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66.優しさの罪

「ごめんね、急に呼び出して」 本番を終え、滞在先のホテルに戻った一樹は、ベットに寝そべって天井を見つめながら考え事をしていると、伊織から部屋に来て欲しいと連絡があり、隣の伊織の部屋を訪ねた。 「入って、入って。僕の秘蔵の夜食を振る舞ってあげるから」 「伊織…」 伊織の笑みに、一樹は自分だけが知っている事実に罪悪感で後ろめたくなり、思わず顔を引き攣らせてしまう。 「なーに、その顔。安心してよ、変なものじゃないから。ほら、入って入って」 伊織に手首を掴まれた一樹は、伊織の部屋に引っ張りこまれた。 「伊織、俺…」 「とりあえず、ベットにでも座っててよ。しっかし、みんな打ち上げから帰って来ないねー。やっぱり朝まで盛り上がっているのかな?」 聖のツアーの関係者はいくつかのホテルに分かれて滞在しており、伊織と一樹は今日迎えた本番までの間、同じホテルの隣同士で過ごしていた。 だが今日は、本番終わりに打ち上げがあったため、一樹と伊織を除いて誰も部屋には戻ってきておらず、どの部屋も静まり返っていた。 「僕たち偉くない?ちゃんと、そういう場所には行かないようにしてさー。何かあっても飲んでないって証明できないしね。だから、お酒の代わりに僕特製のジュース出してあげる。一樹に飲ませたことなかったよね?」 「あ、ああ」 伊織に言われるがまま、ベットに腰かけた一樹は、小さい冷蔵庫から野菜や果物を取り出し次々と小型のミキサーに入れていく伊織の背中を、なんとなく見つめた。 「一樹もさー、そろそろ栄養とか気にしないと駄目だよー。もう、プロなんだからさ」 「…。そうだな…」 伊織からスッと零れたプロという言葉に、響き渡るミキサーの攪拌する音さえ遠くに感じられるほど、一樹は罪悪感で胸を締め付けられた。 「でーきた。はい、これ」 「…何、この色?」 振り向いた伊織が差し出してきたのは、緑色の液体が入れられたグラスだった。 「今、見てたでしょ?野菜とフルーツだよ。しかも、今日の朝に買いに行ったものだから新鮮だよ」 「そういう問題じゃなくて…」 「ほーら、グイって飲んじゃえ」 伊織からグラスを無理やり持たされた一樹は、グラスを少し傾けると、ゆっくりと移動するドロッとした緑の液体に、思わず息を飲んだ。 「これ…本当に飲めるのか?」 「失礼な。僕が毎日飲んでいるやつだよ」 「…分かったよ」 一樹は意を決してグラスに口をつけると、目を瞑って、伊織の作ったジュースを一気に飲み込んだ。 「ちょっとー、作るの大変なんだから、もう少し味わって飲んでよね」 飲み方にケチをつける伊織に、一樹は空いたグラスを差し出した。 「はぁー…。お前、いっつもこんなの飲んでるのか?」 「当たり前でしょ。僕の美貌を維持するためだよ」 「今のがねー…俺には絶対真似できないや」 たしかに身体には良さそな味だったが、とても毎日なんて飲んでいられないと、一樹は思わず首を横に振った。 「一樹は自覚が足りなさすぎるんだよ。こういうことだって仕事の内なんだよ。人に見てもらうことが僕たちの仕事なんだからね」 「それも…そうだな…」 どこか覇気がない相槌を打った一樹は、伊織のベットに寝っ転がるとそのまま黙ってしまった。 伊織は一樹から受け取った空のグラスを、照明の置かれたベットサイドの小さなテーブルに置くと、ベットに横になった一樹のすぐ近くにゆっくりと腰を下ろした。 すると、一樹は仰向けから、伊織に背を向けるように横向きになった。 「一樹…。何か僕に言いたいこと、あるんじゃないの?」 「…」 「一樹、言わないと分からないよ」 「…。伊織は…帰国したら、あの家に帰るのか?」 背を向けたまま話かける一樹に、伊織は溜め息混じりに答える。 「帰らないよ、あんなとこ。僕の居場所なんてないし。