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65.今でも…
「璃玖のこと、諦めていないかって…。よく、そんなこと俺に聞けますね」
番になるために邪魔だと言い、璃玖を諦めるよう取引を持ち掛けてきた張本人にそんな事を言われ、一樹は怒りで手が震えそうになった。
そんな一樹に対して、聖は至って冷静に一樹を見つめた。
「一応、確かめておきたくてね」
「…!!そんなに俺に諦めているって言わせたいんですか?そんなの、諦めているって言うしかないですよね?そう言わせるようにしたのは、聖さんなんですから」
「それもそうだね。でも僕は今、一樹君の本心を聞きたいんだ」
「本心って…。俺に何を言わせたいんですか?帰国したら、璃玖と番になるんですよね?おめでとうとでも言わせたいんですか?だいたい、なんで引退なんかするんですか!引退して、璃玖と二人で仲良く暮らすつもりですか?」
「一樹君がそれでいいと言うなら、僕はそうしようかな」
「ふざけないでください!!」
一樹は我慢出来ず、近くにあった机を力いっぱい叩き、聖を睨みつけた。
「いいわけないじゃないですか!!俺がどんな気持ちで…。どんな気持ちで璃玖の曲を聴いていたか、聖さんに分かりますか?」
「やっぱり一樹君は、僕が歌っている曲、璃玖君の作ったものだって気づいていたんだね」
「そんなの分かりますよ…。だって…」
一樹はそのまま俯き、唇を噛み締めた。
聖のツアーに同行してすぐ、聖の新曲を伊織と聴いた時、伊織は璃玖が曲を作れること自体を知らなかったので気づいてもいなかったが、一樹は璃玖から聖に曲を作ると聞かされていたこともあり、覆面のΩの正体が璃玖だと、すぐに気がついた。
だが、一樹が知っている璃玖の実力とは比べものにならないくらいの曲の完成度で、一樹は本当に璃玖なのかと疑うほどだった。
そんな疑いが次第に一樹の中で確信に変わったのは、練習のため、曲を何度も聴くうちに、歌詞やメロディーの端々から、自然と璃玖の顔が頭に幾度となく浮かんできたからだった。
「それじゃあ、璃玖君が作った曲だって分かっていて、その上で、曲に込められた気持ち、ちゃんと伝わっていたのかな?」
「わかっていますよ…。聖さんに向けた気持ちが込められていることぐらい…。でも、俺はそれでも…」
一樹は、璃玖が作った曲を聴くまで、ずっと好きだったと最後に伝えた時に見せた璃玖の泣き出しそうな顔に、まだ自分に対しての気持ちが少しでも残っているのではないかと、微かな希望を持っていた。
だが、伊織から璃玖がスターチャートの研修生を辞めたと聞かされたすぐ後に聖の曲を聴いたため、璃玖が聖のために生きていくと言っていたことは本当だったのだと、一樹は思い知らされた。
それから、曲を聴くたびに歌詞に込められた思いが伝わってきて、それがすべて聖に向けられているものかと思うと、悔しくて、でも、どうすることも出来ない自分に腹が立ち、一樹は何度も璃玖のことを忘れようとした。
けれども、どんなに頭の中から璃玖の顔や声、感触、すべてを消そうとしても、璃玖の曲を聴けば聴くほど、璃玖への想いは高まる一方だった。
「璃玖君の曲ってさ…。実は、璃玖君との約束なんだ。僕が璃玖君の気持ちを曲で受け取って、歌うってね」
「じゃあ、なんで引退なんて…。ツアーが終われば璃玖と番になって一緒にいるから、歌う必要もないってことですか?」
「違うよ。僕の役目は終わったってことだよ」
「終わったって…。役目ってなんですか…?」
「さあ、なんだろうね?」
笑って肩を竦めた聖に、一樹はまた誤魔化されていると気づき、苛立ちを覚える。
「また、そうやっていつもみたいに誤魔化すんですか…」
「まだ言えないだけだよ」
「…。そうですか、じゃあ質問を変えます。…どうして、引退するつもりだったのに、璃玖がΩだって公表したんですか?覆面であったとしても、Ωだって公表する必要あったんですか?公表したのは、璃玖の意思ですか?」
「意思…というより、そうしようって話し合った結果かな」
「そんなの、聖さんに言われて拒否できるわけないじゃないですか。聖さんは、もし正体が璃玖だってバレたら、どうするつもりなんですか?」
「じゃあ、璃玖君とデビューしようって思っていた一樹君は、璃玖君がΩだってバレたら、どうするつもりだったの?」
「そんなの、璃玖の実力が認められれば、璃玖がΩなんて分かっても関係なく…なる…って…」
一樹は、自分が口にした言葉に違和感を覚え、たどたどしくなると、口元を隠すように片手で覆った。
それは二年前、璃玖に番になろうと契約を持ちかけた時に、璃玖の実力があれば世間は受け入れてくれると、一樹が思い描いていた状況に、今、まさになっていることに気が付いたからだった。
「聖さん…まさか…」
信じられないといった表情の一樹に、聖は優しく微笑んだ。
そんな聖の表情に、一樹の胸の鼓動は途端に速くなった。
「少し、時間がかかっちゃったね。でも、もう君たちは、欲しいものは欲しいって言える力を十分手にしたと思うよ」
「そんな、どうして…」
理解が追いつかずに立ち尽くす一樹に、聖は座ったまま、自分の座っている反対側のソファーを指差した。
「一樹君、そこに座ってくれるかな?」
「ちょ、ちょっと、待ってください…。俺、全然話についていけないです。聖さんは…」
「いいから座って」
言葉を遮られた一樹は、頭の中が整理できていないまま、聖に従い、聖の向かい側のソファーに黙って腰かけた。
「はい、ヘッドフォンつけて。ほら、再生するよ」
無理やり一樹にヘッドフォンをつけた聖は、ノートパソコンを操作をすると、立ち上がって一樹に手を振った。
「えっ…?聖さ…」
急に立ち上がった聖を、まだ聞きたいことがあると呼び止めようとする一樹の耳に、ヘッドフォンからイントロが流れ始めた。
「これって…」
それは初めて聴く曲のイントロだったが、一樹の胸は期待で高鳴っていった。
そして、イントロが終わると澄んだ声の歌声が聴こえてきた。
それは紛れもなく璃玖の歌声だった。
「り…く…」
ずっと聴きたいと思っていた璃玖の声に、一樹はこみ上げてくる感情を必死に抑えつつ、璃玖の声を決して漏らすまいと、ヘッドフォンを強く耳に押し当てると、全身で曲を感じるように目を瞑った。
そんな一樹の姿を、聖は少し離れたところから、笑みを浮かべて見つめていた。
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