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55.嘘

(ごめんなさい、聖さん。そして相良先生…。僕はこれから、最低な嘘をつきます) 璃玖はこれからつく嘘への罪悪感から、心の中で聖と相良に謝罪の言葉を呟いた。 だが、そんな罪悪感以上に、一樹を傷つけると分かりきっている嘘をつくことに、璃玖の胸は今まで以上に締め付けられ、次第に鼓動が早くなった。 心臓の音がまるで耳鳴りのように体中に響いている気がする中、璃玖は決して一樹に分からないように、気持ちを落ち着かせるため、小さく溜め息をついてから話を切り出した。 「僕、一樹を傷つけたくなくて…。ううん、僕が悪者になりたくなくて嘘をついていた。だから…今度はちゃんと本当のことを言うね」 自分の肩から退かすために掴んでいた一樹の手を、璃玖は優しく一樹の元に戻した。 「璃玖…」 今まで以上に真剣な璃玖の顔つきに、一樹はやっと真実が聞けると期待する反面、何を話されるのかと、不安で思わず息を吞んだ。 「…ねえ、一樹。なんで初対面の聖さんが、僕を急に連れ出したか疑問だったよね?それに、なんで僕がこんなに必死に秘密にしているかって」 璃玖は、これからつく嘘に信憑性を持たせるため、今までの出来事の裏側の真実を話すように嘘をつき始めた。 「それは…。たしかに不思議だったけど…」 「実は…。僕と聖さん…。運命の番なんだ」 「えっ…」 璃玖の口から飛び出した運命の番という言葉に、一樹は目を見開き、瞬きもせず、驚いた様子で固まってしまった。 聖が苦しむ原因になった運命の番のことを、一樹を騙すことに利用するのは、璃玖自身いけないことだとは十分理解していた。 だが、今の璃玖にはもう、他に一樹に諦めてもらう方法が思いつかなかった。 「一樹もαなら、運命の番がどんなものかは知っているよね?だから…聖さんのスキャンダルになっちゃうかもしれなかったから、黙っていたんだ」 「璃玖と聖さんが運命の…番…。そんな…」 璃玖自身、運命の番については空想上の産物ぐらいにしか思っていなかったため、相良や聖の話から聞いたぐらいの知識しかなく、実際どれほどの効力があるのかまでは分からなかった。 だが、一樹は明らかに運命の番について詳しく知っているようで、璃玖が予想した以上に、聖と璃玖が運命の番だったことにショックを受けた様子だった。 そのまま呆然としていた一樹だったが、ふと我に戻って「まさか…」と呟くと、隣に座っていた璃玖の首元を慌てた様子で覗き込んだ。 「わっ!何?!」 「よかった。まだか…。そっか、そうだよな」 いきなり首元を覗き込まれ驚く璃玖をよそに一人で納得する一樹に、璃玖は観客席での不破の行動と重なり、すぐに番の噛み跡の所在を確認したのだと理解した。 「噛み跡のこと?そんなもの、あるわけないよ。だって、発情期はまだだし」 「じゃあ…」 「でも…。一樹にあんなことされた日…僕は、聖さんを受け入れたよ」 噛み跡がなく、まだ璃玖と聖が番になっていないと安堵を浮かべた一樹に、璃玖は一樹が負い目を感じている出来事に、あえて追い打ちをかけるように、そのまま嘘を重ねた。 「受け入れたって…。まさか…!」 「した…ってことだよ。といっても、やっぱり発情期がきてないから、番になることはなかったけど。でも…あの時、一樹に対してとは明らかに違ったんだ。僕の中のΩの求め方が」 「Ωの…求め方…」 「そう。でも、最後にもう一度だけ、僕も確かめたかったんだ。僕は一樹と聖さん、本当はどちらを選ぶべきかって。だからさっき、一樹にキスをしたんだ。それで…はっきり分かったんだ」 「分かったって…何が…?」 「僕、一樹にキスをしても、何も…思わなかったんだ。もう、聖さんを知った僕は、一樹じゃ…無理なんだろうね」 「…!」 「だから、悪いんだけど番の約束自体、なかったことにして欲しい。勝手だってことはわかっている。でも、元々そういう約束だったでしょ。どちらかに他に好きな人が出来たら、番の約束は破棄だって」 「ちょっと待てよ、璃玖…。じゃあ、俺に落とした…あの涙はなんだったんだよ…」 寝ている一樹に璃玖が唇を重ねた時、一樹は寝たふりをしていただけで本当は目が覚めていた。 璃玖にあんな酷いことをして、簡単には許してもらえないだろうと思っていた一樹は、璃玖からしてくれたことが嬉しく、頬に落とされた涙が気になりつつも、そのまま離れていこうとする璃玖を追いかけることに夢中になってしまい、涙の理由を尋ねることを忘れてしまっていた。 だが、何も思わなかったという璃玖が涙を流したことに納得いかず、何か隠しているのではと、一樹は璃玖を追及する。 「あれは…。僕も少なからず、ショックだったんだよ。こんなにも短い期間で、簡単に心が離れるなんて思わなかったから…」 「あれは本当にそういう意味の涙だったのか?なあ…他に理由があるんじゃないのか?」 必死に問いかける一樹に、璃玖は首をそっと横に振った。 「他に理由なんてない。それに、もう、遅いんだ…。僕の中で、はっきり分かったんだ。僕の番は一樹じゃない…。聖さんだって!」 