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64.妥協
「本当に、この曲には璃玖君の気持ちが詰まっているな…」
ソファーに座りながら、ノートパソコンで璃玖から届いた新曲を聴き終えた聖は、ヘッドフォンを外し机に置くと、ちょうどドアをノックする音がした。
「はーい、どうぞ」
「聖さん、少しだけお時間いただけますか?」
聖の控室を訪ねてきたのは、神妙な面持ちの伊織と一樹だった。
「リハーサルまで、まだ時間があるよね?どうしたの?」
二人のいつもと違う顔つきに聖は気付きながらも、開いていたノートパソコンを閉じ、いつも通りの笑顔を浮かべると、入口付近に立つ二人の元へ歩み寄った。
「あ、あの…!聖さんが引退するっていう話、本当なんですか?僕たち全然知らなくて…。ついさっき知って…それで…」
慌てた様子で早口で話す伊織に対して、伊織の一歩後ろに立つ一樹も何か言いたげだったが、聖とは目を合わせないようにしていた。
そんな一樹の態度に、聖は内心、表情とは違う笑みを浮かべていた。
伊織も一樹も、背が伸び、見た目はそれぞれ長所である魅力を最大限に引き出して成長していた。
だが、成長しても二年前と変わらない聖に対する一樹の態度に、まるで小さい子供の反抗期を見るような気持ちになったからだった。
「聖さん?」
「あっ、ああ。ごめんね。ツアーについてきてくれた二人には、もちろん先に伝えるべきなんだけど、この業界、こういう発表には色々しがらみが多くてね」
「じゃあ、やっぱり本当なんですね…」
落ち込むように少し俯いた伊織は、何か覚悟を決めたように胸の前で拳を握ると、聖の目を真っ直ぐ見つめた。
「聖さん。聖さんがアイドルユニットをプロデュースするって話も、じゃあ、本当なんですよね?なんで、僕たちは何も聞かされていないんですか?それって、デビューするのは、僕たちじゃないってことですか?」
聖の中継の話を聞いた伊織は、聖がプロデュースするという話はおろか、ユニットデビューするのが自分たちという話も聞かされていなかったため、慌てて一樹に確認しにいった。
だが一樹も、今日の中継の話は何も聞かされていなかったの一点張りだったため、真相を確かめるために、一樹を連れて聖の元を訪れたのだった。
「悪いんだけど…。そのことは、今は何も話せないんだ」
笑みを浮かべてた聖は、スッと表情が消すと、真剣な表情へと変わった。
それは、これ以上何も聞いてくるなと言っている、無言の圧力のように伊織には感じ取れた。
そんな聖の態度に、伊織は一瞬たじろぐが、このまま引き下がるわけにもいかないと、胸の前で作っていた拳に力をさらにこめ、聖に問いかけ続けた。
「それは何故ですか?僕たちには知る権利があると思います。未来を見越して、聖さんは僕たちをツアーに同行させて、個人レッスンまでしてくれたんじゃないんですか?」
聖は一樹と伊織に、ツアーの練習の合間に、ダンスはもちろん、歌のレッスンまで行ってくれていた。
一樹の話では、事務所の方針で、二人でデビューすることが決まっていていると聞いていたため、だからこそ、忙しい聖も、合間を縫って自分たちの面倒を見てくれているのは当然のことだと思っていた。
にも関わらず、中継の内容を事前に何も聞かされていないことは不自然すぎると思った伊織は、微かに過ぎる不安に、黙っていられなかった。
「もちろん、そうだよ。実際、今の君たちは、どのバックダンサーよりも踊れているし、もう、僕のレッスンもいらないほどの実力を手にしたと思うよ」
「じゃあ、どうして今回の話、僕も一樹も何も聞かされていないんですか?」
伊織は足を一歩踏み出し、聖に詰め寄った。
「ごめんね。今回の件は、スターチャートとの取り決めなんだ。デビューさせる本人たちにも、お披露目の当日まで黙っていようってね」
「っということは、本人もまだ知らない、聞かされていないことは当たり前ってことなんですね?」
「そういうこと。知っているのは、僕と社長だけだから。当日までは本人にも、もちろん、マスコミにも知らされない」
「社長ってことは…。じゃあ、もちろんスターチャートに在籍しているメンバーからデビューさせるってことですよね?」
「もちろん、スターチャートの在籍者からだよ。そうでないと、社長はオッケーを出さないからね」
その答えを聞けて安心したのか、伊織は胸の前で作っていた拳をゆっくりと下した。
「それが聞ければ…もう、いいです。突然押しかけてすみませんでした。失礼します」
聖に一礼をした伊織は、部屋を出て行くため、一樹の横を通り過ぎようとするとが、一樹は咄嗟に、伊織を呼び止めるため腕を掴んだ。
「伊織、お前一体何をそんなに…」
伊織が何をそんなに焦っているのか理解出来ない一樹は、伊織の顔を見つめるが、振り向いた伊織はとても納得しているとは思えない、怪訝そうな表情だった。
「離してよ。そろそろ着替えないと、この後のリハーサルに遅刻するよ」
一樹に掴まれていた腕を振り払って、ドアノブに手をかけた伊織に、今度は聖が声をかける。
「一樹君の言う通りだよ。伊織君は一体、何をそんなに心配しているんだい?何か、デビュー出来ないかもしれないって思う、後ろめたいことでもあるのかな?それとも、自分以外に、僕がプロデュースする子の心当たりでも…あるっていうのかな?」
ドアノブにかけていた手を離し、伊織は振り向くと、聖の目を真っ直ぐ見つめた。
「いえ、そんなものはないです。デビューするのは何があっても僕だって、分かっていますから」
