々と怒りが沸いてきた。 「なに、その顔…。神山、自分の置かれている状況わかっているの?一樹より、自分の心配したらどうなの?」 「僕はどうなってもいいし、構わない…。でも一樹は…一樹だけは巻き込みたくなかったから…」 「…っ!なんだよ、それ!それで僕に勝ったつもり?馬鹿にするのもいい加減にしろよ!」 伊織は怒りで声を荒げると、璃玖の頬を思いっきり平手で叩いた。 「痛っ…」 伊織に叩かれた頬は熱を持ったように熱くなり、鈍い痛みを感じた璃玖は頬に手を当てた。 「お前はそうやって、僕のことを馬鹿にする!その上、僕の欲しいものを全部持っていこうとしている!一樹も、明日のステージも、僕が今までどれだけのものを失って、それでも頑張ってきたか…。それなのに!神山は全部奪っていこうとする!お前より僕が劣るわけないのに!僕がデビューするには、一樹が絶対必要なんだ!」 感情を爆発させて言葉をぶつける伊織と違い、璃玖は冷静なまま伊織の目を見つめた。 「それって、伊織君はデビューすることが目的で、一樹とデビューするのが夢、じゃないってことだよね?」 「は?何言って…っつ!」 伊織は璃玖に指摘され、後から自分の言葉の本当の意味に驚いたような顔をしたが、すぐに誤魔化すように引き攣った笑みを浮かべた。 「そんなわけないだろ。僕はずっと一樹とやってきたんだ。一樹とデビューしたいんだ」 「ごめん。やっぱり伊織君に一樹は渡せない。僕は一樹とデビューしたいんだ。他の誰でもない、僕には一樹じゃないと駄目なんだ」 璃玖は真剣な顔で、まっすぐ思いを伝えた。 「なにそれ…?そんなこと言って、どうせ一樹だって、その身体使って誑かしたんだろ?じゃなきゃ、お前みたいな格下と一樹が組もうなんて思うわけがない。聖さんのことだってそうだ。特別レッスンを見学していただけのお前が、どうして聖さんの世話係になって、ポスターに写って、明日のステージに立つんだよ?説明してみろよ」 「それは…」 正直にすべてを話そうとすると、自分がΩだということや、聖と相良のことも話さなければならず、璃玖は言葉に詰まってしまう。 「ほら、説明できないだろ。お前のやったことはΩ以下なんだよ。消えてよ。明日のコンサートが終わるまで」 「そんなことできるわけ…」 「神山に選択権なんかないよ。さっきの動画を、一樹に送られたくなければ…ね。可哀そうな一樹。せっかく僕の嘘より、お前なんかを信じようとしたのに…。こんなもの見せられたら…きっと傷つくだろうね」 「…」 「なぁー、その話って、いつまで続くのー?俺、そろそろ飽きてきたよ」 男は伊織に擦り寄るように、伊織の脇腹から腕を回し、伊織を後ろから抱きしめると、伊織の肩に甘えるように顎を置いた。 「ちょっと、邪魔しないでくださいよ、不破さん。僕は今、大事な話を…」 伊織は不破の腕の中から逃げ出そうと、身体を捩じらせるが、不破はより腕に力を込めた。 「あー、俺の名前言っちゃった。内緒だって言ったのに」 「もう、いいじゃないですか。ほら、動画にも入っていないんだし」 差し出されたスマホを不破は片手で受け取ると、伊織を抱きしめたまま動画の中身を確認した。 「たしかに。しかし、よく撮れているねー。たしかにこれじゃあ、璃玖君が誘っているようにしか見えないわ。よく、こんなこと思いついたよねーお姫様」 「おかげさまで」 伊織は笑みを浮かべて、不破の頬をまるで犬を褒めるように指先で軽く撫で上げた。 「でも、これってさぁ…」 伊織の耳元で、璃玖に聞こえないくらい小さな声で、不敵な笑みを浮かべた不破は囁いた。

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