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56.ずっと…
(とうとう来た…のかな…)
スターチャートからの連絡かと思い、璃玖は胸の鼓動が早まるが、とりあえず誰からの連絡か確認しようと、ポケットからそっとスマホを取り出す。
しかし、振動していたのは璃玖のものではなく、不破から預かった一樹のスマホだった。
画面には伊織の名前が表示されており、別の意味で璃玖の心がざわついた。
(伊織君から…。いや、気にしてもしょうがない。もう…僕には関係…ううん、気にする権利もないんだ)
璃玖が自分に言い聞かせているうちに、着信は切れてしまったが、不破から受け取ったとは言えない一樹のスマホを、璃玖は何食わぬ顔で顔を背けたままの一樹に差し出した。
「伊織君から電話だったけど、切れちゃったみたい。これ、一樹のだよね?その辺で拾った時は驚いたよ。ほら、大事にしないと」
差し出されたスマホに一樹は視線を落とすと、溜め息をつき、呆れた様子で笑みを浮かべた。
「俺さ、璃玖に会って話がしたいって、それだけに必死になっていたから…。スマホ失くしたこと、気付いてはいたんだけど、後回しにしてたんだ。本当に俺って、璃玖に対して必死で…余裕がないよな。きっと、こういうところが璃玖に嫌われた原因なのかもな」
(嫌いになんてなってない…。そんな一樹だから僕は…)
その言葉の続きは、ぐっと抑え込み、璃玖は冗談っぽく笑いながら答えた。
「そうかもね」
一樹は一瞬、傷ついたように顔を引き攣らせたが、黙って璃玖の顔を見つめた後、ゆっくりと口を開いた。
「二年後…。俺は璃玖の口から好きって言葉が聞けるって、そう思って信じてた…。俺は…璃玖が、ずっと好きだった…」
そう呟いて俯きぎみに黙ってしまった一樹の横顔は、今にも泣きだしそうだった。
今まで見たことのない一樹の表情に、璃玖は思わず目を奪われてしまう。
「いつ…き…」
璃玖はつい我を忘れて、表情を取り繕うのを忘れたまま一樹の名前を呼んでしまった。
「り…く…」
(あっ…!)
璃玖の顔を横目で見た一樹が驚いたような顔をしたため、璃玖は慌てて否定しようとする。
「ちがっ…これは…!」
「璃玖…っ!」
スマホを差し出していた璃玖の手を一樹は掴むと、勢いよく引っ張った。
そして、璃玖を引き寄せると、力いっぱい強く抱きしめた。
一樹の抱きしめてくる力は、腕に痛いほど食い込むほどで、璃玖は思わず身を任せて身体から力が抜けそうになる。
だが、今までついた嘘が全て意味がなくなってしまうと気付き、すぐに身体を捩じって抵抗した。
「離して、一樹。僕は…」
「なんで…。なんで、お前がそんな辛そうな…泣きそうな顔するんだよ…」
「べつに、そんな顔して…」
「してたよ…。一体なんなんだよ…。璃玖っ…。璃玖…」
悲痛な叫びのように一樹に何度も名前を呼ばれると、その声は璃玖の心に深く突き刺さり、璃玖の胸はひどく痛んだ。
(一樹…)
璃玖はそのまま、言葉が出てこなくなってしまった。
そうでもしないと、また目から涙が溢れそうだったからだ。
「璃玖っ…。璃玖…」
一樹は璃玖の名前を呼ぶたびに、腕の力をこめていった。
(やめて、やめてよ一樹。これ以上は…)
必死に涙を堪え続ける璃玖は、さきほどより強く身体を捩じって抵抗するが、一樹は絶対に逃がさないと言わんばかりに、さらに璃玖を強く抱きしめた。
もう、本当のことをすべて話してしまおうかという考えが、一瞬璃玖の頭を掠めるが、そんなことをしても自分はそばにいられないのだから意味がないと、改めてもう一度気付き、璃玖はすぐに思いとどまった。
「一樹、離して。さっき言った通り僕は…」
「聖さんのものだって?わかってるよ!でも、俺は…。俺は、璃玖が好きだ。だから、これからも好きでい続けるから!たとえ、璃玖が聖さんと番になっても、ずっと!」
(好きでい続ける…?ずっと…?)