「それなら、これ以上の余計な詮索はしないで欲しいなぁー」
「…。そうですね。わかりました」
伊織の返事に、聖は先ほどの真剣な表情が嘘のように、明るい笑みを浮かべた。
「よかった、よかった。今から、当日の二人の顔が楽しみだなー」
聖のその言葉に、伊織は聖と同じような笑みを浮かべた。
「そうですよね。当日をとても楽しみにしています。あ、でも、聖さんが引退してしまうのは本当に残念です…。僕も一樹も、追い越すつもりでいたので…。それでは、失礼しました」
「おい、伊織!」
一樹の呼び止めに振り向くことなく、伊織は一樹を置いて、聖の控室を出て行ってしまった。
「ちょっと…罪悪感…かな」
「え?聖さん、なんて言ったんですか?」
聖の言った言葉が、途切れ途切れにしか聞こえなかった一樹は、思わず聞き返すが、聖は先ほどと変わらない、いつも通りの笑みを浮かべるだけだった。
「…。一樹君は知らなくっていいことだよ」
鼻で笑いながら言う聖に、一樹は馬鹿にされたような気がして、つい苛立ってしまう。
「そうやって、聖さんは隠し事ばかりですよね。だいたい、今回の話、俺や伊織に秘密にする必要があるんですか?二年前、出発する時、二人でデビューするのが事務所の方針で決まったって話してくれましたよね?それが変わったとでも言うんですか?」
「そんなに怒らないでよ。せっかくの格好いい顔が台無しなよ。あ、でも睨んだ顔も男前になったよね。昔は膨れているお子様にしか見えなかったけど。今は、そんな顔も目を惹くものになったね」
「聖さん、俺のこと馬鹿にしてますよね?だいたい、聖さんがそんなこと言うと、嫌み以外の何物でもないですよ」
「そんなことないよ。本当に変わったよ。外見だけじゃなく、内側もね。まあ、変わらないところもあるみたいだけど」
「それは、俺が聖さんを好きになれない…ってこととかですか?」
「そうだね。あとは…まあ、言わないでいいかな。でもね、本当に一樹君は成長したよ。僕の予想以上に、頑張ってきたと思う。ここまでついて来てくれて、本当にありがとう」
急にお礼を言いだした聖に、不意を突かれた一樹は、つい嬉しくなり表情を緩めてしまいそうになるが、聖には死んでもそんなことを悟られたくないと、咄嗟に聖から視線を外した。
「その…。この二年間、色々と必死でしたから…」
「それも全部、璃玖君を守るためにだよね。本当に、一樹君は偉いと思う。僕との約束、しっかり守ってくれているんだから」
そう言った聖は、元々座っていたソファーに戻り腰かけると、足を組んだ。
「聖…さん?さっきから一体、どうしたんですか?」
いつもであれば、一樹を揶揄うような態度ばかりとる聖と明らかに様子が違い、一樹は戸惑いを隠せなかった。
「ねえ、一樹君。一樹君には、この二年間は長く感じた?」
「…。正直、あっという間でした。目標がある分、やらないといけないことが明確だったので。ダンスだけじゃなくて、歌とか、色々なことを聖さんに教えてもらえたことは感謝しています」
一樹は、聖に言われた璃玖のことを諦めるという条件を守るため、璃玖に会わず旅立ち、それから一度も璃玖に連絡をとっていなかった。
だが、一樹の中では、諦めるどころか、璃玖への想いがさらに強まる一方だったが、会いたくなる気持ちや、声を聞きたい気持ちが高まる度に、璃玖の動画が公表されてしまう可能性を思い出し、璃玖を守っているという一心で、必死に気持ちを押し殺していた。
そして、その気持ちの分、コンサートの練習や、聖の個人レッスンに打ち込み、伊織とデビューすることだけを目標に、ここまでやってきたのだった。
「それはよかった。きっと出会った頃の君のままじゃ、自然と璃玖君の実力に合わせて、妥協して過ごしていただろうからね」
「妥協…?」
思ってもいなかったことを聖に言われ、一樹は眉間に皺を寄せた。
「妥協って、一体どういう意味ですか?俺はそんなこと」
「言葉の意味、そのままだよ」
「俺、今まで妥協なんてしたことないです。璃玖とデビューを目指していた時だって、必死に…」
スターチャートの研修所のレッスンはもちろん、休日の朝練や、帰宅後のトレーニングなど、璃玖とデビューをすると決めてから、それまで以上に努力していた一樹は、妥協していたことなど全く心当たりがなかった。
「僕が初めて璃玖君と一樹君が踊っているのを見た、あの振り付け…。あれは一樹君が考えたんだろ?デビューしたいと言っている割りには、正直このレベルの振り付けで…と思ったよ。けど、その後のレッスンの一樹君の実力は全く違っていた」
「あれは…。妥協じゃなくて、璃玖はダンス初心者だから、振り付けのレベルも俺が合わせるしかなくて…」
「そうだろうね。でもね、それが妥協だって言っているんだよ。一樹君は自然と璃玖君のレベルに合わせようとする。璃玖君も上を目指すんじゃなくて、一樹君を目標とする。お互い、足を引っ張りあっていたんだよ。だから君たちは、一緒にいては駄目になるって思ったんだ」
「聖さんは…何を言いたいんですか?今更、そんな昔の話…。もう、俺の前で璃玖の話はしないでください。…そろそろ準備してきます」
聖の口から璃玖の名前を聞くたびに、胸が締め付けられた一樹は、聖に背を向け、伊織と同じように部屋を出て行こうとする。
「ねえ、一樹君。君はまだ、璃玖君のこと諦めてないんだろ?」
聖の指摘に、一樹は足を止めた。
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