スターチャートが借り上げているマンションに空き部屋があるらしいから、そこを使わせてもらう予定」 「そっか…」 安堵の溜め息を漏らす一樹に、何故か目を軽く瞑った伊織は、何かを決意したように、スッと一樹の横から立ち上がった。 「一樹はさ…。まず、神山に会いに行くんだろ?」 「別に俺は…」 「いいよ。全部わかっているから。聖さんがプロデュースするのは、一樹と神山なんでしょ?」 「えっ…」 伊織の言葉に思わず言葉を失ってしまった一樹は、ベットから上体を起き上がらせると、立ったまま背を向ける伊織の背中を見つめた。 「伊織…」 「あーあ…。結局、神山には、なーんにも勝てないのか」 伊織は一樹に背を向けたままだったが、その肩は微かに震え、手はきつく握られていた。 その様子に気が付いた一樹は、唇を強く噛み締めた。 「ごめん…。黙っているように言われたんだけど、やっぱり俺、ちゃんと…伊織には話しておきたくて…」 「知ってる。だから今、呼んだんだもん。どう?話しやすくなったでしょ?」 振り向いた伊織は、決して一樹以外には見せない、不敵な笑みを浮かべていた。 「伊織…」 一樹は、伊織がまるで気にしていないように振る舞う優しさに後ろめたさを感じてしまい、顔が俯き気味になってしまう。 「本当にごめん。俺、この二年間、伊織とデビューするって聞かされていて…」 「なーんだ。じゃあ、一樹も聖さんに騙されていたってわけか」 そう言って笑った伊織は、今度は一樹の横に並ぶように、ベットの端に腰かけた。 「本当にごめん。俺、知っていたら…」 「僕に話してくれた?まあ、一樹なら話しちゃうだろうね。だからきっと、聖さんも言わなかったんじゃないの?」 「それは…」 「いいよ。僕のことは気にしなくて…。きっと一樹のおかげでこのツアーに参加出来たんだろうし、確実にステップアップ出来たわけだから…。きっと、無駄じゃなかったと思う。一樹が先にデビューしちゃうのも、隣が僕じゃないのも、本当は死ぬほど悔しいけど、仕方ないもんね」 「伊織…」 「ねえ、一樹。一樹は…神山のこと、好きなの?」 その質問に、一樹は俯き気味だった顔を上げると、伊織の顔をまっすぐ見つめた。 「璃玖とは…」 そのまま何かを言いかけた一樹だったが、今度は自分に何かを言い聞かせるように首を何度か横に振ると、改めて伊織の顔を見た。 「実は、俺と璃玖…。将来、番になろうって約束していたんだ」 「は?番?」 「あいつ、抑制剤が効かない体質かもしれないんだ。それで俺と番になれば、発情期が抑えられるって考えて…」 「ちょっと待って…。じゃあ、神山って…」 「Ωなんだ。伊織と同じ…」 「…。へー…。本当にΩだったんだ。世の中って狭いね。貴重なΩがこんな近くにいるなんて。まさか、Ωだから情が湧いた…とか言わないよね?」 「違う。俺はΩとか抜きにして、璃玖のことが…璃玖自身が好きなんだ」 一樹は、まるで璃玖に伝えるように、伊織の目をまっすぐ見つめて気持ちを伝えた。 「…あっそ。ふーん。まあ、一樹はそういう性格だよね。Ωだって知っても、ずっと僕と一緒にいてくれたわけだし」 すると、伊織は一樹の肩に手を置き身体を近づかせると、耳元でそっと囁いた。 「もう神山とはさー、やったの?」 伊織の思ってもみなっかった質問に、思わず肩をビクッとさせると一樹の反応に、伊織は揶揄うようにクスクスと笑った。 「なーに、その反応」 「やったって…お前…」 「ねー、ねー、どうなのさー?」 「…まだ。その…途中まで…」 「途中まで…ねー。最後までは、させてもらえなかったってわけですか」 「別にそういうわけじゃ…」 「まあ、どうでもいいや。なんか、一樹が夢中になっていた理由がこれで分かったから、すっきりしたよ。どうぞ、ご勝手に」 呆れるように肩を竦ませた伊織は足を組むと、膝の上で片肘をつき、一樹ににっこりと笑いかけた。 「伊織…」 伊織の表情に一樹は思わず安堵し、顔が自然とほころんでしまう。 