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58.ごめんの意味

「聖さん、大事な話って…」 「ここで話すわけにはいかないから、黙ってついてきて」 一樹の問いかけに、聖は足を止め振り返ることなく、控室が並ぶエリアの廊下を黙って歩き続けた。 その後ろを追いかけるようについて歩いていた一樹だったが、急に思い立ったように足を止めた。 「やっぱり、俺、璃玖のことが気になって…。俺、今から病院に行ってきます!」 今度は聖も足を止め振り返るが、聖は一樹に対して、まるで呆れたような冷たい目を向けた。 「行くのは勝手だけど、今、一樹君が行って何か出来るの?」 「それは…。でも、璃玖の傍にいてやりたいんです。だって、俺のせいであんなことに…。それも足に怪我まで…。俺、一体どうしたら…」 声を掛け続けるぐらいしか出来ないと一樹自身も分かってはいたが、一樹はもう、居てもたってもいられない気持ちだった。 そんな一樹に対して、聖は深い溜め息をついた。 「いてやりたい、ね…。いいかげん、君の自己満足に璃玖君を付き合わせるのは、止めてあげてくれる?」 「えっ…?」 聖の言っている意味がわからないといった様子の一樹に、聖はもう一度、深い溜め息をついた。 「もしかして、さっきみたいに声を掛けてあげたいって?それって、目を覚ました時の璃玖君の気持ちまで、ちゃんと考えて言っているの?」 「傍にいたいと思うのは俺の自由じゃないですか!それとも、聖さんは俺に璃玖を会わせたくないっていうんですか?そんなに余裕ないんですか?」 まるで挑発するかのように言う一樹に、聖は呆れたように肩を竦めた。 そして、いつも通り冷静に諭すような口調で一樹に答えた。 「そうじゃないよ。一樹君が今から璃玖君の所へ行くってことは、リハーサルに参加しないし、明日も出演しないってことだよね?自分の出番よりも璃玖君を優先させるかは、たしかに一樹君の自由だ。でも、そんなことをして璃玖君が喜ぶと思う?」 聖に指摘され、一樹はハッとした。 璃玖の性格上、そんなことをすれば自身を一生責め続けてしまうとやっと気付いた一樹は、何故、そんな当たり前のことに気づかなかったのかと自分が恥ずかしくなり、俯いたまま、手に拳を作って強く握った。 だが、次第に一樹は冷静になってくると、救急隊員に事情を話そうとした時、隼人に制止させられたのも、聖がスタッフにわざわざ事故だといった理由も、すべては璃玖のためだったということを理解し、握っていた拳を緩めた。 「…。すみませんでした。俺、本当に何も考えていなくて」 「謝らなくていいよ。きっと、僕や隼人が少し冷静すぎるんだよね…。でも僕も…。いや…忘れてくれ」 「聖さん…」 何かを我慢しているかのような表情で笑みを浮かべる聖に、聖も今、璃玖の元に向かいたいという同じ気持ちなのかと、確かめたくなった。 だが、その答えを聖の口から直接聞くのが恐くなり、一樹は思わずそのまま黙ってしまう。 「さて。とりあえず、僕の控室に行こう。話はそれからだ」 「はい…」 頷いた一樹は、改めて聖の後ろについていくと、すぐに聖の控室に辿り着いた。 「どうぞ」 ドアを開け、控室の中に誘導する聖に、一樹は黙って頷き、中に入った。 「隼人にメールだけしないといけないから、とりあえずそこに座っててくれる?」 「はい…」 聖が指さした応接セットの椅子に一樹は座ると、聖は自分のカバンからスマホを取り出し、隼人にメールを打ち始めた。 「よしっと」 メールを送信し終えた聖は、ポケットにスマホを仕舞い、一樹の向かい側に座ろうとすると、先ほどのカバンからバイブ音が響いてきた。 聖は仕方なさそうにカバンの元に戻り、別のスマホを取り出し発信者を確認すると、慌てた様子でそのまま電話に出た。 「あっ、はい。僕です、聖です。えっ、今ですか…?ちょっとだけ待っていてもらえませんか?」 「璃玖に!璃玖になにかあったんですか?!」 聖の曇った表情に、璃玖に何かあったのかもしれないと頭を過ぎった一樹は、思わず立ち上がり、聖が電話中だということも忘れて声をかけてしまう。 「一樹君、ちょっと待っててくれる?すぐ済ませるから。あ、ええ、彼なら今、僕と一緒に」 電話の相手は一樹のことを知っている人物のようで、聖はそのまま一樹に何も言わず、電話をしながら部屋を出て行ってしまった。 閉まったドアを見つめたままだった一樹は、力が抜けたようにドサっと椅子に座りなおした。 「璃玖…」 一樹の耳には、今も璃玖の掠れた声で呟いた謝罪の言葉が残って離れなかった。 「俺が全部悪いのに…。なのに、なんで璃玖は…」 一樹は、璃玖が『ごめん』と呟いたのは、心配させてしまっていることへの謝罪の言葉だと思っていた。 だが、何度も璃玖の言葉を思い出すうちに、不思議と罪悪感から救われるような気持ちになっていくことに一樹は気が付いた。 「もしかして…。アイツ、俺が自分を責めるってわかっていて…。だから…」 璃玖が伝えた言葉の本当の意味は、心配させてではなく、一樹に罪の意識を持たせてしまったことへの謝罪だったのでは思った一樹は、どうしようもなく胸が熱くなった。 「ほんと、璃玖って…」 自分のことより一樹のことを気遣う璃玖の優しさに、一樹は璃玖が愛おしくてたまらなくなった。 「璃玖…」 璃玖の名前を呟くと、一樹はまた涙が出そうになり、思わず上を向く。 怪我をさせてしまったことは事実だが、こんな気持ちのままではダメだと気づいた一樹は、気持ちを切り替えようと、目を瞑って、もう一度静かに心の中で璃玖の名前を呼んだ。

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