璃玖はその言葉に、思わず胸を打たれる。
だが、心の中で首を振って、何度もそれでは駄目だと自分に言い聞かせた。
「お願いだから、そんな無駄なことやめてよ。言ったでしょ、僕は聖さんと運命の番なんだから」
「嫌だ…。俺、こんなに璃玖のことが好きなのに、なんでだよ…。なんで俺のそばにいてくれないんだよ…。なんで…そんな辛そうな顔、俺にしたんだよ…」
璃玖を抱きしめる力が一瞬弱められ、少し身体を離されると、一樹の顔が璃玖に近づいてきた。
キスをされると思った璃玖は、思わず顔を背け、近づいてくる一樹の唇を手で覆うように抑えた。
「璃玖…」
「ごめん。一樹とは、もうキスできない。僕は、聖さんが好きなんだ。一樹じゃ…ダメなんだ」
「…そっか…」
璃玖の言葉に冷静さを取り戻したのか、一樹は璃玖の身体を解放するように身体を離した。
「…。そっか、そうだよな…。ごめん。あーあ、さっきのキスが最後なら、もっとしておけばよかったかなー」
いつもの冗談を言うように話す一樹の様子は、まるで強がっているように見え、璃玖はさらに胸を締め付けられた。
だが、必死に今度は悟られないよう、作った笑みを浮かべ、一樹を黙って見つめた。
(僕は絶対忘れない。番の約束をした最後のキスのように、一樹のキスも抱きしめてくれた感触、身体に感じた体温も…全部。ずっと、一樹を好きでい続けて、一樹の思い出だけで生きていく。さよなら…一樹)
璃玖は改めて、一樹にスマホを差し出す。
「ほら。今度こそ、ちゃんと受け取ってよ」
「ん、サンキューな」
璃玖からスマホ受け取った一樹は、一瞬なにか考えたような顔をしたかと思うと、そのままスッと立ち上がった。
一樹が立ち去ることを予感した璃玖は、これが最後になると思い、本当は伝えたかった気持ちを抑え込み、満面の笑みを浮かべた。
「頑張ってね。明日も、これからも。応援しているから」
「ああ…」
一樹も笑い返すと、そのまま階段に向かって璃玖に背を向けて歩き出すが、すぐに足を止めた。
そして、パッと振り返ると、座ったままの璃玖を真剣な顔で黙って見つめた。
「一樹?」
「なあ、璃玖…。悪いけど、俺は絶対に諦めないから」
「えっ…?」
「今はたしかに聖さんに何一つ敵わない…。でも、二年後…璃玖が発情期を迎える時、必ず璃玖の前に戻ってきて、もう一度告白する。璃玖とデビューして、番になるために」
「なに言って…」
「璃玖と番になるのは俺だ」
まるで言い捨てるように宣言した一樹は踵を返すと、そのまま階段に向かって急に歩き出してしまう。
このままでは、今までついた嘘が何の意味がないと焦った璃玖は、一樹を呼び止めるため、急いで右足を庇いつつ立ち上がると、一樹を追いかけ、腕を掴んだ。
「待ってよ!何、勝手に言い捨てて、どっか行こうとしているの!二年後?!そんなの無理だからね。僕は聖さんと番になるって何度も言っているよね!」
「俺が好きでい続けるのは勝手だろ!」
「やめてよ。二年たっても何も変わらないよ!お願いだから、僕のことは諦めてよ。忘れてよ!!」
「忘れられるかよ!だから、俺は運命を変えてみせる。でも、今は何をしても無駄なことはよくわかった。だから二年後、もう一度璃玖の前に戻ってきて、俺を好きにさせてみせる」
「いいかげんにしてよ!そんなこと無駄だから!」
今度は階段を降りようとする一樹に、璃玖は必死に一樹の腕を何度も引っ張った。
「無駄かなんてわからなし、俺の勝手だろ!璃玖には関係ない!離せよ!!」
一樹は掴まれていた腕を璃玖が離すよう、身体を捩じって腕を振り払った。
すると、思わず痛めていた右足に璃玖は体重をかけてしまい、踊り場からバランスを崩してしまった。
「あっ…」
「えっ!璃玖…!」
璃玖の足のケガに気づいておらず、振り払っただけで、バランスを崩すとは思っていなかった一樹は、階段に向かって倒れそうになる璃玖の手を掴もうとする。
だが、延ばされた手はあと一歩のところで璃玖の手を掴むことが出来ず、璃玖の身体は急勾配の階段に背中から向かっていってしまった。
「…!!」
空気だけを掴んだ手の先で、璃玖が一瞬、一樹に何かを呟き笑ったように見えたが、一樹には聞き取ることが出来なかった。
璃玖はそのまま階段へ勢いよく背中を打ち付けると、音を立てて転がり落ちていった。
「り…く…」
何が起こったのか理解が追いつかなかった一樹には、璃玖が階段を落ちる姿は、まるで現実味のない、スローモーション映像のように目に写った。
だが、最下段まで転がり落ち、ぐったりと動かない璃玖を踊り場から見下ろした一樹は、すぐに現実に引き戻され、慌てて階段を駆け下りた。
「璃玖!璃玖!」
階段を下りている間も一樹は必死に璃玖の名前を何度も叫び続けた。
(一樹…)
一樹の声と階段を下りる音が近づいてくるように璃玖は感じたが、それは不思議と、次第に遠のいていくように感じ始めた。
(いつ…き…)
璃玖は一樹の名前を呼ぶため、声を出そうとする。
だが、口はおろか、唇を動かすことさえも出来なかった。
それは、全身に感じる右足の痛みとは比べ物にならない痛みのせいだと璃玖が気が付いた時には、そのまま意識が遠のいていく感覚に、ただ、身を任せることしか璃玖には出来なかった。
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