「…っ!」 はっきりと言い切る璃玖に、話を受け入れきれないといった様子の一樹は、璃玖から顔を背けた。 そのまま黙り続ける一樹に、璃玖は少し笑いを交えながら話し始めた。 「一樹といるとさ…疲れるんだよね。Ωってことを、引け目として余計気にしなきゃいけなくて。惨めで…苦くて、息が詰まりそうになっていたんだ」 冗談を言うように笑いながら話されたが、心配していたことが現実になっていたことに一樹はショック受け、思わず息を飲み込んだ。 (ごめん、一樹。ひどい言葉をぶつけて…。たしかにそう思ったこともある。けど、一樹がいたから、僕はΩだってことを受け入れて頑張っていこうと思えた。これからずっと、一緒にいられるようにって…) 璃玖は本当の気持ちを隠すように、顔を背けたままの一樹に対して、今度は満面の笑みを浮かべた。 「でも、聖さんは運命だから、今すごく安心できて幸せなんだ。僕のすべてを曝け出しても、決して離れない。ううん、離れることが出来ないんだ。それってすごい安心だと思わない?」 「やめてくれ、璃玖!」 璃玖の言葉に耐えきれなくなった一樹は、きっと、璃玖は今も泣きそうな顔でこんな嘘をついているのだと、どこかで淡い期待をしつつ、璃玖の顔を見た。 だが、一樹の期待は外れ、璃玖は幸せそうに満面の笑みを浮かべていた。 「璃玖…」 それでもまだ、璃玖の浮かべた笑み自体も嘘だと思いたい一樹は、璃玖の顔に触れようと、ゆっくりと手を伸ばした。 「一樹…。僕にはもう、これ以上触らないで。僕は…聖さんのものだ」 「…!」 笑みは消え、真剣な顔で睨むように璃玖に言われた一樹は、伸ばしかけた手を引っ込めると、その手を見つめたまま俯いた。 「病院の…。あの時、一樹が僕を信じてくれていたら…違っていたのかもしれないね」 「…璃玖…」 一樹は顔を上げるが、璃玖の表情は真剣なまま変わっていなかった。 「でも、もう遅い。僕は聖さんのものだ」 「…!」 「運命の番だって教えてもらっても、僕はやっぱり一樹に…少しでも追いつきたくて…。それで聖さんの下で勉強しようと思って、ついていったんだ。でも…こうなるなんてね」 「じゃあ、なんで…。なんで、あの時、ちゃんと理由を話してくれなかったんだよ!」 一樹は悔しそうに唇を噛み締める。 「言ったとしても…。あの時の一樹は、きっと僕の言葉なんて信じなかったっと思うよ…」 「…!」 璃玖に冷たく言われたが、璃玖の言う通り、病院でのことは頭に血が上っていて、きっと璃玖の話に聞く耳を持たなかっただろうと、一樹はあの時のことを思い出し自分が情けなくなった。 「聖さんに曲を作ったのは、勉強のお礼だったんだ。だからここ数日、ずっと聖さんの近くで過ごしたんだ。聖さんを知って、聖さんだけの曲を作るために…」 「…」 「そして、完成した。そうしたら僕は恋人としてだけじゃなく、聖さんの力になることも認めてもらえた。だから、スターチャートを辞める。聖さんは元々忙しい人だから、僕とはずっと一緒にはいられない。でも、だからこそ、これからは聖さんのために曲を作って、それだけで生きていくって決めたんだ」 「そんな決意をするほど聖さんのこと…。一体いつから…」 「どうだろう…。もしかしたら初めて会った朝練の時からかもしれないけど、一樹に傷つけられた僕を優しく包んでくれた時から…かな。でも、いつからでも一緒だと思うよ。だって、運命には…逆らえないんだから」 先ほどまでの苦しい嘘とは違い、これまでの話は、今までの璃玖の不可解な行動の意味がすべて納得できる話だった。 だが、それでもまだ璃玖の話を、一樹は信じきれなかった。 璃玖の話は何があっても信じようと決めていた自分が、今、疑っていることに矛盾を感じてはいたが、一樹はどうしても信じたくはなかった。 一樹は最後の希望を託すように真剣な目で璃玖の目をじっと見つめ、璃玖に問いかけた。 「…なあ、璃玖。これが最後の質問にする。璃玖は本当に聖さんのことが好きなのか?運命の番だからじゃなくて、本当に聖さん自身のことが好きなのか…?」 真剣な目をする一樹に対して、璃玖は覚悟を決め、そっと笑みを浮かべた。 「好きだよ。僕の全部を捨てられるくらい、好きだ」 一樹の目から逸らすことなく、璃玖ははっきりと言い切った。 その言葉は、一樹には聖に対して言っているように聞こえたが、本当は璃玖が今まで溢れそうになりながらも、我慢して溜め込んでずっと言えずにいた、一樹への気持ちだった。 (ずっと…。ずっと一樹に言いたかった。これからもずっと好きだ…。だから…一樹のためなら僕はどんな嘘でもつけるし、なんでも出来る) 璃玖の告白の言葉を聞いて、一樹は諦めたかのように、深い溜め息をついた。 「…そっか…。俺じゃもう…ダメ…なんだな。敵わないんだな…」 「…ごめんね」 「謝るなよ…。惨めになる…」 一樹はまた顔を背けると、そのまましばし無言が続いた。 璃玖はこれ以上何を話しかけていいかわからず、そのまま黙っていると、ふと、パーカーのポケットから振動を感じた。

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