「なーに、その顔。僕だって怒っているんだからね。だいたい、デビューの話は神山自身は知っているの?」 「それが何も…。聖さんの話じゃ、何も知らないし、気付いてもいないらしい」 「そうなんだ。じゃあ、聖さんが言っていた発表当日驚かせるっていうのが、本当に楽しみなんだね」 「あ、ああ」 「…。ねえ、一樹?」 「ん?」 「神山がもっていて、僕にないものってなんだろうね…。同じΩなのにさ」 「えっ…」 表情は笑いながらも、どこか寂しそうに聞こえる伊織の問いに、一樹は答えに詰まってしまう。 「ごめん、変なこと言って。そんな顔、しないでよ」 一樹の困った顔に気付くと、伊織は急に立ち上がった。 一樹はそのまま伊織がどこかに行ってしまうのではないかと心配になり、思わず伊織の手を急いで掴んだ。 「なあ、伊織。いっそ、俺のこと殴って欲しい。俺、お前がデビューしなくちゃいけない理由も分かっているのに…。やっぱり、こんなの最低だと思う…」 「いいよ、気にしないで。僕は同情されるのが一番嫌いだって、一樹が一番よく分かってくれるでしょ?」 「でも…」 すると、伊織は一樹の手を振り払うと、座ったままの一樹をまっすぐ見つめて笑いかけた。 「僕を見くびらないでくれない?一樹がいなくても、僕は絶対にデビューする。なんなら、聖さんみたいにソロデビュー目指そうかな。人気も独り占めだし」 「伊織…」 「あーあ…。ねえ、一樹。やっぱり悔しいから、僕からのお願い、最後にひとつだけ聞いて欲しいな」 「えっ…」 「きっと、お披露目の記者会見とかするんでしょ?それまで…神山と連絡とったり、会ったりしないで欲しいな」 「それは…」 「僕が居場所を譲るんだよ。せっかくなら、思いっきり神山に驚いた顔をさせたいじゃない。せっかく当日までの秘密なのに、一樹が前もって会ったら、全部話しちゃいそうじゃない?」 「うっ…」 一樹は伊織に言い当てられ、ばつがわるそうに伊織から目を逸らした。 「ね?僕の最後のお願い」 伊織は顔の前で手を合わせると、一樹に向かって首を軽く傾げた。 「…。分かったよ…」 「うん。ありがとう」 「…」 そのまま少し沈黙が続くと、一樹はそろそろ部屋に戻ろうと、ベットから立ち上がった。 「それじゃあ俺、部屋戻る…わ…」 言いかけたところで、一樹は急激な眠気に襲われ、再びベットに座り込んでしまった。 「あれ?一樹、どうしたの?」 「いや、なんだか急に眠気が…」 今までどんなに疲れていても、こんな急激な眠気に襲われたことのなかった一樹は、戸惑いつつも徐々に瞼が重くなり、身体の力が抜けていった。 「もうっ。神経張っていたのが切れたんじゃない?本番も終わったし疲れが出たんだよ。ほら、ここでこのまま寝ていっていいから」 ベットに座っていた身体を、一樹は伊織に少し肩を押されると、その少しの力にも逆らうことが出来ず、そのままベットに横になってしまう。 「そういうわけ…には…」 「ほら、いいから。もう少しだけ、枕のある場所まで移動して」 「ごめん、い…おり…」 最後の力を振り絞って一樹は枕まで頭を移動させると、そのまま寝息を立て始めてしまった。 「一樹ー。おーい」 耳元での伊織の呼びかけに、一樹は一切反応しないほど深く眠りについていた。 「ったく。即効性とか書いてあったのに、時間かかりすぎ…。聞きたくもない話まで、聞く羽目になったじゃないか」 伊織はポケットにしまっていた錠剤の入った小瓶を、天井にかざした。 「あーあ…。馬鹿な一樹。まだ僕のこと信じて、本当にお人好し…。でも、そういうところ…昔から嫌いじゃなかったよ」 ぐっすりと眠る一樹の前髪を軽く掻き上げると、伊織はそっと一樹の額に口づけをした。 「ありがとう、一樹…」 小さく呟いた伊織は、一樹のズボンのポケットからスマホを取り出した。

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