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61.あれから…

「それじゃあ、聖さん。お疲れ様でした」 パソコンでの通話が終わった頃、部屋のドアをノックする音がした。 「はーい」 「失礼します、璃玖様。もう起きていらしたんですね」 部屋のドアを開けたのは、天沢だった。 「あ、おはようございます…」 天沢の挨拶に、璃玖はどこかばつが悪そうに答える。 その璃玖の様子にピンときた天沢は、手にもっていた買い物袋を手に持ったまま部屋に入り、椅子に座っていた璃玖の顔をじっと覗き込んだ。 「目が赤い…。それに目の下にクマまで…。まさか、寝ていらっしゃらないんですか?!」 驚いた顔をしつつ怒る天沢に、璃玖は顔の前で手を振って笑いながら誤魔化す。 「大丈夫ですよ、ちょっとぐらい。ちょっと、仕事が佳境だったので…」 「まさかと思いますが、昨日も…ではないですよね?」 「昨日は寝ましたよ。その…一時間ぐらい…」 「璃玖様!いくらお仕事と言っても、お身体を壊しては何もなりませんよ。今度こそ、璃玖様に何かあったら私は…」 本気で心配してくれる天沢に、璃玖は嬉しくなりつつも、前にも同じようなことがあったと、ふと二年前の出来事が思い出された。 「天沢さん、こんな姿を見たら心配するだろうな…」 璃玖は重たい気持ちのまま、退院したその足で、祖父の残してくれたマンションを訪れていた。 「うう…。歩きづらい…」 折れているかと思っていた足は捻挫で済んでいたが、念のため固定処置がされた。 そのため、松葉づえでの移動を余儀なくされたが、まだ慣れない璃玖は、エレベーターに乗るのも一苦労だった。 「よっと」 最上階である十二階のボタンを押すと、エレベーターはすぐに動きだし、璃玖はボタンの上に設置されたディスプレイの数字が一つ一つ上がっていくところを、なんとなく見つめた。 (ここに来るのも、天沢さんと会うのも、久々に思えてしまう…。色々ありすぎた、かな…) ディスプレイに表示さえた数字が十二になり、エレベーターの扉が開かれた。 璃玖はそのまま突き当りの部屋に向かい、部屋の鍵を開けようとするが、その前に中から扉が開かれた。 「璃玖様!…っ!!」 嬉しそうな顔で迎えてくれた天沢だったが、すぐに璃玖の怪我に気付き、ショックを受けた表情に変わった。 「ただいま、天沢さん」 それでも璃玖は、笑みを浮かべた。 それは璃玖が、ある決心をしたからだった。 「…。おかえりなさい、璃玖様」 天沢は、璃玖の笑みから何かを感じ取ると、そのまま何も聞かずに璃玖に微笑み返し、迎え入れてくれた。 「私としたことが、主人を玄関先に立たせたままで。大変、失礼いたしました。さ、中に」 天沢に軽く支えられながら玄関で靴を脱ぎ、璃玖は辺りを見回すと、以前より室内が生活感を感じられる空間に変わっていることに気が付いた。 それは、花や観葉植物が飾られていたり、両親に頼んでいた璃玖の荷物が届いていたらしく、璃玖の靴が整頓されて並べられていたからだった。 「荷物、片づけてくださったんですね。ありがとうございます」 「それぐらいお安い御用です。あと、頼まれていたものは、お部屋にセットしてあります」 「えっ、もう届いたんですね。見てもいいですか?」 「ええ、こちらに」 玄関から一番近い部屋のドアを天沢が開けると、そこにはパソコンやスピーカー、鍵盤のキーボードや、璃玖も名前も知らない機器が机にセットされていた。 「お部屋を防音にするにはもう少しお時間がかかりますが、とりあえず、セットアップとインストールなどは終わらせて、いつでもお使いいただける状態にしてあります」 「これも天沢さんが?」 「いえ、こちらは業者の方が。残念ながら、さすがの私も専門外です。でも、ちょっと悔しいので、これから覚えていきます」 まるで負けず嫌いのように答える天沢に、璃玖は思わず笑いが零れる。 「ふふっ。天沢さんなら、僕なんか…。いえ、すぐに出来ちゃいそうですね。でも、まずは僕にやらせてくださいね」 璃玖が不自然に言い直したことに天沢は気づきながらも、あえて気づかないふりをした。 「もちろんです。時間はたくさんあります。でも、もう少しあのお家で、ご両親と過ごされてもよかったのでは…?」 「なんだか、決心が鈍ってしまいそうで…。今日も退院に付き添ってくれたんですが、そのまま病院で別れてきました」 Ωの発情期は、αにはヒートという強い発情状態にしてしまい凶暴化させてしまうが、βにもαほどではないが同じような影響が出る場合がある。 そのため、発情期が訪れるまではまだ猶予はあったが、璃玖はβである両親に迷惑をかけたくないと、家を出る決意をした。 寂しくないと言ったら嘘になるが、聖との約束とこれからのことを考えると、早いに越したことはないと考えたからだった。 「直接会わなくても、連絡をする手段はいくらでもありますしね」 笑って話す璃玖に、天沢はなんだか寂しそうな表情を浮かべる。 「何か、ご事情がおありなんですよね?急なお話でしたし…。それに、怪我をされたとはお電話で伺っていましたが、こんなに酷いなんて…」 「これはちょっと大袈裟なんですよ。ほら…あっ!」 「わわ、璃玖様!」 璃玖は怪我していない方の足でジャンプをして、見た目ほど怪我はひどくないと天沢を安心させようとするが、璃玖はバランスを崩してしまう。 バランスを崩した璃玖を支えようと、天沢は璃玖の肩を思わず掴むと、璃玖は「痛っ」と呟き、痛みに顔を歪ませた。 「璃玖様?…ちょっと失礼します」 力をそれほど込めていないにも関わらず、苦痛に顔を歪ませた璃玖に、天沢は違和感を覚え、璃玖が羽織っていた上着の首元を軽く引っ張り、璃玖の肩を確認した。 そこには、痛々しく青く残る痣が見え、天沢は思わず璃玖の上着を脱がせると、璃玖の身体の至る所が青い痣だらけであることに言葉を失ってしまった。 「…。足に怪我をされただけではなかったんですか?一体、璃玖様に何が…」 璃玖の痛々しい姿を前にして、天沢の顔が青ざめていたが、璃玖は天沢を安心させるように柔らかく笑った。 「少し長くなりますけど…。天沢さん、僕の話…聞いてくれますか?」

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